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ロシア暗殺皇帝の犠牲者たち

プーチン政権下の暗殺、同未遂、不審死、投獄等】
参考資料はWikipediaBBCニュース、Newsweek等各社ニュース

#プーチンの暗殺リスト

 

 

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1.
2024年2月16日 - ロシアの刑務所当局は16日、近年のロシアで最も著名な野党指導者だったアレクセイ・ナワリヌイ氏(47)が、収監されていた北極圏の刑務所で死亡したと発表した。ナワリヌイ氏の母リュドミラさんに渡された書類には、同氏は現地時間16日午後2時17分に死亡したと書かれていたとナワリヌイ氏の広報担当キラ・ヤルミシュ氏は明らかにした。プーチン大統領を最も声高に批判していた政治指導者だったナワリヌイ氏は、禁錮19年の実刑判決を受けて収監されていた。収監理由となった罪状は、プーチン政権の政治的狙いによるものと、広く受け止められていた。ナワリヌイ氏は昨年末、モスクワ近郊の刑務所から、最も警備が厳重とされる、北極圏にあるヤマロ・ネネツ自治管区の刑務所に移されていた。ヤマロ・ネネツ自治管区の刑務所当局は、ナワリヌイ氏が16日に散歩した後、「気分が悪く」なったのだと説明した。刑務所当局は、ナワリヌイ氏はそれから「ほぼすぐさま意識を失った」とコメント。救急医療チームがすぐに呼ばれ、蘇生しようとしたものの、ナワリヌイ氏は回復しなかったという。「救急チームの医師が、受刑者の死亡を宣告した。死因は現在、確認中」だと、刑務所は発表した。ナワリヌイ氏は15日にも、刑務所から動画リンクで審問に参加したばかりで、映像では元気で、笑っていた。BBCによると、ソーシャルメディアにナワリヌイ氏の側近のレオニード・ヴォルコフ氏が「ロシア当局が、刑務所でアレクセイ・ナワリヌイを殺したと告白文を公表した。これが本当かどうか、確認も証明することもできない」と書いている。25日にはウクライナのブダノフ情報総局長がナワリヌイ 氏が「血栓 で亡くなった」と語り、27日にFNNが「ナワリヌイ氏が極寒の屋外独房で毎日2時間半過ごさねばならなかったとの情報から、寒さで血栓ができたところに打撃を加えて殺す「ワンパンチ」と呼ばれる #暗殺 術が死因だったのではという見方もある」と伝えた。


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2.
2023年8月23日 - ロシアの民間軍事会社ワグネルの創始者エフゲニー・プリゴジン氏(62)らを乗せた自家用機が、モスクワの北西約300キロのトヴェリ州クジェンキノ村近くで墜落した。ロシア連邦航空局(ロサヴィアツィア)は、墜落したプライベートジェット機「エンブレアル・レガシー」の搭乗者リストにプリゴジン氏の名前があったと、墜落の約1時間後に発表した。ロシア連邦航空局はその後、プリゴジン氏のほかにドミトリー・ウトキン氏も墜落機に搭乗していたと発表。そのほか、セルゲイ・プロパスティン氏、エフゲニー・マカリャン氏、アレクサンドル・トトミン氏、ヴァレリー・チェカロフ氏、ニコライ・マツセイェフ氏が乗っていたという。ウトキン氏は、ワグネル共同創始者で司令官。チェカロフ氏はプリゴジン氏の親友で、アメリカ政府からプリゴジン氏と共に制裁されていた。その他の4人もワグネル関係者やプリゴジン氏の警備担当者だという。ワグネル系とされる「テレグラム」チャンネル「グレイ・ゾーン」は23日夜、ロシア軍がプリゴジン代表やウトキン氏を乗せた飛行機を撃墜したと伝えた。「グレイ・ゾーン」によると、クジェンキノ村の住民は飛行機が墜落する前に2回、爆発音を聞き、水蒸気の筋が2本伸びる様子を目にしたという。「グレイ・ゾーン」は、プリゴジン代表が「ロシアに対する裏切り者の行為の結果、死亡した」と書き、「しかし彼は地獄でも最高の存在になる!」とたたえた。


