kaiunmanzoku's bold audible sighs

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四十二章経 漢文と簡単な解説

『四十二章経』の原文(漢文)とその意味を知りたい方のために簡単な解説

 

佛言      

仏様は仰られた。

人離悪道。得為人難

三悪道(地獄、餓鬼、畜生)から離れて人間に生まれるのは難しい

既得為人。去女即男難

人間となっても、男として生まれるのが難しい

既得為男。六根完具難。

男となっても体や精神の機能に何も欠点なし(六根清浄)で生まれるのが難しい

六根既具。生中国難

六根揃ってても、中国(文明が栄え仏の教えが説かれている国)に生まれるのが難しい

既生中国。値佛世難。

中国(文明が栄え仏の教えが説かれている国)に生まれても、ちょうど佛が世に居る時生まれるのは難しい

既値佛世。遇道者難。

佛が世に居る時期に生まれても、善知識(道者)と遭遇するのが難しい

既得遇道。興信心難。

道に遭遇しても、これを信じる事が難しい

既興信心。発菩提心難。

佛道を信じるようになっても、自ら菩提心を起こして修行に入るのが難しい

既発菩提心。無修無証難。

菩提心を起こしても、証得するまでが難しい

 

上記は下記に収録済みだが、検索の便のため独立して書き記しておくこととした。

中国(文明が栄え仏の教えが説かれている国)と断り書きしている理由も下記で是非にも参照願いたい。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

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支那弟子 玄宗皇帝 梵書を詠む 「支那」は皇帝から庶民までが自称する呼称

支那」が皇帝から庶民までが自称する呼称だった証拠


この画像に書かれた漢詩の意味を誰かが日本語で解釈していないものかとインターネットで調べたが、見つからなかった。

仕方がないので自分で訳す。


但し、読み下しは苦手なので、誤魔化しながら訳すとこうなる。

原文:鶴立蛇形勢未休,五天文字鬼神愁。支那弟子無言語,穿耳胡僧笑點頭。

 

鶴の立ち姿、蛇の動く様、その陰陽の勢いは休むところがない
五天の文字(五天竺の文字「梵書」)に天地の霊魂は沈思し
支那仏弟子玄宗皇帝自身)は語るに言無く
耳に穴をあけた外国僧たちは微笑んで頭を下げる

 

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は、鶴の立ち姿の端正さや羽ばたきの力強さを「陽」とし、蛇のクネクネとした形の変幻自在さとリズムや獲物に襲い掛かる時の瞬発力を「陰」とする考え方が、チャイナの文化にある。玄宗はその陰陽の力強くリズミカルな動きを梵字の中に見たという事だろう。

五天とは、東天、西天、南天、北天、中天(中央の天)ということで、五天竺を指す。

穿耳とは耳に穴を開けている(ピアスしている)ことで、当時の文明先進国である天竺僧と西域の僧侶の流行だった。それに対して、唐の僧にはそんな習慣はなかった。比喩的には仏教典を梵書で読み慣れ聞きなれしていて、仏教の奥義に近いところにいる天竺や西域の僧仏弟子になって間もない唐の人々ということを比喩を用い対照的に表現していると思われる。

文明最先端の天竺・西域と発展途上の唐という対比が面白い。

 

いしゐのぞむ氏の解説

鶴立蛇形のやうな五天竺の文字(梵語)には鬼神すらも困り果てる。

支那仏弟子らは誰も解し得ず、

外國僧たちは、あきらめ微笑んでうなづく。

 

要するにチャイナ人が誰も梵語を讀めなかったことです。

 

 

支那」と「中国(中國」の呼称について関連のブログは下記です。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

垂仁天皇七年七月 野見宿禰(ノミノスクネ)と當麻蹶速(タギマノケハヤ)に捔力(すまいとらしむ)

日本書紀 垂仁天皇

 

七年秋七月己巳朔乙亥 左右奏言 當麻邑有勇悍士 曰當麻蹶速 其爲人也 強力以能毀角申鉤 恆語衆中曰 於四方求之 豈有比我力者乎 何遇強力者 而不期死生 頓得爭力焉 

