「愛国無罪」は、「国を愛することから行われるならば罪にはならない」と説明されることもあるが誤りだ。
中国共産党とその支配体制、その政治宣伝を積極的に受け入れる言動をする。それを「愛国無罪」と正当化しようとしているだけで、そのことで生じた罪に罰が課せられるかどうかは中国共産党の都合次第だ。そこには祖国や故郷や指導者や同胞に対する「愛」など必要ではない。
中国共産党が支配する牢獄の中では、全ての社会矛盾は党の政治宣伝によって作り出された敵や不正を打倒・排除することで解決されていく。中共独自の共産主義に限らず、あらゆる共産主義には「敵」が必要だ。なぜなら共産主義は「独善」が大前提の教条主義であり、「敵」なしに「独善」も共産党も存在しえないからだ。
つまり、福島における処理済水がいかに科学的に信頼できるかが重要なのではなく、党の主張(福島の原発から出る水は汚染水である)が党是であると政治宣伝によって位置づけられる場合、まず、その真実化/正当化を実現しようとする。
その主張が党にとって価値を持つなら、その主張を正当化するための儀式、思考法、生活様式、ルールを社会に認知させ、実施させる必要がある。だから、中国共産党が支配する牢獄の中では、それらをグループや社会の構成員に道徳的に価値あることと思わせ、義務付け、習慣化させ、法的拘束力を与えられるのだ。
この行為は怏々として「独善」であり、その価値観や主張は「教条的」である。
この意味で中国共産党とその国家体制はカルトと言える。
2023年8月31日の読売新聞朝刊から