kaiunmanzoku's bold audible sighs

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海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじ 『万葉集』巻十八

海行かばとしてFBに紹介したものをブログにもアップしておく。

 
万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌(陸奥国に金を出す詔書を賀す歌)」大伴家持作ーーー「海行かば」として知られている
+++++
葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らし召しける 皇祖の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る みつき宝は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に 黄金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相うづなひ 皇祖の 御霊助けて 遠き代に かかりしことを 我が御代に 顕はしてあれば 食す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして 武士の 八十伴の緒を まつろへの 向けのまにまに 老人も 女童も しが願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖の その名をば 大久米主と 負ひ持ちて 仕へし官 
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじ
と言立て 丈夫の 清きその名を 古よ 今の現に 流さへる 祖の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官ぞ 梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我れをおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の 御言のさきの聞けば貴み 
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2017年9月15日 北朝鮮ミサイル北海道上空を通過

振り返ったら、何かのきっかけとなる歴史的な日かもしれないので、FBに呟いたことをブログにも挙げておくことにした。

北朝鮮は15日午前6時57分ごろ、平壌の順安(スナン)付近から東北東へ弾道ミサイル1発を発射。ミサイルは北海道上空を通過し、午前7時16分ごろ、北海道・襟裳(えりも)岬の東約2200キロの太平洋に落下。飛行距離は約3700キロ。

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電球一個の取り替えに何人のポーランド人が必要か?
五人。

一人がテーブルの上に立って電球を天井のソケットに合わせる。
あとの四人がテーブルを持ち上げてグルグル回す。


イギリス人だったら?
1人。
イギリス人は椅子に座って、紅茶を飲む。外国人の召使が取り替える


北鮮人だったら?
17億9138万人。
北鮮軍(138万人)の総力で、韓国(5千万人)を人質に取りながら、日本(1億2千万人)を脅し、中国(13億人)を巻き込み、米国(3億2千万人)に、「切れた電球を取り換えろ」とミサイルと核で要求する。

 

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イザベラ・バードの ”Korea and her neighbors” に見る the Sea of Japan と朝鮮の範囲

先にFBに紹介したブログの材料

画像は1898年に出版されたイザベラ・バードの”Korea and her neighbors” 14頁のコピー。1894年に訪れた朝鮮についての紹介だ。


日本海」the Sea of Japanは普通に使われる表記であったし、紹介される朝鮮の範囲は鬱陵島*1まで(竹島*2は範囲外)である。

 

書籍に付属している地図も下記に掲載した。


++++++
The geography of Korea, or Ch'ao Hsien ("Morning Calm," or "Fresh Morning"), is simple. It is a definite peninsula to the northeast of China, measuring roughly 600 miles from north to south and 135 from east to west. The coast line is about 1,740 miles. It lies between 34°17′N. to 43°N. latitude and 124°38′E. to 130°33′E. longitude, and has an estimated area of upwards of 80,000 square miles, being somewhat smaller than Great Britain. Bounded on the north and west by the Tu-men and Am-nok, or Yalu, rivers, which divided it from the Russian and chinese empires, and by the Yellow Sea, its eastern and southern limit is the Sea of Japan, a "silver streak," which has not been its salvation. Its northern frontier is only conterminous with that of Russia for 11 miles.

 

https://archive.org/stream/koreaherneighbor00bird#page/14/mode/1up/search/Japan

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https://

 archive.org

archive.org/stream/koreaherneighbor00bird#page/n20/mode/1up

 

https://archive.org/details/koreaherneighbor00bird/page/n21/mode/1up?view=theater



ご参考:

Korea and her neighbors; a narrative of travel, with an account of the recent vicissitudes and present position of the country : Bird, Isabella L. (Isabella Lucy), 1831-1904 : Free Download & Streaming : Internet Archive

*1:37°30'N 130°51'E

*2:37°14'N 131°52'E

日本人の選択

本日、2017年9月3日に北朝鮮の6度目の地下核実験があった。秋篠宮眞子内親王殿下のご婚約発表の日を汚したこの暴挙にFBに投稿した言葉を記念としてここに記す。

 

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この部分に「広島の原爆エネルギーがマグニチュード6.1」の発言が画像として貼ってありましたが、その後、規模が広島原爆の約10倍相当との発表が防衛省からありましたので、公式発表を尊重し削除いたしました。

 

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これは、日本人の選択だ。

2016年11月11日 17:20 のメモ / 「民主」「護憲」「平等」「立憲」「平和」「人権」カルトについて

2016年11月11日 17:20 のメモ

 

【「民主」「護憲」「平等」「立憲」「平和」「人権」カルトについて】

 

人にやさしさや同情の念を伝えることが出来ない人間は好きになれない。


眼差しを優しく、言葉を優しく、行動を優しく、それが出来なければ人を導けないと思う。

 

普通の人は上記の三つをなかなか上手に同時にこなすことが出来ない。一つはどこかで統御できなくなる。

 

だから、民主を教条とするカルトが、意に反する結果を目の当たりにした時に、真に民主的であることが出来ず、立憲主義的手続きを無視したり、陰謀論を唱えると言う現象は、よく理解できる。

 

そもそも、彼らは「民主」の意味が分かっていないのに「民主」が好きなカルトだからだ。「」内の言葉をいかように変えても良い。要するに、人類や民族や国家の共存共栄と言ったことを論じるだけの基礎がない人々なのだ。

 

その殆どがどこかの政治勢力に洗脳されてなのか、教養がないためなのか、自分で考える術を得られなかった人々だ。

 

人類の歴史を考えて見れば、植民地主義共産主義選民思想等の時代を彩る潮流こそが、その原因だと推察できるだろう。彼らに共通なのは「共存共栄」という思想の決定的欠如である。「敵・味方」や「支配・被支配」「搾取・被搾取」「富・貧困」「純血・穢れた血」「善・悪」「白・色」「光・闇」という徹底した二面論的価値観が支配する世界だ。

 

寛容や共存共栄と言った考えが存在すると考える事。それがそもそも困難なのだ。

 

本物のファシストレイシストにとって、またとない機会を提供しているのがこれらのバカ者たちだと思う。

 

本物のファシストレイシストにとって、プロパガンダが彼らに対する有力な武器となっている。救う事が出来るのは自分自身のちょっとした「気付き」だ。

親兄弟や友人によって気付く機会を与えられれば幸いだ。

 

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大陸政権による琉球の日本への服属の公式承認 / 汝并琉球及琉球之私役属於汝亦皆吾天朝赦前事

沖縄は「どんなに遅くとも」1609年には日本。
もちろん、文化的民族的には古代から日本です。

 

1609 (慶長十五年)琉球王国の滅亡。薩摩、琉球に3,000名余りの兵を派遣し、首里城を落して、尚寧王を捕らえる。薩摩藩琉球支配。

 

1611 (慶長十六年)琉球琉球王国の再興 薩摩の「掟15条  」 の制定 幕府の要望に応えて明国との友好関係を継続させる必要があった島津は琉球の王権を(朝貢貿易に係わる範囲で)形式上認めることにした。つまり、島津は明朝の要請に答える形で尚寧王琉球に戻すことにした。しかし、実権が島津にあることを琉球王及び官僚に思い知らせるために起請文を書かせたうえで、掟15か条を制定した。島津家久尚寧王に「日明互市通好」の交渉を命ずる書簡を送る。


1612  (慶長十七年)『明神宗実録』巻四九七、萬暦四十年(1612)秋七月己亥条

福建巡撫丁継嗣奏、琉球国夷使柏寿・陳華等執本国咨文、言王已帰国、特遣修貢。臣等窃見琉球列在藩属固已有年、但爾来奄奄不振、被係日本、即令縦帰、其不足為国明矣。況在人股掌之上、寧保無陰陽其間。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

福建巡撫 丁継嗣が「琉球使節の裏には日本の策謀があり琉球は日本の手や足の上で意のままに動かされている存在ではないか」と疑い、その意見を神宗皇帝に上奏した。どうやら、この時点で島津に捕虜された琉球国王尚寧が帰国したものの、すでに薩摩のコントロール下におかれ、自主性を失ってしまったため、明朝から琉球は国として認めてもらえなかったと推測できる。そして、


1617 (八重山日報に発表の石井望氏の発見)
      大陸政権による琉球の日本への服属の公式承認

www.yaeyama-nippo.com

徳川幕府の使者、明石道友に対し、福建省の海防と外交の担当者だった韓仲雍が、

汝の琉球を併する、及び琉球のひそかに汝に役属するは、また皆、わが天朝の赦前の事なり」(日本の琉球併合と、琉球が日本に服属したことは、3年前の皇太后崩御時に明の皇帝が大赦を行った前の出来事だ)と発言。