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3.
2023年4月17日 - ウラジーミル・カラ=ムルザ(英ケンブリッジ大学卒のジャーナリスト兼活動家)民主派グループ「オープンロシア」副代表、2015年と2017年謎の毒をもられ、意識不明となった。2022年4月には、ロシアのウクライナ侵攻を批判した後に拘束され、ロシア軍に関する「フェイクニュース」の拡散、「望ましくない組織」活動への関与、そして大逆の罪で起訴され、2023年4月17日、国家反逆、ロシア軍に関する「虚偽」情報の拡散、「好ましくない組織」への所属の各罪状で有罪とされ、禁錮25年の刑を受けた。裁判官は、厳格な矯正施設での服役と罰金40万ルーブル(約65万円)の支払いを命じた。禁錮25年は検察の求刑の最大限。反体制派の人物が受けた刑としては、ウクライナでの戦争が始まってから最も重いものとなった。また、ロシアの裁判所では、判決と量刑を言い渡すまで長い時間がかかることがあるが、この日はわずか数分で裁判官が判決に至った。


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4.
2022年12月24日 - パヴェル・アントフ(食肉加工業、ロシア・ウラジーミル州の議員)、インド東部オディシャ州ラヤガダのホテルでアントフの誕生日をホテルで祝っていた時、3階の窓から転落死亡。その数日前に、アントフの同行者も同じホテルで死亡している。


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5.
2022年12月9日 - イリヤ・ヤシン野党政治家、ユーチューブで西側ジャーナリストが暴露したキーウ近郊ブチャでのロシアの残虐行為の証拠について言及、ロシア軍による戦争犯罪の可能性を捜査するよう求めるとともに、プーチン大統領を「この戦争で最悪の殺人者」と呼んだ。このライブ配信により、ヤシン氏はロシア軍に関する「偽情報の拡散」の罪に問われ、8年半の禁錮を受けた。この罪を定めた法律は、2022年2月のウクライナ侵攻開始直後に、ロシア議会で急ぎ制定されたもの。


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6.
2022年9月28日 - パヴェル・プチェルニコフ(ロシア鉄道子会社「デジタル・ロジスティックス」の最高経営者)、モスクワの自宅アパートのバルコニーで銃で自殺したと報じられる。死亡


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7.
2022年9月21日 - アナトリー・ゲラシチェンコ(モスクワ航空研究所元所長)、モスクワの研究所内の階段から転落。死亡


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8.
2022年9月14日 - ウラジミール・スンゴルキン(コムソモリスカヤ・プラウダ編集長)、 報道によると、ハバロフスク地方ロシチノ村で昼食に向かう途中で脳卒中を起こし、窒息死


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9.
2022年9月10日 - イヴァン・ペチョーリン(極東・北極圏開発公社の航空部門幹部)、ウラジオストクから160kmのベレゴヴォエで遺体が発見される。ウラジオストクイグナチェフ岬で溺死し、2日後にベレゴヴォエで遺体が発見された。自分のボートから転落したと報じられる。


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10.
2022年9月1日 - ラヴィル・マガノフ(ロシアの石油大手ルクオイル会長)が1日、死亡した。モスクワ市内の病院の6階の窓から転落したと報じらた。2月にロシアがウクライナ侵攻を開始した際、ルクオイルの役員会は紛争の早期終結を求めると表明し、「この悲劇」の犠牲者に同情すると述べた。4月にはワギト・アレクペロフ社長(当時)が、侵攻への対応を理由にイギリスから制裁を科されたことを受け辞任している。


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11.
2022年7月4日 - ダン・ラポポート(実業家)、 ワシントンD.C.にある自宅の高級アパートから転落死したと報じられた。


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12.
2022年5月8~9日 - アレクサンドル・スボティン(ルクオイルの取締役)、 モスクワ郊外の呪術師の自宅地下室で当時アルコールと薬物の影響下にあったスボティンの「二日酔いを和らげる」儀式後に心臓発作で死亡したとされている。「ヒキガエルの毒」で毒殺されたとの説もある。


