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南鮮は反日を放棄せよ。さもなくば亡国だ。

【今更踏み絵にはならないTHAAD】
反日の放棄だけが南鮮が独立国として存続する道

 

南鮮で大統領選の選挙戦が始まったという。

左派候補2人が立候補し、両候補は選挙後に中共からTHAADという「踏み絵」を迫られるかもしれないと報じられている。米軍の最新鋭迎撃システム「THAAD(高高度防衛ミサイル)」のことだ。

中国はTHAADの配備に反対し続けており、新大統領へは辛辣な報復も予想されるからだ。

www.zakzak.co.jp

 

しかし、私の思いは別にある。

今回の半島危機で、日米が最終的に北の毒牙を抜き北鮮が自由陣営と行かないまでも中共の走狗から独立した国になれば、北に統一してもらえば良いと思っているからだ。朝鮮半島など緩衝地帯として機能できれば国際社会は是認する。

 

そもそも、今回の半島危機は南鮮が呼び込んだものだ。


昨年の慰安婦合意をきっかけに生まれた反日機運が朴槿恵の弾劾へと繋がっていく中で、南鮮の民衆は、南鮮内の従北派と北鮮の独裁者、後ろで糸を引く中共に誤ったメッセージを送ったのだ。「あと一押しで半島を赤化できる」と。

 

バカな傀儡師は沖縄にいる工作員からも使嗾されたのであろう。
「日本人民と米軍を切り崩せば、日本人民は反米運動を盛り上げ米軍を追い出す」と。

 

かくして、北の若大将は「在日米軍基地周辺を核のターゲットにしたぞ」と4発日本海に打ち込んだのだ。

 

だから言う。今更THAADを踏み絵にする価値はないと。反日こそが中華プロパガンダなのだから。反日の放棄だけが南鮮が独立国として存続する最後の道なのは、もはや間違いないからだ。

 

 

教育勅語と大和心

教育勅語と大和心】

 

「私は【教育勅語の内容は是】としながら、その精神を活かすために、そこに欧米の一神教を過剰意識し神道から宗教性を過度に排除しようとした国家神道の影をできるだけ落とすことなく扱ってもらいたいと思っている」と以前FBに投稿した。

 

明治以降の神道というのは、欧米の一神教を過剰意識した体系として再構成され「国家神道」になった節がある。以前のものとは明らかに違っている。

したがって、いわゆる「國體」第一の国家神道によって、本来の「大和心」に欠けている「表象」があちらこちらに見受けられるためである。

 

簡単に言うと八百万の神々への尊重の念が少し欠けているのが「國體」第一の国家神道だと思っているからだ。

 

1889年の大日本帝国憲法発布以降に行われた勅令による宗教教育の禁止と共に「宗教ではない」国家神道は宗教を超越し政治・教育と一体化したといわれている。欧米の一神教を過剰意識し神道から宗教性を過度に排除しようとしたのだ。

 

その後の神社合祀では、43,000社の神社が取り潰されることになる。

狙われたのは、古事記日本書紀に出てこない八百万の神々である。

この神社の統合整理で①敬神思想を弱める、②民の和融を妨げる、③地方を衰微する、④民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する、⑤愛国心を損なう、⑥土地の治安と利益に大害がある、⑦史跡と古伝を滅却する、⑧天然風景と天然記念物を亡滅する(南方熊楠の主張)結果となった。

もう一度南方の言葉を借りれば八百万の神々に対する「神狩り」が行われたのだ。「狩られたのは」主に出雲系の神々や土着の神々だ。

多数の日本古来の祭礼習俗が失われ、由緒と呼ばれる歴史の糸口も壊滅的打撃を受けた。日本古来の「大和心」や「大和魂」の一部が日本人の記録と記憶から消されたのだ。教育勅語の制定と普及というのはこの時期の話である。

 

「私は【教育勅語の内容は是】としながら、その精神を活かすために、そこに欧米の一神教を過剰意識し神道から宗教性を過度に排除しようとした国家神道の影をできるだけ落とすことなく扱ってもらいたいと思っている」というのは、この歴史を意識しているからだ。

 

八百万の神々に対する敬神の姿勢を損なうことなく、漢才や天竺才も洋才も大和心を失わず世に用いるのが大和魂だ。

 