汝并琉球琉球之私役属於汝亦皆吾天朝赦前事

 

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明朝廷の議事録「皇明実録」(国立公文書館所蔵、赤染康久氏撮影)

 

8年前の琉球侵攻は、皇帝による「大赦」の対象であるとして不問に付し、日本の琉球併合と、琉球が日本に服属したことを公式に容認するにいたる。

 

読者の参照の手間を省くため、上記に引用した八重山日報から一部を以下に抜粋する。

1617年、日本から福建省渡航した徳川幕府の使者、明石道友に対し、福建省の海防と外交の担当者だった韓仲雍(かん・ちゅうよう)が、日本はなぜ琉球侵奪したのかと質問。明石は、薩摩の琉球侵攻は家康の代で済んだことであり、この件は薩摩を追究してほしい、と答えた。
 韓仲雍は「汝(なんじ)の琉球を併する、及び琉球のひそかになんじに役属(えきぞく)するは、また皆、わが天朝の赦前(しゃぜん)の事なり」(日本の琉球併合と、琉球が日本に服属したことは、3年前の皇太后崩御時に明の皇帝が大赦を行った前の出来事だ)と発言。8年前の琉球侵攻は、皇帝による「大赦」の対象であるとして不問に付し、公式に容認した。
 韓仲雍はさらに「まさにみずから、彼の國(琉球)に向かいてこれを議すべし」と述べている。

 「みずから」は明とも日本とも解釈できるが、石井氏は「この問題は済んだことなので、明国も日本もそれぞれ勝手に琉球と談判しようという意味だろう。いずれにしても、明国が日本による琉球併合に同意していたことに変わりはない」と指摘した。

 石井氏によると、琉球国の帰属問題をめぐり、明国が公式に日本帰属に同意していたことを論じた研究はこれまでにないという。
 石井氏は「明国は琉球人の案内によって使者が琉球渡航していただけであり、琉球に援軍を送ることは不可能だった。高官が(琉球の領有同意を示す)『大赦』という言葉を使ったのも、なかばメンツのために過ぎない」と分析している。

 

 

「釣魚島」「釣魚嶼」は日本名 / 尖閣諸島を示すチャイナ名は存在しなかった

尖閣諸島を示すチャイナ名は存在しなかった】

釣魚島」とは、実は日本名である。

世の史料に尖閣諸島を示すチャイナ名は存在しない。
歴史上はじめて資料に登場する「釣魚嶼」も琉球国官吏が明国使節団に指し示して教えた島の名前(日本名)である。
明の使節団代表だった陳侃が書き残した「使琉球録」には、琉球への往来は明人は誰も知らなかったので、みな外国人(沖縄人)に頼っていたと書いてあり、沖縄から船が来て案内人が出来て良かったと書いてあるくらいだ。

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                  平成29(2017)年の尖閣の日に行われたいしゐのぞむ氏の講演資料

 

最後の1行だけがチャイナ人の手になる尖閣の読み名である。その他は日本語(漢文)による日本名だ。つまり、1972年までチャイナ名で尖閣諸島を示したと考えられる表現はない

念のため

釣魚嶼(ちょうぎょしょ)

釣魚臺(ちょうぎょだい)

釣魚島(ちょうぎょとう)

すべて、日本語(漢文)による日本名だ。

釣魚図鑑(ちょうぎょずかん)、釣魚料理(ちょうぎょりょうり)と普通に日本語である。釣魚を Diaoyu と発音すればチャイナ語となる。

三行目のゴービルの地図に出てくる Tiaoyu-su(ちぁぉゅーす)は、 日本名の釣魚嶼(ちょうぎょしょ)の鼻濁音(ちぁぅ "ぎ” ぉー "す"ょ) に近い発音であり、Diaoyu-yu(xu) とは思えない。

四行目 Tsio ghio tai (ちぉ ぎぉ たい)は、日本名の釣魚臺(ちょうぎょたい)とすぐ気が付く。Diaoyu-tai とは似ても似つかない。

五行目六行目の Koobisan Sekbisan については、それぞれ黄尾山、赤尾山と分かる。チャイナ語とは比較の余地もない。

七行目八行目は、日本人の記録である。今までの歴史を踏まえた記述になっている。

もう一度繰り返しになるが、最後の1行だけがチャイナ人のチャイナ語での尖閣の読み名、チャイナ名である。その他は日本語(漢文)による読み名、つまり日本名だ。

1972年までチャイナ名で尖閣諸島を示したと考えられる表現はない

 