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13.
2022年5月2~3日 - アンドレイ・クルコフスキーガスプロムが所有するエストサドクのスキーリゾート「クラスナヤ・ポリャナ」のゼネラルディレクター)、ソチの アチプセ要塞付近の崖からハイキング中に転落死したと報じられた。


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14.
2022年4月19日 - セルゲイ・プロトセーニャ天然ガス大手のノバテク社の元副会長)がスペインのリゾート地で妻と娘とともに遺体で発見された。スペインの地元警察は、プロトセーニャ氏が家族を殺害した後、自殺した可能性があると話している。死亡


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15.
2022年4月18日 - ウラジスラフ・アバエフ(ロシア有数の銀行・ガスプロムバンクの元副社長)がモスクワ市内の自宅で妻と娘とともに死亡した。モスクワ市の捜査当局は、一家心中の可能性があると発表。


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16.
2022年3月23日 - バシリー・メルニコフ(医薬品会社メドストムのCEO兼オーナー)ロシア中部ニジニ・ノブゴロドで家族(妻と二人の息)とともに一緒に刺されて死亡しているのが発見された。


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17.

2022年3月上旬ウクライナ国家安全保障会議議長のオレクシー・ダニーロフは、ウォロディミル・ゼレンスキーが1週間で3回もの暗殺未遂を生き延びたと述べた。ダニーロフは、FSB内部の反戦諜報員がチェチェンからの2つの暗殺集団による計画攻撃についてウクライナ軍に情報共有したと明らかにした。2022年2月初旬、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、チェチェン共和国の指導者ラムザン・カディロフウクライナ指導部を排除するよう指示、3月初旬、ウクライナ諜報機関は、ゼレンスキー暗殺に派遣されたチェチェンのコマンド部隊は、ウクライナに賛同するロシア連邦保安庁FSB)のエージェントの助けを得て「排除」されたと述べた。なお、2022年2月下旬までに、ゼレンスキーを暗殺し、ロシアが支配するのに十分なほどに政府を不安定化させる命令を受けたワグネル・グループのロシア人傭兵400人以上がキ-ウにいたと報告されている。

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18.

2022年2月28日 - ミハイル・ワトフォード(実業家)ウクライナ生まれ、イングランドのサリーにある自宅で死亡しているのが発見された。

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19.

2022年2月25日 - アレクサンドル・チュラコフガスプロムの金融証券部門副理事)、サンクトペテルブルクの邸宅のガレージで死亡遺体から遺書が発見された。

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20.

2022年2月8日 - イーゴリ・ノソフ(極東・北極圏開発公社(KRDV)社長)、モスクワ 脳卒中を起こしたと報じられた。死亡

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21.

2022年1月30日 - レオニード・シュルマン(エネルギー大手ガスプロムの輸送部門責任者)、レニングラード地方の別荘の浴室で死亡しているのが発見され遺体のそばには遺書があったと報じられた。

 

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22.

2020年8月20日 - アレクセイ・ナワリヌイがシベリアのトムスクから旅客機でモスクワに向かう途中で体調不良に陥ったため、旅客機はオムスクに緊急着陸し、ナワリヌイはオムスク市第1臨床救急病院に収容された。旅客機内で彼の健康状態は突然急激に悪化しており、ビデオの映像には、客室乗務員が彼に走り寄る様子や、同時に彼が痛みに苦しんで叫び声を上げる様子が捉えられている。病院は最初はナワリヌイが毒を盛られたであろうと認めたが、その後病院の副医長は毒物は「考えられる多くのシナリオの1つである」と発言を後退させた。オムスクで治療にあたった医師は当初、病状が悪すぎて輸送はできないと主張したが、後にナワリヌイを解放したもで、ナワリヌイはドイツのベルリンにあるシャリテー – ベルリン医科大学に飛行機で輸送された。8月24日、ドイツで治療している医師らは、ナワリヌイがコリンエステラーゼ阻害剤による毒を盛られたという証拠を発見したと発表し、9日後の9月2日にはドイツ政府も同様の見解として、血液サンプルの検査からコリンエステラーゼ阻害剤の一種であるノビチョクの使用を裏付ける疑いのない証拠が得られたと発表した。また、ドイツ政府はフランスとスウェーデンに検査結果の検証を依頼していたが、両国の研究所も検証の結果として神経剤の使用を確認している。ロシア政府は8月25日、ナワリヌイへの毒物混入にプーチンが関わっていると非難する意見を否定した。ロシア連邦刑務所局は2020年12月28日、ナワリヌイに対し帰国とモスクワにある当局事務所への出頭を命令、帰国しない場合は収監すると警告した。また、翌月12日にはナワリヌイが執行猶予の条件を破ったとして、当局が裁判所に同氏の収監許可を要求した。ナワリヌイは2021年1月13日、同月17日に帰国すると発表、1月17日の夜にモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港に到着するも当局に拘束された。

 

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23.
2017年3月23日 - ウクライナに亡命していたデニス・ボロネンコフ元ロシア下院議員が、首都キーウ中心部で銃撃され殺害された。実行犯はボディーガードと銃撃戦の末現場で拘束されたが、その後病院で死亡した。ボロネンコフはロシア連邦共産党に所属し、ロシア政府やプーチン大統領への批判的な発言で知られていた。


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24.
2015年2月27日 - ロシアのボリス・ネムツォフ元第一副首相暗殺モスクワ中心部で4発の銃弾を受けて殺された。

 


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25.

2013年3月23日 - ボリス・ベレゾフスキー氏(ユダヤ系ロシア人、新興財閥(オリガルヒ)の一角)イギリス死去。自殺だと報じられている。国営放送のロシア公共テレビ(ORT)民放のTV6、ロシア有数の経済誌であるコメルサント紙、ネザビシマヤ・ガゼータ(独立新聞)、週刊誌アガニョーク、ヴラスティなどを次々に支配下に置き、恣意的な世論形成を行った。2000年3月の大統領選挙では、ウラジーミル・プーチンを支持するが、プーチンは逆に新興財閥の影響力を削ぎにかかる。ベレゾフスキーは、プーチンに対抗して反対勢力を糾合しようとするが、一般市民の間で「国賊」扱いされ、敵の多かったベレゾフスキーは賛同者を得られず、逆に同年7月下院議員を辞職。2001年、ベレゾフスキーは保有していたORTの株式49%を、ロマン・アブラモヴィッチに売却する形で放棄せざるを得なかった。ロシア最高検察庁は、アエロフロート資金の横領疑惑などでベレゾフスキーへの追及を強め、逮捕を恐れたベレゾフスキーは国外に脱出した。2002年10月、本人不在のまま、最高検察庁は、詐欺の罪でベレゾフスキーを起訴した。亡命先のイギリスではプーチン政権に対する批判を続け、2007年4月13日付けのガーディアン紙のインタビューでは「プーチン政権を武力によって転覆しなければならない」と発言し、ロシア政府の反発を招いた。2007年6月21日、ベレゾフスキーに対する殺人謀議容疑でロシア人男性1人がロンドンで拘束された。前年にアレクサンドル・リトビネンコの毒殺事件が起こっており、イギリスはロシアに実行犯の身柄引き渡しを求めていた時期で、英国在住ロシア関係者の暗殺計画がロシアにある可能性が疑われ、両国の関係悪化に拍車がかかった。容疑者は起訴されず2日後に釈放され、ロシアに強制送還された。7月18日にベレゾフスキーはロンドンで記者会見を開き、指示を出したとしてプーチンを非難した。

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26.

