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History / Ryukyu  薩摩の琉球支配 掟十五箇条 過去のfacebookへの投稿から

過去のfacebookへの投稿から

 

薩摩の「掟15条」 

 

1609年に王を虜にされ、実質の上で滅びた琉球王国は、島津氏が幕府の要望に応えるため1611年に復活することになる。政治実権を持たず、島津氏の制定する「掟」に従う「王国」の外見を備えた薩摩藩の一支藩である。

時の幕府の要望に応えて明国との友好関係を継続させる必要があった島津は琉球の王権を(朝貢貿易に係わる範囲で)形式上認めることにした。つまり、島津は明朝の要請に答える形で尚寧王琉球に戻すことにした。
しかし、実権が島津にあることを琉球王及び官僚に思い知らせるために起請文を書かせたうえで、掟15か条を制定した。

この時点から、一旦は滅亡した琉球は薩摩の傀儡として復活する。1611年のことである。
行政権・立法権司法権のない「王国」の外見を備えた薩摩藩の一地方(支藩)と考えるのが相当だろう。 

薩摩の島津氏が琉球を侵略し滅ぼしたことは特別な事ではない。尾張織田氏が美濃の斎藤氏を滅ぼし、豊臣氏が北条氏を滅ぼし、徳川氏が豊臣家を滅ぼした(1615)流れの途中にある出来事だ。安芸の福島氏の滅亡の8年前にあたる。
また、一旦滅ぼした家系を一部存続させることも今川氏や後北条氏の例を見ても珍しくはない。琉球幕藩体制薩摩藩の一支藩として組み込まれたのだ。

 

 

国立公文書館琉球中山王両使者登城行列より行列を先導する薩摩藩重役

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