香港では国歌斉唱の際に若者が「嘘だ」と言ったり、替え歌を歌ったりしている。つい最近も「中国」国歌にブーイングで香港サッカー協会が罰金をとられると言うニュースが流れた。
中国国歌へのブーイングで罰金=サッカー国際試合で香港協会に:時事ドットコム
【香港時事】アジア・サッカー連盟(AFC)は19日、香港で行われたサッカーの国際試合で、香港側の観客が中国国歌にブーイングを浴びせたことを問題視し、香港サッカー協会に3000ドル(約34万円)の罰金を科したと発表した。
香港では若年層を中心に反中感情がくすぶり、サッカーの試合でブーイングが相次いでいる。
問題となったのは11月14日の香港対レバノン戦。試合開始前の国歌演奏の際、一部のサポーターがブーイングを行った。AFCは「規則違反が繰り返されれば、さらに厳しく処罰する」と警告している。
中国では10月に国歌法が施行され、替え歌やブーイングに最高で懲役3年の罰則が導入されたものの、現時点で香港には適用されていない。香港政府は関連条例を制定して香港でも実施に移す方針だが、それまでは手の出しようがないのが実情だ。
しかし、#第0列島線 こそが東ユーラシアで「中華」を名乗る歴代政権の国境線であったという歴史的な背景が、この事件の根底にあることを理解して欲しい。
彼らには、チャイナと一線を引く立派な理由があるのだ。
1842年、アヘン戦争後に締結された南京条約で清国からイギリスに割譲された「香港島」は、シナの大地から離れた島であり、四海の内を支配し「陸」の続く限り天朝の威光が届いているとする清朝にとって国土=防衛能力の範囲外だった。
だから夷狄に割譲した。
1557年にポルトガルが明から居留権を得、中国大陸における唯一のヨーロッパ人居留地となったマカオは、今でこそ珠江河口(珠江デルタ)砂洲で「陸」と辛うじて繋がっている「陸繋島」だが、もともとは「マカオ島」である。
中華皇帝は「陸の果て」をもって、威光の届く範囲、その境界、界(海)としていたのだ。
だからこそ、明朝も夷敵に差し出したのだ。
Historically Chinese emperors' ruling power expire the edge of their land, so Ming gave Macau to Portuguese and Qing gave Hong Kong to Britain. Both Macau and Hong Kong were the islands.
海 means the edge of the land and 界 has same mean.
陸から離れた土地が中華皇帝の支配地でない証拠はいたるところにある。
海防書「籌海圖編(ちゅうかいずへん)」内「沿海山沙圖(えんかい さんさず)」もその一つだ。
上記のブログで述べたように、明の領土は海岸線まで。一部の島嶼こそ軍の駐屯地であったが、大部分は明の領外であり、明の海軍の最大の敵である倭寇の根城だった。魚釣島、大正島、久場島と言う尖閣諸島が明國外から倭寇が攻めてくる経路や倭寇の根城として描かれている。
中華皇帝の領土(防衛能力)は海岸線までであり、「巡検司」「水寨(とりで)」「烽堠(烽火を上げる物見台)」「所」「營」「堡」などの駐屯地が列記されているのは、9分通り海岸線までであり、島嶼に至っては「駐屯地」は全くなかった。
香港やマカオ、厦門といった沿岸部においては、常に倭寇勢力と接し、大河の沿岸部は大陸の奥深くまで度々侵略支配を許していた。
近代においては西洋列強が倭寇に代わったに過ぎない。
歴史上、東ユーラシア沿岸部は常に外部勢力との力の均衡点であったと言える。
それが、第0列島線と呼ぶ所以である。
そうであってみれば、江南人たちが歴史・文化をチャイナと異にするのは当然であり、彼らが「中国の一部ではない」と主張する充分な根拠となりえるのだ。
現在、香港やマカオ、あるいは越人の血を引くと考えるカントニアの概念を持った若者たちが独立運動を起こすのも至極当然のことであると言える。
【参考】
『義勇軍進行曲(行進曲)』 歌詞・日本語訳
起来! 不愿做奴隶的人们!
把我们的血肉,筑成我们新的长城!
中华民族到了最危险的时候
毎个人被迫着发出最后的吼声
いざ立ち上がれ 隷属を望まぬ人々よ!
我等の血と肉をもって
我等の新しき長城を築かん
中華民族に迫り来る最大の危機
皆で危急の雄叫びをなさん
起来! 起来! 起来!
我们万众一心,
冒着敌人的炮火,前进!
冒着敌人的炮火,前进!
前进! 前进! 进!
起て!起て!起て!
万人が心を一つにし
敵の砲火に立ち向かうのだ!
敵の砲火に立ち向かうのだ!
進め!進め!進め!