2009年11月16日 - セルゲイ・マグニツキー(ロシアの弁護士 37歳没 獄中死)、セルゲイ・マグニツキーは法執行機関と税務当局を舞台にした2億3000万ドル(当時のレートで約256億円)もの巨額横領事件を告発した。そして一年以上モスクワで拘留されながら暴力を受け続け、2009年に獄中死した。アメリカはこの事件を受け、2012年、関係者のビザ発給禁止や資産凍結を行うマグニツキー法を制定した。米国で2012年に採用されたロシアを対象としたマグニツキー法は、2016年に「グローバル・マグニツキー人権問責法」(Global Magnitsky Human Rights Accountability Act)として新たに採用され、2017年12月21日より施行されている。

 

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27.
2006年11月23日 - 元ロシア情報将校アレクサンドル・リトビネンコロンドン中毒死。体内で放射性物質ポロニウムが検出された。元KGB出身のロシア人ビジネスマンや、プーチン政権と対立するユダヤ系ロシア人の政商などの関与説が流れる。2000年に自著『Blowing Up Russia: Terror From Within』のなかで、1999年に発生したロシア高層アパート連続爆破事件チェチェン侵攻の口実を得ようとしていたプーチンを権力の座に押し上げるため、FSBが仕組んだ偽装テロだった」と証言している。この一連の爆破事件での死傷者は600人余り(死者295人、負傷者406人)だ。

 

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28.
2006年10月7日 - ロシアのプーチン政権に対する批判的論陣で知られたジャーナリスト・アンナ・ポリトコフスカヤモスクワ市内の自宅アパート建物エレベーター内で射殺。監視カメラの映像より、チェチェン人2名が逮捕される。


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29.
2004年5月9日 - チェチェン共和国大統領アフマド・カディロフ暗殺。チェチェン武装勢力は、犯行はロシアの自作自演と主張したが、後に犯行声明を出した。


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30.
2003年10月 - ミハイル・ホドルコフスキーユダヤ系ロシア人で石油会社ユコス社の元社長。新興財閥(オリガルヒ)のひとり)民主派グループ「オープンロシア」創立者ロシア連邦共産党を含む野党に資金援助した後、脱税と窃盗で禁錮10年の実刑判決。ホドルコフスキーの逮捕・追及は、2003年後半にホドルコフスキーがプーチン大統領への批判を公言し始め、野党に対し献金を行っていたことが直接的な原因であるが、さらにエリツィン時代に台頭したボリス・ベレゾフスキーやウラジーミル・グシンスキー等のロシアの新興財閥(オリガルヒ)を抑圧するなど、これ以上のロシア政治への関与に反対するシロヴィキを中心としたプーチン政権側の警告というのが一般的な見方。その後シベリア・チタ州(現在はザバイカリエ地方)の刑務所に収監された。2005年10月、プーチン大統領(当時)の誕生日を前に、面会に来た親族や弁護士を通し「色々と大変でしょう、中佐殿」(プーチン氏は軍での階級は中佐で、階級の上では大佐など上司がいることになる)といった皮肉をこめた表現を織り交ぜて、誕生日を祝った。半年後の2006年4月、刑務所で他の囚人にナイフで斬りつけられた。メドヴェージェフ政権発足後の2008年7月16日、刑期の半分が過ぎたことから仮釈放を申請したが、同年7月22日、ザバイカリエ地方チタ市の地区裁判所はこれを却下した。2010年末、刑期の2017年までの延長が決定された。2013年12月19日、プーチン大統領は恩赦について明言。翌20日にホドルコフスキーは釈放され、同日ドイツ・ベルリンのシェーネフェルト空港に到着。その後、ロンドンへ移った


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31.
2002年3月20日 - ロシア・チェチェン武装勢力ハッターブ司令官暗殺ロシア連邦保安局による。