異なる意見を持つ人々に対する優しさや思いやり無くしてどこに大和魂がある。

 

欧米の一神教にある匂い(自己肯定のための他者否定)を消さねば、八百万の神々を尊重できないではないか・・・と言い換えれば理解してもらえるだろうか。

 

教育勅語を教えるのは良いことだが、たとえ事実であろうと幼児に中韓を非難させたり、英雄崇拝まがいのスローガンを叫ばせてはならない。

 

それは、大和魂の教育ではない。

 

まるで、共産国や南鮮の洗脳教育だ。やっていることが同じになってしまっている。

 

教育者たらんとする者こそ大和心から学び直すべきだ。

 

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敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花

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尖閣に中華皇帝の統治は及ばず、日本海は東海ではない

チャイナやコリアがいう「東海」は東の陸の果てのことで、「南海」は南の陸の果てのことだ。
海上勢力でない彼らにとって「海(カイ)」は境と言う意味の「界(カイ)」であり統治の及ぶ限界であった。

そして「海外」とは国境の「界外」であり「洋」であった。


「洋」とは東洋、西洋と用いられるように外国のことである。
いまでも「洋行」と言えば国外に出る事だ。


「洋」と言う字が羊を沈めて海神に捧げて航海の無事を祈っているようにみえる。

実際に、冊封使を載せた船上から生きた猪や羊が生贄として海に投げ入れた記録がある。それは、「いずれの王も統治していない世界」、「文明の光の外の世界」に出たがゆえに、その世界の人外の王(海神)に敬意を表するためである。

 

尖閣に中華皇帝の統治は及ばず、日本海はコリアが主張する「東海」ではないという理由は漢字の成り立ちからでも自明である。地の果て、沿岸が「海」なのだ。

 

 

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馬琴は姑巴嶋を、超能力者である曚雲の千里眼の能力の及ばない遠島、琉球国外の島として椿説弓張月に描いた

椿説弓張月 曚雲の最後の場面


曚雲が慌てて風を起こし、雲を呼んで空中へ上ろうとするところを舜天丸は「姑巴嶋」で三社の神に祈念を込めた桃の枝で作った矢に義家と記した小金の札を取添え、弓を満月のように引き絞って放つと、どこかに鶴の鳴き声がして、その矢は流れる星のように、曚雲の咽喉を砕いて深く突き刺さったので、曚雲は地上に転げ落ち、為朝は宝剣をもって九度、刺し通し、遂にその首を切り落とすと、一天俄に掻き曇って、大雨が降りだした。

 

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 画像は下記より

椙山女学園大学デジタルライブラリー 椿説弓張月  前編六巻・後編六巻・續編六巻・拾遺六巻・残編六巻

http://zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/dl/Yumihari/Zan/show.php?s=18&e=30&fn=zan4/019

 

ここに出てくる「姑巴嶋(こはしま)」だが、物語では、為朝、舜天丸、起平治の一行は、曚雲の千里眼を怖れて姑巴嶋へ潜伏して、そこから琉球に向かうという筋立てだ。

この「姑巴嶋」、馬琴が物語の舞台としたのは尖閣諸島久場島でないと言い切れるだろうか。

ここに有力な証拠がある。

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画像は下記のサイトで見られる。画像の赤線と囲みはスクリーンショット後に描きいれたものだ。

椙山女学園大学デジタルライブラリー 椿説弓張月  前編六巻・後編六巻・續編六巻・拾遺六巻・残編六巻

http://zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/dl/Yumihari/Zan/show.php?fn=zan1/018&s=7&e=18

為朝と寧王女(ねいわんにょ)が、佳奇呂麻(かけろま)の林太夫(りんたいふ)が操る船で、共に姑巴嶋へ向かうところを書き記したページだ。

 

船は、東馬歯山・西馬歯山(慶良間諸島)、姑米山(久米島)、度那奇(渡名喜島)、安根呢(粟国島)を抜けて、姑巴嶋へと向かっている。

文中には、神の導く快速の船で「数十里の海路」を半日ほどと書いてある。実際の尖閣諸島までは沖縄本島近くから四百数十キロなので「百数十里」となるが、注目していただきたいのはそこではない。

琉球の国外への門戸である東馬歯山・西馬歯山(慶良間諸島)、姑米山(久米島)、度那奇(渡名喜島)、安根呢(粟国島)を抜けて船が出ていっているという事実である。

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これは先にブログで書いたが、

三十六島此門戸、絶類竿塘石虎五」

「三十六島、此れぞ門戸なり、はなはだ類す竿塘と石虎五」と李鼎元が詠んだ島々そのものである。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

つまり、馬琴は姑巴嶋を、超能力者である曚雲の千里眼の能力の及ばない遠島として、琉球国外の島として椿説弓張月に描いたのである。尖閣諸島久場島の可能性が充分ある。

 

下記はWikipediaから抜粋引用する。

椿説弓張月』(ちんせつ ゆみはりづき)は、曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本

文化4年(1807年)から同8年(1811年)にかけて刊行。全5篇。

鎮西八郎を称した源為朝の活躍を『保元物語』にほぼ忠実に描いた前篇・後篇と、琉球に渡った為朝が琉球王国を再建(為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったという伝説がある)するくだりを創作した続篇・拾遺・残篇からなる。日本史のなかでも悲劇の英雄の一人に数えられる源為朝に脚光をあて、その英雄流転譚を琉球王国建国にまつわる伝承にからめた後編は、そのスケールの大きさと展開力で好評を博した。

椿説弓張月 - Wikipedia

無中生有(むちゅうしょうゆう)は、三十六計の第七計。

呉の孫堅荊州劉表を攻めようと河南省鄧県の辺りへ向かったとき、劉表の最前線は黄祖を大将として対岸(漢江)に堅固な防御線を引いていた。

孫堅孫策の精兵が群れを成して何度か岸辺に上陸を試みたが、皆ばたばたと射殺されてしまう有り様だった。

戦況不利と見た孫堅軍は矢の届かぬ距離まで陣を引き、一計を案じた。

夜に入ると付近の漁師の小さな漁船まで借り出し、無数の小舟を用意して列ね、赤々と、かがり火を焚かせ、黄祖軍に夜襲を仕掛ける様子を見せた。

真っ暗な川面に無数に光り輝くかがり火である。その様は無数の大軍が押し寄せてくるように見え、兵に恐怖心を呼び起こし、黄祖軍は弩弓といわず火矢といわず矢と言う矢を射られる限りに射たのだった。

しかし、その小舟には兵は乗らず船を操る水夫だけが乗っていたにすぎない。その正体がわからないように夜が明ける前に引き揚げるということを幾度も繰り返したのだ。

それを七日七夜続けると、さすがに7日目には黄祖軍も空の船であることに気が付いたが、疲れ果ててしまっていてろくに応戦をしなかった。

そして、その次の日の夜に今度は強兵を満載した船で向かったところ、水上で攻撃を全く受けることなく、無傷で続々と岸辺に上陸できた。いまや雲霞のごとき孫堅軍は一挙に黄祖軍を打ち破ったのであった。

 襄陽の戦い

++++++++++++

無中生有(むちゅうしょうゆう)は、三十六計の第七計のことで、

「無中に有(ゆう)を生ず」ともいう。

 

最初に、敵が本気にするような、はったり、偽装を敵に示して欺く。

次に、それがはったり、偽装であることを敵に気づかせる。

何回も何回も繰り返し、相手が油断するか、疲れ果てるのを気長に待つ。

仕上げは、一気呵成の攻撃だ。

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中共の艦隊や飛行隊が、盛んに宮古海峡を行ったり来たりを繰り返している。同じように尖閣の接続海域や領海に中共の公船が出たり入ったりを繰り返している。

 日本の主権を脅かそうというデモンストレーション(示威)の一環であろう。

つまり、

①歴史や国際法を無視した主張、

中共籍船舶や飛行機による領海や領空への侵犯、

排他的経済水域での違法行為等

これらは、最初のうちこそ臨時ニュースになり、緊張感が国民の間に溢れていた出来事であった。しかし、耳にし、目にすることが当たり前のようになってきている。

報道もどんどん扱いが小さくなっていく。

だが、漁船に民兵を満載させてやってくる日は今日かもしれないではないか。

 

理想は、充分な備えと心構えを見せて、相手に「デモンストレーションは無駄だ」と諦めさせることだが、まずは普通の国の普通の領海・領空・経済水域の警備を行わねばならないだろう。