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                      平成29(2017)年の尖閣の日に行われたいしゐのぞむ氏の講演資料

 

左の画像 「海道の往来はみな夷人(沖縄人)に頼る」とある。尖閣経由沖縄行き帰りの航路は、沖縄の人々に頼っていたのだ。

 

チャイナは、「陳侃の書いた『使琉球録』に史上初めて『釣魚嶼』が登場する」事実をもって、尖閣諸島がチャイナのものであるという主張をしている。

しかし、陳侃の「使琉球録」で分かることは、琉球王太子冊封使一行に対する配慮で、冊封船は羅針盤を司る琉球人の水先案内人と操船に熟練した琉球の水夫30名が率いていたということだ。

右の画像は「陳侃三喜」部分

陳侃が三回も喜んだ理由に注目し、チャイナ人たちが尖閣航路に無知であったこと、沖縄人がその事実を知っていたこと、そして何よりも、沖縄人が「おもてなし」の精神をもって冊封使たちを道案内してきた事実を噛みしめて欲しい。

尖閣航路は、沖縄人によって開かれ管理されてきたのである。

 

下記のページで、英訳現代日本語訳を付けてこちらで説明してある。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

日本語の超訳はこちらでも読める。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

このページの画像は、平成29(2017)年の尖閣の日に行われたいしゐのぞむ氏の講演資料です。資料はいしゐ氏のものを用いましたが、記述内容に誤りや齟齬がある場合はブログ主の責任です。

皇明実録 / 此外溟渤 華夷所共 この外の溟渤(大海)華夷の共にする所なり

中国の明王朝の公式日誌「皇明実録」の中に、明の地方長官が日本の使者との間で、

明の支配する海域が尖閣諸島沖縄県)より中国大陸側にある台湾の馬祖列島まで」と明言し、「その外側の海は自由に航行できる

とした記述を長崎純心大の石井望准教授(漢文学)が見つけ、
2013年1月21日に長崎市内で記者会見して明らかにした。

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石井氏の発見したのは、江戸時代初期にあたる1617年8月の皇明実録の記述である。沿岸を守る長官「海道副使」だった韓仲雍が、長崎からの使者・明石道友を逮捕・尋問した際の記録で、皇帝への上奏文として『皇明実録』中の
「神宗顕皇帝実録」巻之五百六十に納められていた。

 

それによると、海道副使である韓仲雍は明石道友に対し、

沿岸から約40キロ・メートルにある「東湧島」(現在の馬祖列島東端・東引島)
等の島々を明示したうえで、

この外側の大海(「溟渤(めいぼつ)」)を
華夷の共にする所なり」とし、

中国でも他国でも自由に使える領域(現代で言う公海)だと指摘している。

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韓仲雍が北から順に列舉した

臺山・礵山・東湧・烏坵・澎湖・彭山の六島は、

福建沿岸の諸島嶼中で海岸から最遠の線を構成する。

即ち福建の海防の東限を日本人に告げたのがこの言葉である。

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臺山:中華人民共和國福建省福鼎市の臺山島。
   福鼎の海岸から約四十キロメートル。

礵山:中華人民共和國福建省霞浦縣の四礵列島。
   霞浦の海岸から約二十キロ。

東湧:中華民國連江縣東引島。馬祖列島の東端。
   大陸海岸から約四十キロ。

烏坵:中華民國金門縣屬の烏坵嶼。
   福建省中部の莆田市の海岸から約二十キロ。

彭湖:臺灣西南部と福建との間の群島。
   福建省南部の廈門から約百二十キロ。

彭山:福建の最南端の南澳島の沖合、今の廣東省の南澎列島。
   海岸から約三十五キロ。

 

尖閣諸島は、中国大陸沿岸から約330キロ・メートルも離れて点在する島々であり、

中国でも他国でも自由に使える「華夷の共にする」領域にある「無主地」であると明朝が看做していたことになる。

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英語による説明はこちら

kaiunmanzoku.hatenablog.com

「華夷所共」即中國與外國所能自由使用的海域 その外側の海は自由に航行できる

下記は http://tw.myblog.yahoo.com/hoon-ting/article?mid=30247 及び 

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130121-OYT1T00687.htm

に記載されていた記事で、FBで過去(2013年3月13日)に紹介したものです。双方ともリンクが切れているようなのでブログに掲載することとします。

 