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32.
2000年5月17日 - ルスラン・シャミレヴィチ・アリハジエフチェチェン・イチケリア共和国の議会議長)、2000年にロシア軍によって強制失踪。2000年5月17日、アリハジエフは装甲車両とヘリコプターでシャーリーの自宅に到着した制服を着たロシア兵の大規模なグループによって拘束された。 当時アリハジエフは4人の未成年の子供たちと一緒にいて、病気の母親の世話をしていたので、抵抗しなかったという。 彼は手錠をかけられ、目隠しをされ、装甲車両で近くの場所に連行され、そこで最後に目撃された。 この夜、さらに5人の男が彼と一緒にシャリーの他の場所で拘留されたが、翌日全員が釈放された。 5月25日、FSBワレリー・マニロフ大佐は記者会見で逮捕を認め、8月1日国営通信社RIAノーボスチは「マスハドフの最も緊密な同盟者の一人であるルスラン・アリハジエフがFSBの特別作戦で捕らえられた」と発表した。


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33.
1999-2002 アフマドフ兄弟チェチェンサラフィー主義のジハード主義者であり、チェチェン最強の軍事力であるウルス・マルタノフスキー・ジャマートを指揮していたロシアの執拗な敵だった。アフマドフ兄弟は、1990年代後半に故郷のウルス・マルタンを支配していた。10人の兄弟全員がロシアとの戦いに参加しており、そのうち7人がロシアに殺されたという。

 

 

 

R. I. P Alexei Navalny 暗殺皇帝と戦った勇者の冥福を祈る 2024年2月16日

 

 

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37.

2023年4月2日 - ロシア第2の都市サンクトペテルブルクのカフェで2023年4月2日午後、爆発が起き、親プーチン政権派の著名軍事ブロガー、マクシム・フォミン(ウラドレン・タタルスキー)氏が死亡した。フォミン氏は「ブラドレン・タタルスキー」を名乗り、通信アプリ「テレグラム」でロシアによるウクライナ侵略の経過を報告していた。フォミン氏の死亡を受け、露外務省のザハロワ報道官は2日、「彼の仕事はウクライナの憎しみを引き起こしていた」とし、殺害にウクライナ側が関与した可能性を示唆。一方、ウクライナのポドリャク大統領府長官顧問は「ロシア内部の闘争だ」とし、ウクライナの関与を否定。露経済紙コメルサントによると、フォミン氏はウクライナ東部ドネツク州で1982年に生まれ、2011年、銀行強盗の罪で服役。14年に勃発したウクライナ東部紛争に際して刑務所から脱走し、親露派武装勢力側で戦闘に参加した。後に恩赦を受け、露国内に移住。昨年2月に始まったウクライナ侵略でも親露派武装勢力の部隊に参加したほか、テレグラムなどで前線の戦況などを発信し、56万人以上のフォロワーを獲得していた。フォミン氏は「全員を殺し、全てを奪う」など過激な発言も行っていた。インタファクス通信によると、露治安当局は事件同日、爆発物を使ってフォミン氏を殺害した疑いで、同市在住の20代の女、ダリア・トレポワ容疑者を拘束。ダリア・トレポワは、2024年1月25日サンクトペテルブルクの裁判所で、テロ罪や文書偽造罪などで、禁錮27年の判決を受けた。トレポワは2022年2月の侵略開始後に、反戦デモに参加して拘束された経歴がある。露情報・治安機関の横断組織「国家反テロ委員会」は、2023年の爆破事件時にロシアの反政権運動指導者で当時収監中のアレクセイ・ナワリヌイ氏が創設した組織が爆発に関与したと主張し、ナワリヌイ氏が獄中から反戦運動を呼びかけていたことに関連づけたが、名指しされた組織の幹部は関係を否定した。

 

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36.

2024年1月25日 - ロイター通信によると、モスクワの裁判所は25日、過激な活動を扇動した罪に問われた著名な軍事評論家イーゴリ・ギルキン(ストレルコフ)被告(53)に対し、禁錮4年の判決を言い渡した。ギルキン氏は情報機関「連邦保安局」(FSB)の元大佐。ギルキン氏はロシアのウクライナ侵略を支持する立場からSNSで発信する「軍事ブロガー」の代表格で、今春に政治団体「怒れる愛国者クラブ」を設立した。反乱を起こした民間軍事会社「ワグネル」の創設者エフゲニー・プリゴジン氏をライバル視、ギルキン氏はロシアによるウクライナ侵略を支持する一方、「進め方がおかしい」などとプーチン政権を激しく非難してきた。ギルキン氏は2023年7月21日、SNSで「23年間、取るに足らない国家元首が国民の大半をだましてきた」などと批判して拘束されていた。一時期はプーチン氏から重用され、2014年に親露勢力がウクライナから一方的に独立を宣言した「ドネツク民共和国」の「国防大臣」を名乗っており、同年にウクライナ東部でマレーシア航空機が撃墜され298人が死亡した事件に関与したとして、2022年にオランダの裁判所から終身刑を言い渡されていた被告3人の1人。