違法行為は拿捕し、検挙し、起訴する。危険行為は相手の船舶や航空機に損傷を与えてでも阻止する。必要充分な警備活動を普通に行うことだ。警告をし、必要な安全を考慮したうえの正当な職務執行中に起きた結果については、その原因を作った側が負うべきだ。

尖閣には安全航行確保や人命救助のための有人監視施設も必要だろう。

 

2017年3月26日 具体的提案等についての部分を文章を入れ替えて書き直した。

なお、無中生有の例として孫堅孫策黄祖の戦いを用いたのは Wikipedia を真似たのだが、物語は黄祖孫堅とのこの戦いに勝った後に江夏城を得て江夏太守となったという形に改めた。

 

 

 

 

教育は学科や学力の事ではない

【教育は学科や学力の事ではない】

 

論理性と倫理性を育てること。
そうすれば芯の通った人間になることが出来る。

 

芯の通った人間になりさえすれば、いづれ「志」を持つようになる。

世の中で「夢を持て」と言われている。文明開化時に ”Dream” という言葉を「夢」とだけ訳して「志」という訳を付けそこなったことが理由だ。最初から「夢」と「志」の両方の意味があると訳しておけば、誤解せずに育った人々が今よりずっと多いだろう。とっても残念だ。

 

つまり、」を持てる芯の通った人間を作るために、論理性と倫理性を育てるのだ。


志を持つことの大切さというのは、芯の通った人なら、その志で何を学び何をすればよいかが自ずとわかり、実行できるというその一点にある。


それが教育によって人を作るということだ。
私やあなた、私やあなたの子供たち孫たち、家族や友人、世の中を救うということだ。

 

人にはがあると知り、お互いに尊重し合って生活できる知恵のことを「教養」という。

 

今の国会を見ていると戦後の学校に教育が不在だったと嘆くしかない。

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東芝再建策私案 三井住友重工を創設せよ

WHに限らず、米国の原子力産業は原子力発電所の設備建設に数十年という長期間のブランクがあった。オバマ政権下で発電所建設が推進されるにあたり、日本の企業との合併はそのギャップを埋めるはずだった。


その一方で、東芝原子力部門は沸騰型原子炉から出発しWHの加圧型原子炉を製品群として加えることで世界の原子力発電のリーダーを目指していて建設畑のノウハウのギャップを埋めるはずの米国側と相互補完の関係になるはずだった。


しかし、結果は米国での工事管理はWHに丸投げされていたかのようだ。海外で発電プラント建設経験豊富な東芝は何をやっていたのか。経営をその権限ごと丸投げして請負わせていたのだろうか。米国の最先端技術を日本の親会社にも渡すまいとするなら、建設管理のノウハウも渡しようがないだろう。


残念ながら、今まで見て来たどの記事もどの報道もその視点を欠き、そんな現実が生じたかどうかすら知りようがない。


いま、チャイナや南鮮の企業がWHを取得したところで、米国の企業の技術だけを物まねできると思ったら大間違いだし、彼らにその技術を渡すべきではない。チャイナは敵だし、南鮮は敵に渡るかもしれない。


東芝から(原子力だけではなく)電力部門を、その付随する全てのエンジニアリング部門を含めて切り離し、IHIや日本製鋼所、その他の発電関連部門と合併して三井住友重工を作るべき時が来た。かの土光さんの時代に浮上した「三井重工案」の現代版を検討すべきだ。そしてWHはその傘下に入れるべきだ。

現代版という言葉を使っているのは IoT 等のインフラを伴う社会的需要に答えるだけの国際的競争力を持った新しい企業形態を、この際模索すべきだという意味である。

 

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*上記はFBに【三井重工を創設せよ】として掲載したものを手直しした。

南朝皇統デマ 1457年12月以降、南朝の皇統を継ぐ血統は史実上絶えている

長禄元(1457)年12月の「長禄の変」以降、南朝の皇統を継ぐ血統の行方は、現存する史実では未確認状態です(2017年3月8日17時現在)。

 