天皇聞之 詔群卿曰 朕聞 當麻蹶速者 天下之力士也 若有比此人耶 

一臣進言 臣聞 出雲國有勇士 曰野見宿禰 試召是人 欲當于蹶速 

即日 遣倭直祖長尾市 喚野見宿禰 於是 野見宿禰自出雲至 

當麻蹶速野見宿禰捔力 

二人相對立 各擧足相蹶 則蹶折當麻蹶速之脇骨 亦蹈折其腰而殺之 

故奪當麻蹶速之地 悉賜野見宿禰 是以其邑有腰折田之縁也 野見宿禰乃留仕焉

 

 

垂仁天皇の即位七年の秋七月の己巳(つちのとみ)の朔(ついたち)にして乙亥(きのとい)に左右(モトコ)が申し上げる。


「當麻邑(タギマノムラ)に力強く逞しい人がいる。當摩蹶速(タギマノケハヤ)という。その為人(ヒトトナリ)は力が強くて、動物の角を砕き、鉤(カギ=湾曲した金属)を伸ばしてしまうほどだ。

つね日頃、村人たちに 四方(ヨモ=周辺)にこういう人を探していると言っているそうです。

『私と力比べをする人がいるだろうか? いずこかの強力者(チカラコワキモノ)に会って、死生(シニイクコト)を考えることなく、納得がいくまで争力(チカラクラベ)をしたいものだ』

と」


天皇はそれを聞いて、群卿(マヘツキミタチ)に命令として仰られました。


「わたしも聞いた。
當摩蹶速(タギマノケハヤ)は天下の力士(チカラビト)だと。これに並ぶ人はいないものか」


一人の臣(マヘツキミ)が進み申し上げました。


「臣(ヤツカレ)が聞いたところ、出雲国に勇士(イサミビト)がいます。野見宿禰(ノミノスクネ)といいます。試しにこの人を召し寄せて、蹶速(ケハヤ)と戦わせたいと思います」


即日、今の倭直(ヤマトノアタイ)の先祖にあたる長尾市(ナガオチ)を派遣なされて、野見宿禰(ノミノスクネ)を呼び寄せました。

 

そういうことで、野見宿禰(ノミノスクネ)は出雲より到着しました。

すぐに當摩蹶速(タギマノケハヤ)と野見宿禰(ノミノスクネ)に捔力(スマヰ)を取らせました。

二人は相対して立ち、それぞれが足を上げて互いに蹴り合ったのです。

その結果として、當摩蹶速(タギマノケハヤ)の肋骨を蹴り折り、またその腰を踏み折って殺してしまいました。

そういったわけで、當摩蹶速(タギマノケハヤ)の所領を召上げ、ことごとく野見宿禰(ノミノスクネ)へ褒美としてお与えになりました。

 

これが、その邑に『腰折田(コシオレダ)』がある由緒です。

野見宿禰(ノミノスクネ)はその土地に留まり、朝廷に仕えました。

 

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捔力」(すまヰ)(すまいとらしむ=令捔力)とは、日本書紀本文中に 

強力以能毀角申鉤 強き力を以って能く角を毀わし、鉤をのばす 

とあるように、力が強くて、動物の角を砕き、鉤(カギ=湾曲した金属)を伸ばしてしまうような才能・(武)芸のことで、手偏に角の文字として表現される能力と、その能力を競うこと両方の意味であろう。

なお、「申鉤」の「申」には、雷のように伸びるの意味があり。素手だけで一瞬のうちに金属製の鉤を伸ばしてしまう様を想像できる。

 

 

ブログアップ当日のFBへの書き込みコピペ

【相撲・角力は「捔力」(すまヰ)という和語の漢字の当て字】
相撲と書くと、字義的には互いに殴り合う事だ。相=たがいに。二者の間で。撲=うつ。なぐる。
なるほど「殴るな」と言う方が間違っている事にもなりかねない。少なくとも現代の土俵上ではね。
しかし、日本書紀まで戻って調べてみると捔力「すまヰ」という和語の当て字で「力比べ」が原義らしい。
日馬富士のおかげで相撲の部分を現代語訳する羽目になった。

 

 

戦意形成に影響する世論

 日本につけが回って来なければ良いのですが・・・。

 

戦いの前に多くがエキサイトして「正義の戦い」を歓迎したとしても、遺骨や遺体袋が帰国し始める頃には人の命と正義とを秤にかけて思案し始める。

その時までに「正義」が勝利する見込みがなければ、近代民主主義国の戦争は継続不可能となる。

ベトナム戦争がその最初の教訓だろう。

 

50年代までは新聞を代表とする活字メディア。

60年代以降はテレビマスコミの力。

次の大戦争はインターネットの力だ。


北朝鮮は自国の情報統制だけは優位と言える。

 米国世論を敵に回すトランプ氏は苦戦するかもしれない。

 

 

 

 

共通の物差しを持てることを社交性・教養という

語彙力は多いほど良い。物事の本質をとらえる能力が大きくなるからだ。

 

なぜなら、芸術という例外を除き、語彙で表せる概念こそがこの世の森羅万象を(この世で考えられ、表現できる限りという前提条件であれば、あの世すらも)表現することができる道具だからだ。

 

 我々凡人が語彙に表せない物事も直感でその本質を捉えられる天才が往々にいる、それをそう感じ取れたが故に天才は天才と呼ばれるのだろう。だがそういう天才ですら、芸術という方法を除いては、その感動や才能や発見や主張を語彙を豊富に語ることなければ、人々にその成果を伝えるのは甚だ難しい。

天才の業績が、その分野に関心のない人々に、分かりづらいのはそのせいと思う。

 

天才も含め、世の人々に伝えられる事柄というのは、芸術を除いて、多くは言葉を介したものでしかない。凡人は凡人の言葉で表現しうる範囲で真実や真情を語るのみだ。人は自分自身と同じで誰でもそんなに感受性や感情に置いて変わりはないと信じていてすら、自分の伝えたい真実や事実、感情や思いを人に伝えるのは困難だ。

 

だからこそ、ある言語を学んでその民族の文化や道徳観に触れることが出来るという経験は非常に貴重だ。

 

豊富な語彙で真実や真情の大きさや深さを伝えられることは、色形も様々で大小いろいろな器を持っていることに似ている。

 

その反対に、ある民族が、芸術を生み出せず、言葉も貧弱ならば、文化も歴史も貧弱にならざるを得ないだろう。器の種類も大きさも少ないがゆえに、真実や心情も伝えがたいものとなるからだ。

そして、その民族の社会はパターン化した教条と過激な儀式に支配されるだろう。教条と儀式は集団共通の感動や感情を共有する道具である。豊富な語彙で真実や真情の大きさや深さを伝えられないなら、器の代わりに音や行動で代用するしかないではないか。

 

それはつまり、喜怒哀楽とその情緒の強弱を、大小の音や行動で表現して伝えようとするということだ。客人歓迎のダンスであったり、勝利と服従の儀式がその典型だ。

 

困るのは、彼らが他の豊富な語彙を持つ、それゆえにダンスや儀式なしにコミュニケーションをとる民族と接する時だ。貧弱な語彙しかない彼らが豊富な語彙を受け止めようとすれば、器の種類も大きさも少ないがゆえに、ものによってはあふれ出てしまうし、漏れ出してしまう。

つまり、他民族と共有しえる感情に齟齬を生じてしまう。共通の尺度で物事を推し量れない事態になるということだ。

 

共通の尺度を何かで共有出来なければ社交が難しいのは、一個人でも、ムラ社会でも、国家でも同じである。

 

他者を貶める事、共通の敵を持つことのみを仲間同士の唯一の共通の物差しとする人々の集団には外の世界をもっと自由に体験することが必要だと言いたい。

北朝鮮との前哨戦 中華従北プロパガンダを殲滅せよ 徴用工 慰安婦 海洋資源保護 南京

【北との戦争を避ける条件とプロパガンダ戦】

北朝鮮中共と対峙する時、戦争を回避する方法は次の3つだと思っている。
①日本との戦争を避けたいと思わせる。
②日本を核の人質に取れないと思わせる。
③日米同盟は盤石と思わせる。

 

①は防衛力や報復能力を高めることだ。抑止力ともいう。日本を攻撃して得られる利益より反撃や報復によって受ける自国のダメージが大きいと容易に分かる場合、彼らは攻撃という手段を諦めるだろう。

②は彼らと同じように核の傘を持つこと。いついかなる場合も核の傘は日本の意思によってコントロールされるということだ。または、彼らの核攻撃能力を無力化する能力を持つことによっても達成できる。

③の日米同盟は日本の自衛能力と米国の核の傘を含む報復能力からなる。


思うに、①②は達成できていないし、今後も国論を統一して法制化や軍備や防災シェルター等の整備が必要となり、時間的にも経済的にも困難が伴うだろう。

したがって、辛うじて③だけが今直ぐ日本が採り得る唯一の手段となっている。言わば、日米同盟は現況の日本の死守すべき砦だ。

 

中共北朝鮮南朝鮮の従北派からすると、日米分断、日韓分断、米韓分断、米国における反日プロパガンダによる米世論の分断、米国民と米政府の分断が効果的な理由がそこにある。

 

今、この時期に慰安婦問題・徴用工問題・捕鯨問題(海洋生物保護)・南京事件が地球上のあちらこちらで騒がれるのは偶然ではない。

反日プロパガンダによって中華従北勢力が得られる果実は大きいのだ。


例えば、サンフランシスコ市の慰安婦像問題で日米世論が分断されたり、米国民と米国政府のギャップが広がれば(親トランプvs反トランプ)、中共北朝鮮の得られる利益は大きい。「反トランプ陣営と山分けしてもペイする」と彼らは宣伝する価値があるというわけだ。


だから、今、慰安婦問題や南京事件等々の反日プロパガンダに対抗する戦いは、半島における北朝鮮との戦争に先駆けて、共産全体主義陣営に対して自由陣営が総力戦で優位に立つための戦いだと言える。

 

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No more #CNKP(Chinese and North Korean Propaganda)
殲滅 #中華従北プロパガンダ #徴用工 #慰安婦 #軍艦島 #海洋資源保護プロパガンダ

#ForgedHistory #FAKEOFNANKING #YasukuniWorldPeaceShrine #ComfortWomenPropagandaDeception #SouthKorea #Hypocrisy #ComfortWomen
#KoreanMilitaryComfortWomen #LaiĐạiHàn #라이따이한 #洋公主

慰安婦像「恨」のトーテムが象徴する「両親」「過去」とは耳目をふさぎたくなる歴史の事だ

先日のブログに慰安婦像とは「恨」のトーテムであり、「両親」や「過去」といった否定できないものや変えられないものを象徴しており、それらを尋常ならざる手段で否定し変えてしまう呪術的装置であると述べた。このブログはその先日のブログ

「恨」のトーテム 慰安婦像 / Totem symbolized their parents and the miserable past - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 の続きである。

 

その「両親」や「過去」とは何を指すのかを順不同で羅列しておこうと思う。

チャイナへの隷属の歴史

 箕氏朝鮮が殷の移民から始まった時点からチャイナ政権の属国であった。

   紀元前108年~220年:漢(植民地) 
     221年~245年:魏(植民地) 
     108年~313年:晋(植民地)
     314年~676年:晋宋梁陳隋唐(属国)  
     690年~900年:渤海(属国)
   1126年~1234年:金(属国)
  1259年~1356年:元=モンゴル(属国)
  1392年~1637年:明(属国)
  1637年~1897年:清(属国)
  1897年:日清戦争日本勝利、下関条約により清の属国から開放される 

貢女外交とも呼ばれる、女と宦官をチャイナに朝貢してきた歴史

 貢女は数千人に上る。李氏朝鮮時代には、貢女徴収のために「12歳以下の女子については婚姻を禁ずる」法令も出された。

妓生:奴婢身分の女性の存在

 高麗から李氏朝鮮末期まで約1000年間、常に2万~3万名の妓生。

 全て奴婢身分であった。

日本への隷属の歴史

 神功皇后雄略天皇三韓征伐他日本の半島支配)、秀吉

   1905年~1945年:日露戦争日本勝利(保護国化、韓国の要請を受け併合)

元寇の原因を作った

 『高麗史 元宗十三年(1272)3月』に、諶(しん、後の忠烈王)が、日本侵略をフビライに進言したことが記されている

李氏朝鮮時代の盲目的な華夷観の受容と小中華・事大主義

 現実はどうであれ「朝鮮はチャイナ王朝と共に世界の中心をなし、周辺諸国を従属させて来た」という理想と現実の乖離現象が政治や文化で顕著であり続ける原因となっている。今に至るまでと言える。

売買・略奪・相続・譲与・担保・賞与の対象であった「奴婢」身分の存在

 1894年の甲午改革で廃止されるまで続いた奴隷身分と制度。
 父母の一方が奴婢の場合は、子も奴婢となった。

日韓併合によって初めて女性の地位が確保されたこと

 身分が高くても名前が無かった。碑女に至っては主人の事実上の家畜扱いだった。

▼つい最近まで他の男性との交友に対して慣習法が優先され、姦通罪が適応された。

自国民虐殺の歴史

  •  1948年:済州島4.3事件 3万人虐殺 (李承晩)
  •  1950年:保導連盟事件 30万人虐殺 (李承晩)
  •  1950年:信川虐殺事件 住民の4分の1にあたる3万5383人が虐殺 (李承晩)
  •  1951年:国民防衛軍事件 9万人虐殺(李承晩)
  •  1951年:山清,咸陽,居昌の民間人虐殺事件 1424人(李承晩)
  •  1980年:光州事件 600人虐殺

上記の事件における「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」と説明してきた事実

朝鮮戦争の隠蔽・捏造

竹島強奪

 韓国による日本人抑留者は3929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人

ベトナム戦争における虐殺レイプ

 虐殺 5,000-9,000人 ライダイハン 3,000-20,000人

 

 

性奴隷のような生活を強いられた李氏朝鮮の女性たち、家畜同然の身分の白丁。日本人の手で身分的桎梏から解放されたという負い目。自国民を虐殺し、ベトナムでレイプと虐殺を行ってきた目をふさぎたくなる事実。

それらを尋常ならざる手段で否定し変えてしまう呪術的装置こそが、慰安婦像、「恨」のトーテムだと言える。

 

Masacre en Corea Pablo Picasso

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黄海道、信川で3万5千383人の良民を虐殺したとされる惨劇を描いた「韓国での大虐殺」1951年作 マドリードにある王立プラド美術館の所蔵

この絵は韓国で反米的あるいは親北(朝鮮)・容共的なものであるとして、近頃まで禁止されてきた。もちろん、ピカソ反戦の意味で描いたものだ。

韓国政府は自国民の自軍による虐殺を隠したかったことは明白である。

 

 

 

 

「恨」のトーテム 慰安婦像 / Totem symbolized their parents and the miserable past

最近、慰安婦の話題が立て続いた。

米国のサンフランシスコ市の慰安婦像と韓国国会における「慰安婦の日」制定決議だ。

 

サンフランシスコ市の慰安婦

www.facebook.com

 

韓国国会「慰安婦の日」制定決議

www.facebook.com

 

そういうわけで、慰安婦像について頭に浮かんだことを下記の通りブログに書きつらねる。

慰安婦像が民族の「恨」という感情の拠り所、トーテムとして機能していることは間違いない。民俗学的にトーテム的存在は部族団結の象徴として働いてきた「装置」であり、我々は○○の子孫であるという「表象」としてすら充分な説明が出来る。

ある民族を固く結び付ける部族団結の装置は、そのまま「我々は〇〇の子孫である」という誇りと結びついていることはさまざまな部族の例で説明可能なはずだ。例えば、神社における祭神は日本の氏族団結の装置であり、その氏族は祭神の子孫だと主張しているような例だ。

 当然、名前を言ってはいけないあの民族にも適用可能だろう。


さて、民族に拘わらず誰もが、今この世に、自分が人として存在する事実とその訳を知っている。それは自分両親がどこかで出会って、生殖活動をした結果として、自分という存在がこの世に生まれ出たという事だ。そのように、誰もが自分この世に送り出した「肉親が存在する(した)」という事実を(自分という存在を認める以上は)否定できないものだ。

それとよく似ているのが「現在」という状態である。「現在」というのは「過去」によって作り出されたものだ。「過去」という事実なくして「現在」の存在はあり得ないのだ。そしてその「過去」はどうやっても変えられないものだ。「過去」に起こった原因この世を作り出しているのだから、今を生きるには為す術がないのだ。しょうがないのだ。

 

思うに慰安婦像」とは否定できないもの変えられないものを尋常ならざる手段で否定し変えてしまう呪術的装置である。

慰安婦像」で形作られている像は呪術的手段によって否定したい「両親」であり、変えてしまいたい「過去」を象徴している。 

否定したいが否定できないものと、変えてしまいたいが変えられないもの。そういう要素を持つ「両親」「過去」慰安婦像」呪術的象徴トーテムという形で象徴し、彼の民族の脳内世界で、超常的世界観の中で、ファンタジーとして一切を否定し、変えてしまう。そんな民族団結の装置として働くのだ。

惨めで自己肯定できない過去を脳内世界で否定し変えてしまおうとする民族団結の装置。まさに「恨」のトーテそのものだ。

 

しかし、悲しいかな、現実は彼の民族の脳内世界や超常的世界でもファンタジーでもない。一切を否定し変えることが出来る呪術は、民族の構成員が集まり、集団で「慰安婦像」を崇めているときにだけ夢を見させてくれるが、催眠や陶酔に浸っていられる時間は限られている。

そのファンタジーに浸る快感を持続させるには、ひたすらその呪術を唱え続けねばならなくなる。だから彼らは不断に呪術を唱える人々を勧誘し、陶酔に浸れる場所を増やしていく、まるで薬物に溺れる中毒者の様な禁断症状を来すことになる。

彼らは邪教のトーテムを奉じ続けることで永遠に陶酔を解こうとはしない。陶酔しているときだけが、精神の均衡を保てる空間と時間を得られるのだから。そうして、狂信者として、肯定できない過去を、否定できないもの変えられないもの、本来なら人として為す術がないものすら、自己の脳内世界で否定し、変えてしまう事に専念しようとする。

その変えられない過去を与えた日本を恨の対象にしつつ、「恨」のトーテム 慰安婦像を奉じざるを得ないのだろう。

続きは下記で

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

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神功皇后 応神天皇の聖誕

故其政未竟之間 其懷妊臨産 即爲鎭御腹取石以 纏御裳之腰而 渡筑紫國其御子者阿禮坐【阿禮二字以音】 故號其御子生地謂宇美也 亦所纏其御裳之石者在筑紫國之伊斗村也 亦到坐筑紫末羅縣之玉嶌里而 御食其河邊之時 當四月之上旬 爾坐其河中之磯 拔取御裳之糸 以飯粒爲餌釣 其河之年魚【其河名謂小河亦其礒名謂勝門比賣也】 故四月上旬之時 女人拔裳糸 以粒爲餌釣年魚 至于今不絶也

 

故、其の政(まつりごと)を未だ竟(お)えざりし間に、其の懷妊(はらみ)産むに臨み、即ち御腹を鎭めんと爲して石を取り以ちて御裳(みも)の腰に纏(ま)きて、筑紫の國に渡り、其の御子は阿(あ)禮(れ)坐しき【阿禮の二字は音を以ちてす】。 故、其の御子の生れし地を號けて宇美(うみ)と謂うなり。 また其の御裳に纏きし石は筑紫の國の伊斗(いと)の村に在り。 また筑紫の末羅(まつら)の縣の玉嶌(たましま)の里に到り坐して、其の河邊に御食(みおし)しし時、當に四月(うづき)の上旬(はじめ)なりき。 爾くして其の河中の磯に坐して御裳の糸を拔き取り、飯粒(いいぼ)を以ちて餌と爲し、其の河の年魚(あゆ)【其の河の名を小河と謂う。また其の磯の名を勝門比賣(かちどひめ)と謂う】を釣りき。 故、四月(うつき)の上旬(はじめ)の時、女人(おみな)裳の糸を拔き、粒(いいぼ)を以ちて餌と爲し、年魚(あゆ)を釣ること今に至るまで絶えず。

