画像は『中山忠能日記』として知られる「正心誠意」の慶應三(1867)年七月十九日の部分を国立国会図書館デジタルコレクションからスクリーンショットしたものだ。
現物はここで見られる:
国立国会図書館デジタルコレクション - 中山忠能日記 : 原題・正心誠意. 第3
巷間で話題の “明治天皇すり替え説” が、このページに記載の次の文言
一、寄兵隊ノ
天皇来正月上・・・
を「奇兵隊の天皇」と続けて読むことを「根拠」にしているらしいのだ。
結論から言えば、この説は段落を無視し、「父帝の諒闇」という文言を無視する荒唐無稽な説である。
とは言え、まず読み下してから現代文にして意味を考え、調査や検証をしてみよう。
【読み下し】
況やご冠禮の故を以て父帝の諒闇を縮めらるるの條、甚だ甚だ然らざるか。
なほ熟慮ありて答へを示すべし。卿(公卿か)甚だ不服の氣なり。井蛙の徒、大道を辨へず、悲しいかな。正三(位)また光仁の例(を)然るべく稱贊の由なり。
(段落)
一 攝政に拜面す。お八百の姪の事、申し入れ置く一。
一 去る十 日、加州(加賀)より異人上陸す。
一 奇兵隊の。
(段落)
【現代語訳】
成人式のために父帝(孝明天皇)の葬儀日程を縮めようということすら、承知していただけないのだろうか、もう一度よく考えて答えるべきものであるというのに。公家たちは承服できないようだ。井の中の蛙と一緒で、大道を弁えないことは悲しいことです。正三位(中御門経之?)の方もまた光仁帝の先例を称賛し、そのようにすべきだとこだわっている有様だ。
(段落)
一 摂政(二条斉敬)にお会いして、お八百の姪の事を申し入れ置く(事)
一 去る十何日かに加賀藩に異人が上陸したこと
一 奇兵隊の(事)
(段落)
(中山忠能の娘慶子の子で忠能の孫にあたる明治*)天皇が来る正月の上中旬の内に元服なされて、世の中を定める事。
【日記を見てわかること】
どうやら、中山卿以外のお公家さんは、前例もあって父親の喪に服する期間を短くすることを「孝道に背く」として総じて反対の立場であるということに、中山卿は「なんと世間知らずの公家たちであることか」と自身の日記で愚痴をこぼしていると分かる。
父帝の諒闇に服する期間を何とか短縮したいというのが最初の段落の主題だ。
段落の後は、唐突に「摂政」と「お八百」が登場する。摂政は少年天皇の明治天皇の摂政二条斉敬の事だ。その摂政に会ってお八百と称する人の姪の事で報告することがあるらしいと分かる。段落前とは異なる話だ。
そのお八百についても、ついでに調べてみた。当時の禁裏の女官には公家の娘しか入れないということと、考明天皇の行幸のシーンを扱った海音寺潮五郎の小説(小説名は調査中)の中に次の下りがある。
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「この度の行幸は五、六年は帰って来られないことになるかも知れないから、皇親王(後の明治天皇)をよくお育護して、天運長久を祈るように。皆よく心得ておけ」
と仰せられたところ、
堂上の高松家から入ってお局となっているお八百の方という方が、天皇に申しあげられた。
「天下の人が禁裏を尊崇し奉って、さして高いとも堅牢とも申せないただ一重のお築地を越えて犯し入ることがないのは、三種の神器があらせられるからです。
今の世は日増しに不安になっていますのに、その神器が陛下とともに御遷幸遊ばすのに、皇親王を御安泰にお育て申す道は万々ございません。
もし、久しくこの行幸をなし給うならば、恐れながら皇親王に三種の神器をお伝えになって(皇位を譲り給うての意になる)、即位の礼をなし給うべきでございます」
と押し返し、押し返し申し上げられた。
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それらをもとに、禁裏の後宮に同じ呼び名、候名(さぶらいな)は無いはずなので、堂上の高松家から入ってお局となっているお八百の方を調べてみた。
高松家、千種家〔羽林家〕-公卿類別譜(公家の歴史) を参照すると宮中の女房の官位をいただいている2人の女性がいた。
2人の候補者のうち、 公子 権典侍。称宣旨局・押小路 と記された、この女性が「局」と称している事が分かった。候名(さぶらいな)との照合は出来なかった(注)が、その姪の話で摂政の耳に入れなければならない話があったのであろう。詳細はわからない。
次の文は、加賀藩に上陸した異人の事だ。これも調べてみると、慶応三年 (1867) 七月、 石川県七尾港に三隻の英国船が到来していることが分かった。
前段落、一つ前の文とも全く関係がなく別件を述べている。
その次の文が、「奇兵隊の」だ。これも前3項目(①喪に服す期間の短縮、②摂政とお八百の姪、③加賀藩上陸の英国人)と全く関連の無い事柄を記している。
そして、段落を空けて 少年天皇である明治天皇が元服なさる事と続く。
①喪に服す期間の短縮、(段落)=以下箇条書き=②摂政とお八百の姪、③加賀藩上陸の英国人 、④奇兵隊、(段落)⑤明治天皇の元服 と中山卿の意識が 句読点を打っていることは明白だろう。
「奇兵隊の天皇」説は、段落を無視し、「父帝の諒闇」という文言を無視する荒唐無稽な説であるということだ。
上は下記のFBでの 長崎純心大学准教授の石井望氏と Yoshiie Minamoto 氏 と私とのやり取りを基に分かったことをまとめてみたものだ。
(注)お夏の方は「高松公子」だった。
『中山忠能日記』「正心誠意」 “明治天皇すり替え説”に根拠なし(追記) お夏の方 - kaiunmanzoku's bold audible sighs
*(中山忠能の娘慶子の子で忠能の孫にあたる明治)という部分を2017年8月11日に付け加えた。幕末維新に詳しくない方々がこの謬説に惑わされている可能性を考慮して、周知の事実と思われることも記述する必要があると考えた。