未だに動画サイト等で、南朝の皇統を継ぐ人物が幕末に存在したということを紹介しているものが見受けられ、巷間に流布するデマの信者が絶えないようです。

しかし、そのいずれも根拠が乏しいものばかりです。

先に一度、私のブログに書いたのですが、誰も見てくれていないようなので、もう一度多少は読者の多いこのブログに書き直しておきたいと思います。

先のブログはこちら:

南朝の皇統を継ぐ人物が幕末に存在したということを紹介している動画サイト等について - kaiunmanzokuのざれごと、たわごと、綺麗事

 


「長禄の変」以降の南朝の血統の行方は現在に至るまで不明であり、新しい史料の発見がない以上、南朝皇統の血統は絶えたと判断するしかありません。


その「長禄の変」を記す最後の信用できる史料(上月記、赤松記)が記していることに着目していただきたいと思います。

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上の画像は、現代史の一人者である秦郁彦先生の「昭和史の謎を追う熊沢天皇始末記の一節からスキャンした画像です。
南朝の血統の行方を記す最後の信用できる史料が記す「長禄の変」について説明がなされています。

田中義成博士「南北朝時代史」の長禄の変の項に、室町時代の長禄元年12月2日(1457年12月27日)に赤松満祐の遺臣らが謀略をもって後南朝の行宮を襲い、南朝の皇胤である一宮(自天王)と二宮(忠義王)の兄弟を討って、神璽を奪って朝廷に還した旨の記述が「吉野の山奥に尚南朝の皇子二人御座し・・・・・共に御名並びに御系統を審らかにせず・・・」とあります。この上月記、赤松記を紹介して、これ以上の史料がまだ発見されておらず、今後も期待が出来そうもないと論じられています。

特に共に御名並びに御系統を審らかにせず」には後南朝系の記録が徹底的に抹殺破壊されたことも含まれる表現であることにご留意いただきたいのです。

自天王」・「忠義王」が本名でないことはお分かりいただけると思います。

本文には「一宮」「二宮」とだけ記されているのです。そんな痛ましい限りの状況が上月記、赤松記に記されている状況なのです。

 

正統な歴史に史料を以って異議を唱えるのは学問の自由でよろしいが、インターネット上で真実であるかのようにデマを広げて貰っては困るのです。根拠を示す史料がない場合は、自分の意見であることを示すか、創作や空想、仮説の類であることが分かるよう明記するべきと思います。

 

余談ですが、足利尊氏を悪玉に楠木正成を善玉にする南朝正義説ともいえる南朝イデオロギーのバックボーンは意外にも水戸光圀楠木正成礼賛に元を置く歴史が浅いものです。

少し考えてみて下さい。

北朝は、持明院統後嵯峨天皇(88代)の長子である後深草天皇(89代)に始まります。一方、南朝大覚寺統後嵯峨天皇の次子である亀山天皇(90代)が始祖です。

明治憲法以降の皇室典範は明確に長子相続を規定しています。この論理で言えば皇位継承の正当性は北朝にあると言えるではないでしょうか。後醍醐天皇大覚寺統であり傍流出身のために治天の地位に就く権利が否定され、子孫への皇位継承が出来ない天皇であったことも忘れられがちです。

この問題は、章を改めて述べる機会があればそうしたいと思います。

幕末維新の南朝イデオロギー水戸光圀が生み出し、山形有朋が明治政権の基礎作りに用いたプロパガンダと考えても良いと思っています。

今後新しい史料の発見が報じられることなく、南朝の皇統が論じられることがあるようなら、それはデマゴーグであるとだけ言っておきます。

 

 

 

 

第0列島線 明朝の海防最前線 / 「海」とは「地(治)の果て」のこと 明朝の国境線は海岸線

「香港は中国の一部ではない」と主張する香港独立派には立派な歴史的文化圏的根拠がある。それは、歴代チャイナ政権が第0列島線を海外勢力との緩衝地帯として海防最前線として来ている事実がそれにあたる。

 

「国境や国民国家の一体感があまり意識されない時期」に「意識されない地域」を生きていた人たちが持っていた「東アジアの共同体」と言う概念は創作物であり、有害なプロパガンダである。

そのような幻想を持つ者達こそ「死守すべき国境線」なるものが、いつ、どのようにして決定されたのかについて少しは歴史的に吟味してみた方がよいだろう。

そして明代17世紀のチャイナにとって、尖閣列島の存する東シナ海や多くの環礁がある南シナ海において倭寇やスペインポルトガルと言った海洋勢力から「死守すべき国境線」は、第0列島線であった。