《明神宗實錄》沒釣魚
【Comment】


中國稱釣魚台在600年前的明代即為中國所管轄。

日本學者根據中國《明皇實錄》(應該是萬曆的《明神宗實錄》)在1617(萬曆45)年8月的記載,當時海道副使逮捕長崎來的使者明石道友,並奏文呈報皇帝。


奏文明白提及沿岸約40公里的記載「東湧島」(馬祖東引島)等島嶼,但對於40公里外側的海域則稱為「華夷所共」,即中國與外國所能自由使用的海域。釣魚台群島,距離中國海岸330公里。


明帝國在1530年代有派遣使者到琉球的記錄。中國根據記錄提及:琉球的管轄海域邊緣為釣魚台/尖閣群島東側的目前稱為久米島大正島之間,從而宣稱釣魚島為明帝國的領土。但根據學者石井望准所提《神宗實錄》,明代的管轄海域只有40公里,其外的領土應為「無主」。所以1895年日本政府根據實地調查,認定其上並無他國管轄與居住痕跡從而認定其為無主地,而編入日本範圍。


其實,稍後的1626年荷蘭(荷蘭共和國下的東印度公司)佔據澎湖想與福建通商,明帝國福建省巡撫打敗荷蘭,並約法:1. 荷蘭放棄澎湖島;2. 中國允許荷蘭通商;3. 荷蘭染指臺灣,明朝政府可以不問。[1] 假使像台灣這麼大,當時都是中國以外的番地,中國豈有曾統治釣魚台之理?


150年後,清帝國的反應也一樣:1867年 羅妹號事件、1874年 牡丹社事件,大清對於台灣這一個大島的態度都是「不關我事」,為何1895年元月會念茲在茲撮爾無人小島釣魚台,是否被日本收歸????

 

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尖閣、400年前は支配外…明王朝式日誌に◎讀賣新聞(2013.01.21)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130121-OYT1T00687.htm


 中国の明王朝の公式日誌「皇明実録 ( こうみんじつろく )」の中に、明の地方長官が日本の使者との間で、明の支配する海域が尖閣諸島沖縄県)より中国側にある台湾の馬祖 ( ばそ )列島までと明言し、その外側の海は自由に航行できるとした記述を、長崎純心大の石井望准教授(漢文学)が見つけ、21日午前に長崎市内で記者会見して明らかにした。


 中国は現在、尖閣諸島を約600年前の明の時代から支配してきたと主張しているが、石井氏は記者会見で、「歴史的に見ても、尖閣を巡る論争は日本側の主張が正しいということが、この史料からわかる」と語った。


 石井氏が見つけたのは、江戸時代初期にあたる1617年8月の皇明実録の記述。沿岸を守る長官だった「海道副使 ( かいどうふくし )」(海防監察長官)が、長崎からの使者・明石道友 ( あかしどうゆう )を逮捕・尋問した際の記録で、皇帝への上奏文として納められていた。


 それによると、この海道副使は明石に対し、沿岸から約40キロ・メートルの「東湧島 ( とうゆうとう )」(現在の馬祖列島東端・東引島 ( とういんとう ))などの島々を明示したうえで、この外側の海を「華夷 ( かい )の共にする所なり」とし、中国でも他国でも自由に使える海域だと指摘したという。魚釣島 ( うおつりじま )などからなる尖閣諸島は、中国大陸から約330キロ・メートル離れている。


 中国は、明王朝の1530年代に琉球に派遣された使者の記録をもとに、琉球の支配海域の境界は尖閣諸島の東側にある久米島と同諸島の大正島の間にあり、魚釣島などは明の領土だったと主張している。だが、今回の記述により、明の支配海域は沿岸から約40キロ・メートルまでで、尖閣諸島はどこの国にも属さない「無主地」だったことが明らかになった、と石井氏は指摘している。日本政府は、尖閣諸島が「無主地」であることを調査・確認したうえで、1895年に日本に編入したとしている。


(2013年1月21日14時36分 読売新聞)

 

 

 

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英語による説明はこちらで

kaiunmanzoku.hatenablog.com

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