 

このような具合でございまして、その政務がまだ完了しないうちに、神功皇后はご出産に臨むことになりました。そこで御腹(みはら)を落ち着かせようと[出産を遅らせ引き延ばそうと思って]石を持ち、御裳(みも)の腰にお付けになって[新羅から]筑紫の国に渡り帰られると、その御子はお生まれになった【阿禮の二字は音をそのまま充てることにする】。そういうわけで、その御子のお生まれになった土地を名付けて宇美(うみ)ということになった。またその御裳にお付けになられた石は筑紫の国の伊斗(いと)の村にある。

また筑紫の末羅縣(まつらあがた)の玉嶌(たましま)の里にお出ましになられて、その川辺でお食事をとられた時、ちょうど四月(うづき)の上旬(はじめ)でした。 そこでその川の流れの中に出ている岩におかけになり、御裳の糸を拔き取り、ご飯の粒を餌として、その川の年魚(あゆ)をお釣りになった【その川の名を小河という。また其の岩の名を勝門比賣(かちどひめ)という】。 そういう訳で、四月(うつき)の上旬(はじめ)に、女性たちが裳の糸を拔き、ご飯の粒を餌として、年魚(あゆ)を釣ること今に至るまで絶えない。

 

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神功皇后の三韓征伐

故備如敎覺整軍雙船度幸之時 海原之魚 不問大小悉負御船而渡 爾順風大起 御船從浪 故其御船之波瀾押騰新羅之國既到半國 於是其國王畏惶奏言 自今以後 隨天皇命而 爲御馬甘 毎年雙船 不乾船腹不乾楫 共與天地無退仕奉 故是以新羅國者定御馬甘 百濟國者定渡屯家 爾以其御杖衝立新羅國主之門 即以墨江大神之荒御魂爲國守神而 祭鎭還渡也

 

故、備(つぶさ)に敎え覺しし如く軍(いくさ)を整え船を雙(なら)べて度り幸しし時、海原(あまはら)の魚、大き小さきを問わず悉く御船を負いて渡りき。 爾くして順風(おいかぜ)大いに起こり、御船は浪に從いき。 故、其の御船の波瀾(なみ)は新羅の國に押し騰がり、既に國の半(なか)に到りき。 是に其の國王(こにきし)、畏れ惶みて奏して言いしく「今より以後(のち)は天皇の命の隨に、御馬甘(みまかい)と爲て、年毎に船を雙(な)べて、船腹乾さず、(さお)楫(かじ)乾さず、天地(あめつち)の共與(むた)、退(や)むこと無く仕え奉らん」。 故、是を以ちて新羅の國は御馬甘と定め、百濟の國は渡の屯家と定めき。 爾くして其の御杖を以ちて新羅の國主の門(かど)に衝き立て、即ち墨江の大神の荒御魂を以ちて國守ります神と爲て、祭り鎭めて還り渡りき。

 

そこで、大神が詳しく教えてくれた通りに、軍容を整え、船を並べて海を渡っておゆきになる時に、海にいる魚が、大小を問わず、全て御船を背負って渡った。 しかも追い風が強く吹いて、御船は波に乗って早く進んだ。 というわけで、その御船を乗せた波は新羅の國に船を押し上げ、その国の半ばまでも押し寄せた。 このことに新羅国王は、恐縮して「今から以後(のち)は天皇のご命令に従って、[天皇の]お馬の飼育係となって、毎年船を列ねて、船の腹も乾くいとまが無いように、また棹や舵も乾くいとまがないように、この世が続く限り、絶えることなくお仕え申しあげます」と申し上げた。 こう言ったわけで、これ以降、新羅の國は御馬甘(みまかい=お馬の飼育係)として定め、百濟の國は渡の屯家(とのみやけ=海の向こうの直轄地)と定めた。そして[神功皇后]は御杖を新羅国王の城門に衝き立て、住吉三神の荒御魂を国を護る神として、祭り鎭めて海を渡ってご帰還なされました。

 

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