 

 

第0列島線は国境線ではない。海外勢力との緩衝地帯であり、海防最前線である。


明の国境線は海岸線までと大明一統志に明記されている。

大明一統志だけでなくその他の多くのチャイナ側の史料に記載されている通り、非海洋民族であった歴代のチャイナ政権にとって「陸の果て」が統治の限界だったのである。チャイナ人にとって文字通り「海」とは「界」と同義であり、文明地域に対する周辺の未開の地域との境界のことで、「陸の果て」「地の果て」「(中華文明の)治の果て」の意味である。東の地(治)の果てを「東海」と言い、南の地(治)の果てを「南海」と言うからこそ、中華文明の光や皇帝の威光は四海の手前まで及ぶわけだ。

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さて、海防最前線のことだ。
明の海防最前線は「南は台山(現・台山列島)、礵山(現・四礵列島)、東湧(現・東引島)、烏坵(現・烏坵嶼)、彭湖(現・台湾の澎湖諸島)彭山(現:南彭列島)までと皇明実録に記載されている。
また、「此海外要地倭船多由此過」「これ海外の要地なり、倭船は多くここより過ぐ」と虔臺倭纂の絵図の東湧横に注記されている。 東引島は「海外」だった。

 

これを踏まえた明朝の第0列島線とは下記の図のようになる。

 ちなみに、現在でも、馬祖・金門は台湾の勢力下にあり、大陸政権下にはない。香港やマカオの独立運動には歴史的な意味があるのである。

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2017年3月18日下記部分を付け加えた

「国境や国民国家の一体感があまり意識されない時期」に「意識されない地域」を生きていた人たちが持っていた「東アジアの共同体」と言う概念は創作物であり、有害なプロパガンダである。

そのような幻想を持つ者達こそ「死守すべき国境線」なるものが、いつ、どのようにして決定されたのかについて少しは歴史的に吟味してみた方がよいだろう。

そして明代17世紀のチャイナにとって、尖閣列島の存する東シナ海や多くの環礁がある南シナ海において倭寇やスペインポルトガルと言った海洋勢力から「死守すべき国境線」は、第0列島線であった。

第0列島線 福州を出ると間もなく清国の領域外であった 李鼎元 馬齒島歌

李鼎元の漢詩『馬齒島歌』に

「三十六島此門戸、絶類竿塘石虎五」

三十六島、此れぞ門戸なり、はなはだ類す竿塘と石虎五と

(読み下し文はいしゐ氏から)

慶良間諸島久米島という島々三十六島」は、琉球の門戸である。

清国の門戸である五虎門、馬祖列島と、他に類を見ないほど似ている

 その国境の目印としての役割出入国の出入口という意味の両方で他に類を見ないほどそっくりだということだ。

この国境の再発見は2015年の6月に発表された。発表したのは長崎純心大学准教授の石井望氏だ

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 上の図は清の門戸、五虎門、東引、北竿、南竿、莒光の位置。

琉球の門戸「三十六島と 清の門戸「竿塘石虎五」とが両方提示されたということは、

その中間が存在しているということだ。

つまり清国の外交官である李鼎元が「いずれの王によっても統治されない領域」すなわち「無主地」の存在を認知していた証拠だ。もちろん中間の尖閣は無主地だ。

チャイナの主張は中間領域を認めていないが、それが誤りだと分かる。

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上は久米島と粟国、渡名喜、座間味、渡嘉敷と並ぶ琉球の門戸の位置。

下は慶良間諸島Wikipediaから引用)船から見ると、馬歯のように見えたのであろう。

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清の門戸を日本人向けの観光地図に位置を書き込んでみた。五虎門は観光地だ。閩江の河口の流れを使って出航するのに適した場所に五虎門ある。

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下のGoogleの地図で見ると、五虎に例えられる島が、想像以上に大陸に近くにある。

当時は、そこを通り過ぎると、もう「門外国外)」であった。

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以下の画像は いしゐのぞむ氏のホームページからのものだ。

詳細説明はこちらのホームページでご覧いただきたい。

senkaku.blog.jp

 

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Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.