 

 

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35.

2024年2月21日 - 米紙ニューヨーク・タイムズなど外信は21日、ウクライナ戦争を支持してきた親クレムリン(ロシア大統領府)のブロガー、アンドレイ・モロゾフ氏(44)が同日死亡したと報じた。テレグラムで「Murz」を名乗っていたモロゾフ氏は、ウクライナ東部アウディーイウカでロシア軍が昨年10月に猛攻を開始して以来、兵士およそ1万6000人と装甲車300両を失ったと投稿していた。モロゾフ氏は20日に突然、この投稿を削除し、翌21日に別の内容を投稿して自身の暴露のせいでロシア軍司令部と親政府宣伝家らから圧力を受けていると主張。さらに、脅迫が続くのなら自ら命を絶つともつづった。その直後に死亡のニュースが伝えられた。モロゾフ氏の死が衝撃的な理由は、これまでに命を落とした反プーチン派の人物たちとは異なり、モロゾフ氏が基本的にロシアのウクライナ侵攻を一貫して支持してきた人物だからだ。ロシア軍の深刻な被害状況を暴露したことについても、ロシア軍が置かれている苦境にもっと関心を持ってもらうために、公益的な目的から暴露したのだと明かしていた。ニューヨーク・タイムズは「戦争の初期には、戦争ブロガーらがロシアの軍隊を批判することがあっても、彼らがロシアの軍隊を支持して軍隊の問題に対する関心を呼び起こすというプラスの効果があるためロシア政府はさほど問題にしていなかった」とした上で「しかし昨年、民間軍事会社ワグネルのトップ、エフゲニー・プリゴジン氏が反乱を起こしたのを機に、基調が正反対に変わり、ロシア軍に反対の立場を取ると激しい弾圧を受けるようになった」と指摘した。主に戦況を生配信し、自軍と敵軍の作戦について論じる軍事ブロガーらに、ロシア軍に有利なニュースだけを伝えるよう圧力がかかっている。露政府は「最小限の被害で攻略した」(セルゲイ・ショイグ国防相)と主張しており、投稿が「露軍の名誉を傷つけた」と思われる。

 

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34.

2024年3月19日 - スペインの国営通信社EFEは、南部アリカンテ近郊のビジャホヨサで13日に射殺されて発見された遺体がマキシム・クズミノフ氏のものであると報じた。EFEによると、クズミノフ氏はウクライナのパスポートを所持、偽名でスペインで生活していた。同氏は2023年8月9日にロシアの軍用ヘリコプター「ミル8」を操縦してウクライナに逃亡した。スペイン当局は、遺体は銃弾で蜂の巣状になっていたとしていて、死亡した経緯を調べている(2024年2月20日現在)。また、AP通信によると、遺体は車にひかれていたという。ウクライナのメディアは2024年2月19日、国防省情報総局の話として、昨年8月にヘリコプターを操縦して侵攻下の同国に亡命したロシア軍パイロットが、スペインで死亡したと伝えた。関係筋は「彼は自らスペイン移住を決めた。元恋人を呼び寄せた後、銃撃された状態で見つかった」と語った。タス通信によれば、ロシアのプーチン大統領側近のナルイシキン対外情報局(SVR)長官は20日、クジミノフ氏を「裏切り者」と断罪し「この裏切り者の犯罪者は汚く恐ろしい犯罪を計画した瞬間から、道徳的にはすでに死んでいた」と話した。

 

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