2015年11月19日のブログで紹介した 1801年にロンドンで出版された地図・・・The Eastern Hemisphere. London: Published by J. Cary, Engraver & Map-seller, No. 181, Strand, August. 1, 1801. について、 「尖閣(Hoapinsuとして地図に描かれている島嶼群)が明確に沖縄琉球と日本に属すると断言できるだけの色が塗られているか判別しにく、原典にあたる必要がある。」としたが、Ramsey氏のコレクションからsid.fileをダウンロードして画像を確認したので、下記にご紹介する。
画像はRamsey氏のコレクションからsid.fileをダウンロードしたものをLizard Tech社のソフトで倍率を変えて切り取りping.fileで保存したものだ。
Hoapinsu と表記された島々が黄色で着色されていることが確認できる。
沖縄琉球と日本に属するとして同じ色(黄色)で塗られたということだ。
この地図がラ・ペルーズ船長の探検成果をもとに作られたもので、後のスティーラー氏の「尖閣の西に国境線」を引いた地図へとつながっていたことがより明確に確認できたと言える。
つまり、明治元年どころかアヘン戦争前から尖閣は日本と欧州が認識していたのだ。
参考: