kaiunmanzoku's bold audible sighs

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米国務省 イラン革命防衛隊をテロ組織指定の方針

本来なら、新聞テレビが大きく報じておくべき事件。二日たっても小さく扱ったままだ。というわけで、今後の展開によっては引用の必要もあるのでブログに再掲載しておくことにする。

 

国務省 イラン革命防衛隊をテロ組織指定の方針

平成31(2019)年4月7日 読売朝刊

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国務省 イラン革命防衛隊をテロ組織指定の方針 平成31(2019)年4月7日 読売朝刊

 

 

嘉辰令月歓無極 かしん れいげつ よろこび きはまりなし

嘉辰令月歓無極 万歳千秋楽未央

かしん れいげつ よろこび きはまりなし ばんせい せんしゅう たのしみ いまだなかばならず


和漢朗詠集》に「君が代」と並んで、祝いの歌として載っている有名なもの。

超訳: めでたい日にめでたい月 喜びは尽きることなく、万年も千年も楽しみは続く

 

著名な東大教授が「令」という字に関するイメージをテレビで誤って伝えていたので、正しい知識を伝えるために #令月 に関する説明としてFBに投稿したもの。

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誰しも誤りや勘違い脱線はある。誤りは正せばよい。今回はマスコミでの出現が際立って多い、一般の人々に影響力が大きい東大教授の肩書を持った人物だったので

残りの5案に拘泥する妄執の東大教授は、ただのアホでなければ文化破壊で日本世論分断工作を行う不逞者。アホのほうだと信じてあげたい。

と、書き込んだ。歴史学と漢文では畑が違う。アホをやってしまっても恥ではないと思う。

 

画像はこちらのもの:

古代歌謡集 - 国立国会図書館デジタルコレクション

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参考:

紫式部日記を読むと、藤原道長の孫(後一条天皇)の誕生を祝う宴でも朗詠されたことが分かる。実は現代でも朗詠されている大変有名な祝詞である。

dl.ndl.go.jp

「令和」は "Harmony is Precious" であり "Precious Japan" でもある

律令の場合の令(りょう)は、命令 "order" の意味ですが、令月の令(れい)は良い、貴く立派な、縁起が良い "lucky" ”precious”の意味になります。

https://www.facebook.com/ethan.kaiunmanzoku/posts/2137093569740252

  

令月の令(れい)は良い、縁起が良い、吉、貴く立派な "lucky" や ”precious”の意味になります。和(わ)に "harmony" という意味があると気付けば、「令和」は "precious harmony" であり「以和為貴」となります。

https://www.facebook.com/ethan.kaiunmanzoku/posts/2137451856371090

 

令=良い、縁起が良い、吉、貴く立派な "lucky" や ”precious”の意味。
和=日本 と考えて「令和」を "Precious Japan" とも解釈できますね。

https://www.facebook.com/ethan.kaiunmanzoku/posts/2137518446364431

 

 

字源を引くと、上から跪いた人に話しかける様子が描かれており、お告げを聞くことと書いてあって、意味としての第一義が神からのお告げ、次に上位者による指示命令、その次に良い事となっていて、令息、令嬢、令室などの例が挙げられています。

元号となった「令和」の「令」は、令月の令で、上の3つの意味のうち、良い事を意味すると分かると思います。

良い事を意味する「令」を使った熟語の例として、

令人:良い人、立派な人

令日:めでたい日、よい日柄、(時節柄貴重な)吉日

令主:良い君主、すぐれた殿様

令名:良い評判、名誉

令聞:良い評判、ほまれ

これらの使われ方を見れば、「令」には "admirable" "exellent" "good" "lucky" "happy" "honorable" "precious" 等の英訳が似合うことがわかります。

万葉集梅の花の歌の序文にある「令月」というのは、冬が去って、梅が咲き、蘭が香り、蝶が舞うような初春ということで、ようやく春らしい春がやって来る兆しに希望を抱くような日、そんな日に素晴らしい人たちが集うという、めでたく貴重な月であり日ということです。

 4月2日になって外務省は「令和」の英訳として "Beautiful Harmony" を世界に発信した。上記の趣旨と合致する良い英訳だと思う。平成31(2019)年4月4日追加

+++++念のため読み下しと原文を書いておきます+++++

万葉集 第五巻  梅の花の歌 32首のすべての序文として 

 

天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。

 

時に、初春(しょしゅん)の月(れいげつ)にして、気淑(き よ)く風(やはら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かをら)す。

 

加之(しかのみにあらず)、曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。

 

庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。


ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。

 

淡然(たんぜん)と自(みづか)ら放(ひしきまま)にし、快然と自(みづか)ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。

 

古と今とそれ何そ異(こと)ならむ。宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

 

 

万葉集 第五巻 梅花歌卅二首 [并序] 

 

天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春月 氣淑風 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧 鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 促膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇 古今何異哉 故而賦之于園梅 聊成短詠也

 

上記の読み下しと原文は下記を参考にした。

万葉集/第五巻 - Wikisource

 

下記の訳文はインターネット上から拾ってきたもの。参考として記載しておくが、後で自分なりに訳してみたい。

 

天平二年正月十三日、長官の旅人の邸宅に集い宴会を開いた。時は初春の良き月、空気は美しく風も和やかで、梅は鏡の前で装う白粉のように白く咲き、蘭は身に帯びた香りのように香っている。そのうえ、明け方の山頂には雲が移ろい、松は薄絹のような雲を被いて天蓋を傾け、山の窪みに霧がわだかまって、鳥は霧にたちこめられて、林に迷っている。庭には新しい蝶が舞い、空には年を越した雁が飛び去っていく。ここに天を天蓋とし、地を座として、人々は膝を近づけて酒盃を酌み交わしている。一座は言葉を忘れて睦みあい、雲の外に襟を開きあっている。それぞれが淡々と心の赴くままに振る舞い、快く満ち足りている。もし筆に記すのでなければ、どうやって言いあらわす事ができようか。詩経にも落梅の詩篇が記されている。古今異なるはずもなく、庭の梅をよんで、いささかの短歌を作ろうではないか。
正月になり新春がやってきたら、このように梅を招きながら、楽しい時間を過ごそう。

 

shousetukaiun.hatenablog.com

 

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共産主義が政治から切り離されるべきカルトである理由

 

マキャヴェリズムは政治を宗教から切り離した。
そもそも全ての教条主義から政治は切離されるべきだろう。
教条とは「独善の世界」だから、「独善」を教義とする共産主義が「君主論」(16世紀)以前の野蛮な理論になってしまったことは明白だ。

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その説明をしておこうと思う。

もちろん、マキャベリズムについては世の大家が説明しているので私の出る幕はない。

1.教条が「独善の世界」であり、全体主義の必須の要素であること。

2.共産主義が「独善を教義とする」ようになったこと。

 3.なぜ共産主義は独善的か。 

 上記を私なりに説明してみよう。

 

 

1.教条が「独善の世界」であり、全体主義の必須の要素であること。

世の中には、人類誕生から現代までの時間と地球という人類の住む広大な空間を無視して、自分たちの文明のもつ価値観だけが至上の存在であると位置づけ、それを実現しようとする人々がいる(しかしその理想は絶対に実現できない)。彼らは、その実現不可能な社会を理想とし、その価値観を維持する(他者が歴史と共に蓄積した経験則を過小評価するか無視する)ために取り決めたルールを他者に強要しようとする。

 

これを「独善」という。その価値観を「教条」という。

 

つまり、彼らが、人類の生物学的限界を無視しているにも拘らず、これが人類(文明人)共通の価値観だとして押し付ける、その価値観を「教条」といい、その押し付けるエネルギーを「独善」という。

 

更に換言すれば「教条」とは「独善的価値観」のことである。

 

教条の性格・性質のひとつは、世の中の多面性と異種の共存共栄という視点の決定的欠如だ。「味方・敵」や「支配・被支配」「搾取・被搾取」「富・貧困」「純血・穢れた血」「善・悪」「白・色」「光・闇」「文明・野蛮」「正統・異端」という徹底した二面論的価値観が支配する世界観がそれだ。「右でなければ左」、「左でなければ右」という発想の事だ。

 

 一旦、教条が世の中(脳内)を支配し始めると、その社会では事実や真実を見極める事より、いかに世界が自分たちの価値観に沿って動いているかを随時確認し主張する作業が優先される。自己正当性の確認作業だ。それが教条「独善的価値観」第二の性格・性質である。私は、ここに至った社会を全体主義移行社会と呼び、そこでおこなわれる自己正当性の確認作業を全体主義ファシズム)と定義する。

 

 そして、その確認作業は自己の正当化のために行われるため、その集団や社会に必須のものとして強迫観念化する。自己正当性の確認作業は強迫観念化する。その集団や社会の存在を維持のために必須であるから、その脅迫観念化も必然である。結果として、その脅迫観念がその集団や社会を支配する段階まで続けられ、さらに教条を強化する。つまり、教条主義者の集団や社会は必ず過激化する全体主義社会の完成である。

 

 

 2.共産主義が「独善を教義とする」ようになったこと。

この説明は簡単だ。

人は他の動物と同じく自然が生み出した進化の賜物ではなく、「神によって神(の子)のうつし身でとして作られた」。

だから、人が理論に基づき理性を働かせ社会を変革さえすれば、「人間の情動全てがコントロールできる」。

そのような妄想を抱いた人々によって作られた妖怪が共産主義ということだ。人間が神の代わりに社会悪を定義して、それを罰しようとすれば独善は避けられない。

 

#マルクス
妖怪生みの親。妖怪が殺人を好む人類の敵になることを知らずに世を去る。理想の実現に独裁が必要と説いた矛盾は痛恨。その誤謬を歴史が実証した後も狂信者は絶えず、彼らによって思想をアヘン化(教条化)することには成功した。

 

#共産主義

平等公正を理想とするが、平等の実現を力で強制するため、結果として平等や公正さを「指導」する行政官が平等や公正以上のものを手に入れ特権支配階級化する社会が誕生する。その階級の既得権維持のため暴力や拷問が正当化される。

 

独裁は、その性格上(一旦、教条化した思想が社会を支配してしまえば、自分たちの正義、つまり独善、を実現するために、一番簡単で確実な方法だから)個人崇拝もまた必然的である。人類は世に共産主義を標榜する国家が現れるたびごとに、個人崇拝と思想の教条化がおこなわれることを目撃してきた

 

共産党員と呼ばれる「平等や公正さを取り仕切るはずの行政官」は、ヒエラルキーのトップに君臨する共産党委員長という「個人の権力(独善)への奉仕者であり、自己の地位を高め、あるいは維持するために共産主義の一層の教条化を進める「カルト信者」と化してしまう。

 

独善的教条社会(教条が支配してしまった社会)では、社会の現実と目指すべき理想とのギャップは、洗脳と暴力によって埋められ、党員と呼ばれる支配者層は事実よりも、捏造や取締りによってもたらされる成果や利益を互いに競うことで独裁と独裁者に貢献することとなる。

 

事実や成果は証拠によって証明されるのではなく、主張や強引な「こじつけ」によって捏造される社会が出現する。


捏造による矛盾の解消は、それを指弾しようとする者を粛清することによって行われる。だから、教条主義者の集団や社会は必ず過激化する


民衆の不満は、内外に反革命分子や分離主義者、帝国主義軍国主義等々、様々なレッテルを貼られた「敵」を捏造することで逸らされる。このため共産党には、常に「敵」の存在が必要とされる。自分たちの価値観に沿って動いていない者は全て「敵」と判断される。自己正当性の確認作業のせいである。周りの全てが敵だからこそ独善は機能するのだ。

 

共産主義の教条化は上記のようにいたるところにその存在を発見できる。

 

30万人虐殺の南京や「統一中華」や「中国の夢」で語る領土領海の広大さ等々、共産主義者が荒唐無稽な作り話が好きなのは、いかに世界が自分たちの価値観に沿って動いているかを随時確認し主張する作業=自己正当性の確認作業のせいである。

それは自国民弾圧時の被害の過小さにも表れている。天安門事件や天津大爆発、チベットウイグルでのジェノサイド等だ。自己正当化の確認作業の結果としてもたらされた被害は常に過小評価され、得られた利益は過大評価されて来た。自己正当化が正当化のための正当化だからだ。

 

これらは、教条主義のなせる業であり、カルト思想独特の独善という世界観のせいである。

共産主義も教条として政治から切り離されるべきだ。カルト性(独善性)はどの宗教より強力で有害だ。

 

3.なぜ共産主義は独善的か。

聖典の世界観から逃れられないマルクスによって作られたのが共産主義。そこでは神を否定するが「人が神に代わる」。だから「独裁」が必要。また、聖典が善悪二面論だから、善の勝利のために階級闘争は必須となる。
共産主義の唯我独善の世界観はカルトそのものだ。平成31(2019)年1月28日のメモ。

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マルクス共産主義は、人は他の動物と同じく自然が生み出した進化の賜物ではなく、「神によって神のうつし身(神の子)として作られた」という善悪正邪二面論的世界観の支配する聖典の社会に生まれた「無神論的人間理性崇拝」の一形態だ。

そう、ダーウィンが進化論で聖書に記された天地創造を否定したように、「科学」を用いて、社会の矛盾が次の社会を生み出すという、擬似進化論的社会進化を論じたはずのマルクス無神論者であるはずのマルクスは、ついに自分が生まれ育ったユダヤ社会の聖典旧約聖書に描かれた善悪二面論的精神世界を越えることはできなかったのだ。

 

だから、人が理論に基づき理性を働かせて社会を変革すれば理想郷が生まれ、そこでは「人間の情動全てがコントロールできる」と考えた。そのような空想(妄想)を抱いたマルクスが作った妖怪が共産主義といえる。人が神に代わるのだ。神を否定したうえで。だから「独裁」が必要なのだ。また、善悪二面論だから階級闘争も必要となるのだ。実際には、階級闘争の手段として、その帰結として、階級を指導するとされる独裁者や特権階級を産みだしてしまうにも拘わらずだ。

理想社会建設と言う目的のために手段を厭わない独善。嘘や暴力、抑圧や殺人を自己正当化し恥じることのない妖怪が誕生する。その事すら正当化してしまう。それが共産主義だ。

そこでは、階級闘争は神の率いる天使と悪魔の戦いを、共産党の指導による労働者・農民と資本家・帝国主義との戦いに模しているだけなのだ。

 共産党の指導が絶対正義のように扱われ、その指導に反する者たちを「敵」と断じて苛酷な扱いが出来るのは、聖典の善悪二面論の世界で神を演じているからなのだ。演じるのは妖怪と化した人である。

 

マルクスは、人類史上最悪の殺人妖怪を生み出して世を去ったが、理想の実現に(人が神に代わる)独裁が必要と説いた矛盾は痛恨。その矛盾が歴史上で幾度も実証された後も狂信者は絶えず、自らの空想をアヘン化(教条化)することには成功したと言える。

そう、宗教はアヘンと言い、神を否定したはずのマルクスは、ついに科学となるべき自身の思想を実証できないカルト教祖と化したのだ。

  

つまり、マルクスが生んだ共産主義は空想から宗教へ、さらに宗教からカルトヘと思想を変質させたことは、社会「科学」的に間違いないだろう。

 

上記のベースになっているのは下記の過去のブログ。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

kaiunmanzoku.hatenablog.com

市場原理で脱原発 2012年のブログを再ブログする

日本のエネルギー自給率は8.3%、しかも化石エネルギー依存度は93.6%。安全保障上も環境保護上の観点からも電力政策は抜本的に改革されるべきだ。

再エネ付加金を止めて代わりにCO排出課金制度を創設し、電源ごとに価格設定して、消費者がその割合を選択できるようにすべきだと提言したい。

以下は、2012年のブログの再ブログと最新のエネルギー白書に触れたもの。

+++++

原発依存度の数値目標は馬鹿げている、送発電を分離し、電力の自由化を進めて、家庭や企業で自分たちが利用したい発電エネルギーを選択できるようにすれば市場原理で脱原発ができる。

脱原発化石燃料を経済的に凌駕するものをつくりだせば達成できるのであるから、まず、エネルギー源間の市場競争を促すべきである。また、そもそも現在の電源構成をベースにして電気料金を一方的に押し付ける制度は利用者の権利を奪っている。利用者にエネルギー源を選択できる権利を付与すべきである。それには送発電を分離し、電力の自由化を進めて、家庭や企業で自分たちが利用したい発電エネルギーを選択できるようにすればよい。

下記は例示であるが、

a.原子力電源の電気料金=原子力発電料金+廃炉費用復興助成金

b.LNG・石炭等の化石燃料電源の電気料金=化石燃料発電料金+炭素税

c.水力発電の電気料金=水力発電料金+地元対策費

d,風力発電の電気料金=風力発電料金+鳥類保護対策費開発助成費

e.太陽発電の電気料金=太陽発電料金+土地買収助成費開発助成費

f.地熱発電の電気料金=地力発電料金+国立公園及び泉源維持管理費

g.その他(バイオマス、水素、太陽熱、潮力、波力、etc)

a〜gの混合比での料金体制を数種類用意してもよいし、利用者に選ばせればせてもよい。立地等で割当量に限りのあるものは需要と供給の原理で高くなるかもしれないがそれも市場の論理である。

例:我が家の電力=a 20% + b 20% + c 0% + d 10% + e 20% + f 20% + g 10%

ニーズがあれば色々なエネルギー源をベースとした新しい発電所を作る業者も多く誕生するだろう。その業者からも直接購入ができるようにすればよい。

この際、一切の電源地域対策に類する費用を公開しその費用を電力料金に上乗せし、国家予算や財政投融資枠から切り離すことが、公平な競争を促すことと考える。

発電を事業とするものは市場で売れるエネルギー源を使った電気を発電しようと心がけるであろうから、国民の支持・不支持により自然淘汰的に脱原発が可能になるだろう。


例えば、反原発派の人々は、当然、高くてもクリーンなエネルギーを選ぶだろうし、そうでない人は原発エネルギーを含む選択肢を選べばよい。

石油危機で火力発電だけに頼れないと歴史的経験を持つ日本にはエネルギー安全保障の面からバランス良く選武べきだと考える人もいるだろう。

野鳥保護を重視するバードウォチャーは風力発電を避けてエネルギー源を選択すればよい。

ダムの建設が河川の自然に脅威を与えていると思う人は水力発電を除いたエネルギー。

とにかく安ければよいというのなら、原発オンリーの選択も良いだろう。

温暖化防止のためにCO2の削減を国際公約した国民として、温暖化による水没が危惧される太平洋の島々へ配慮をしたい人もいるだろう。

燃料の大部分を輸入しなければならない現状を考えシーレーン防衛のコストとエネルギーコストの比較を考える人もいるだろう。

主人公は国民である。市場原理で脱原発を可能にしてくれる政策を政府は実行すべきである。


技術立国で輸出産業が社会を支えている、産業、特に物づくりの空洞化が問題となっている日本。

高齢化が進み年金制度、保険制度を支える基盤となる若者の労働力が心配な日本。

財政悪化で税制を見直さねばならない日本。

問題を多く抱える日本でエネルギー問題が反原発原発推進かの二つの選択肢で語られ、数値目標だけが先行するのは間違っている。

もう一度言う、脱原発は経済的な競争で化石燃料をつかったエネルギー源を凌駕するものをつくりだせば達成できる。 送発電分離と家庭や企業に自分たちの使うエネルギー源の選択ができる制度を導入し、市場原理を用いて、政策的に脱原発を誘導すべきである。

国際的責務を果たせる先進国、自由国家、技術立国、途上国の頼れる支援国家が日本の立ち位置である。

日本が築いてきた信用と安心感を失う選択は、全て間違っている。

 

上記は下記の再ブログである。

shousetukaiun.hatenablog.com

 

参考:

「平成29年度エネルギーに関する年次報告」(エネルギー白書2018)より 第2部 第1章 第1節 エネルギー需給の概要 3項 エネルギー供給の動向

3.エネルギー供給の動向
我が国のエネルギー需要は、1960年代以降急速に増大しました。それまでは、国産石炭が我が国のエネルギー供給の中心を担っていました。その後、国産石炭が価格競争力を失う中で、我が国の高度経済成長期をエネルギー供給の面で支えたのが、中東地域などで大量に生産されている石油でした。我が国は、安価な石油を大量に輸入し、1973年度には一次エネルギー国内供給の75.5%を石油に依存していました。しかし、第四次中東戦争を契機に1973年に発生した第一次石油ショックによって、原油価格の高騰と石油供給断絶の不安を経験した我が国は、エネルギー供給を安定化させるため、石油依存度を低減させ、石油に代わるエネルギーとして、原子力天然ガス、石炭などの導入を推進しました。

また、イラン革命によってイランでの石油生産が中断したことに伴い、再び原油価格が大幅に高騰した第二次石油ショック(1979年)は、原子力天然ガス、石炭の導入をさらに促進し、新エネルギーの開発をさらに加速させました。

その結果、一次エネルギー国内供給に占める石油の割合は、2010年度には、40.3%と第一次石油ショック時の1973年度における75.5%から大幅に低下し、その代替として、石炭(22.7%)、天然ガス(18.2%)、原子力(11.2%)の割合が増加するなど、エネルギー源の多様化が図られました(第211-3-1)。しかし、2011年に発生した東日本大震災とその後の原子力発電所の停止により、原子力の代替発電燃料として化石燃料の割合が増加し、近年減少傾向にあった石油の割合は2012年度に44.5%まで上昇しました。

 

 

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資源エネルギー省 エネルギー白書2018より

一次エネルギー国内供給に占める化石エネルギーの依存度を世界の主要国と比較した場合、2015年の日本の依存度は93.6%

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資源エネルギー庁資料 主要国の化石エネルギー依存度(2015年)



4.エネルギー自給率の動向
国民生活や経済活動に必要な一次エネルギーのうち、自国内で確保できる比率をエネルギー自給率といいます。我が国では、高度経済成長期にエネルギー需要量が大きくなる中で、供給側では石炭から石油への燃料転換が進み、石油が大量に輸入されるようになりました。1960年度には主に石炭や水力など国内の天然資源により58.1%であったエネルギー自給率は、それ以降大幅に低下しました(第211-4-1)。

石炭・石油だけでなく、石油ショック後に普及拡大した天然ガスは、ほぼ全量が海外から輸入されています。2014年度は原子力の発電量がゼロになったこともあり、過去最低の6.4%に低下しました。

2016年度は再生可能エネルギーの導入や原子力発電所の再稼働が進み、エネルギー自給率8.3%となりました。

 

東日本大震災前には、20%に伸びていたエネルギー自給率は2014年に6.4%、その後8.3%にまで回復した。

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資源エネルギー庁資料 一次エネルギー国内供給構成及び自給率の推移

 

北朝鮮被害者対策委と在日コリアン弁護士協会の歴史観をメモしておく

朝鮮日本軍性奴隷・強制連行被害者問題対策委員会(被害者対策委)声明

 

平壌3月1日発朝鮮中央通信
朝鮮日本軍性奴隷・強制連行被害者問題対策委員会(被害者対策委)は、3・1人民蜂起があった時から100年になることで1日、声明を発表した。

1919年3月1日、日帝の極悪非道な植民地支配に対するわが人民の恨みと憤怒はついに、全民族的な反日抗争で爆発した。

わが人民の反日闘争に恐れおののいた日帝は、軍隊と警察をはじめ暴圧武力を総動員して無差別な殺りく戦を繰り広げて3カ月間だけでも7500人余りを虐殺し、1万5900人余りを負傷させ、4万6900人余りを検挙、投獄した。

「朝鮮独立万歳!」を叫んだとして7歳の少年の口を刀で裂いて殺し、平和的デモを先導したという理由で16歳の乙女の頭皮をはぎ、八つ裂きにして殺すなど、日帝の殺りく蛮行はそれこそ野獣の狂乱、殺人鬼の横暴であった。

声明は、今も無この朝鮮人民が流した鮮血が地に深く染み込んでおり、恨みと憤怒に満ちた蜂起者の喊声が連綿と響き渡った山野にこだましていると指摘した。

また、3・1の恨みだけでなく、40余年の毎日毎日、日帝がわが国と朝鮮民族を地球上から全滅させるために働いたあらゆる悪行の苦痛はたとえ、それに対する贖罪があったとしても決して、容易に忘れたり、癒えるものではないと明らかにした。

そして、にもかかわらず、日本は過去を誠実に反省し、清算しないまでも、被害者の傷に灰をまき、歴史の正義に刃物を入れ、過去の犯行に劣らないあらゆる悪行を働いていると暴露した。

声明は、過去の罪科を認定も、反省も、賠償もしていない日本が再侵略の夢を見ているということは火を見るより明らかだとし、次のように強調した。

日本の過去清算問題に対するわれわれの立場と意志は、確固たるものである。

たとえ百年、千年が流れるとしても、日本は過去にわが民族に与えた全ての被害と苦痛に対してはっきり謝罪し、賠償しなくては、決して無事ではいられない。

世紀をまたいで積んできた日本の歴史的罪悪を総決算して、わが民族の血の代価を必ず払わせるであろう。

ーーー

 

 


在日コリアン弁護士協会(LAZAK)設立趣意書


「日本国家は、在日コリアンが19世紀後半から20世紀前半にわたる日本の朝鮮半島に対する侵略と併合により日本における生活を余儀なくされた存在であるにもかかわらず、戦後もその責任を全うせず、むしろ一貫して、在日コリアンが固有の民族として矜持をもって日本社会で生きていくことを否定し、日本社会に同化させるかさもなくば排除するという政策を堅持してきた。
 このような同化・排除政策は、基本的には現在も踏襲されており、在日コリアンの尊厳は尊重されず、その多くは日本の政治過程から排除されたままである。かかる状況を放置する日本の政府、国会、裁判所の三権の責任は厳しく問われるべきである。」

ーーー

 

 

日本の朝鮮半島に対する侵略と併合の罪は戦後70有余年を経て清算されていない。その責任は問われるべきだというが、彼らが「過去」や「排除」と主張するプロパガンダに与するわけにはいかない。

 

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MEMO 法の支配 反天皇活動をする判事の存在はなぜ許されないか

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【法の支配 反天皇活動をする判事の存在はなぜ許されないか】

 

成文化された法のほかに、人間社会には明文の法以上のものが「法」として存在している。時に自然法と言われるもので、その社会を成り立たせる「規範」である。

 

一般に、社会の秩序が脅かされる時に「それをしてはいけない」「こうあるべきだ」という「規範」が人々の心に意識される。これらの中には、実定法として定められるものもある。たとえば、個人の生命や自由を奪う刑罰については、その行使は国家権力に委ねられ、明文によってあらかじめ罪となるべき行為とその罰が定められていなければならないが、すべての「規範」が明文法として存在しているわけではなく、不文法として意識されているものや、意識されていないものも多い。自然法と言われるものだ。

 

たとえば、それは人の理性によって「発見」されてきた。

 

社会には「〇〇すべし」あるいは「〇〇すべからず」という規範というものがある。ある規範が明文になっていないからと言って、それを根拠薄弱だとして実定法の下に置いてはいけない。人の理性に基づく規範の創出は、社会の秩序を維持するため、社会をよりよくするために存在する。不文律は社会で当たり前に存在する。皆が従っていて不都合が生じていない(時間と空間がそれを許している)から不文律であるというだけの話だ。不都合が生じれば不文律は実定法として明文化されるであろう。

 

簡単に言えば、「(実定)法に触れなければ何もやっても良い」が許されないのは何故か、という問いに対する答えでもある。

 

まず、 歴史の中で育んできた文化観が社会を成り立たせている事を理解せねばならない。その文化的価値観が作り出して来た道徳や伝統や宗教や習俗を無視した行動や破壊する企てが問題にならない時空間が危機に見舞われる時に、はじめて「それをしてはいけない」「こうあるべきだ」という「規範」が人々の心に意識され、それが(実定法として定められ)実体化する。それまでの間「規範」は存在しなかったのではなく、「厳として存在」してはいたが「意識されていなかった」だけである。皆が従っていて不都合が生じていなかった(時間と空間がそれを許していた)から不文律であっただけなのだ。

 

これら「意識されていない」が「厳として存在」する「規範」にも我々は従わねばならないはずだ。

 

これが「法の支配」の本質である。

 

日本人の文化的価値観に「潜在的に存在」する「〇〇すべし」あるいは「〇〇すべからず」という規範(法)は、日本社会の存続に有効不可欠なものである。

 

であるから、その規範が明文法であろうとなかろうと(とは言え、そのような規範は最初は不文律であろう)、日本人が現在までに、その歴史と文化に基づいて獲得した権利義務の価値観(法)に拠っているのだから、統治する者も統治される者も従うべきなのである。

 

そこに権利の衝突や利害を調整すべき矛盾が生じるなら議会によって新たに明文法が制定されねばならない(生命や身体の自由を奪う刑法において罪刑法定主義が最重要なのはこれが理由である)。

 

憲法は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために」「この憲法を確定する」「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と前文で謳っている。

 

日本人の文化的価値観(法)が何ものかによって脅かされるなら、国民の代表を通じて、明文法を定め「法」に対する脅威を排除すべきだ。そう思う。

 

他人に対する敬意、特に年長者に対する敬意。弱者に対する配慮。信仰や崇拝の対象物への慮り。歴史的文化的価値観の尊重。人間としての尊厳。社会としての尊厳等々。

 

人間社会は明文法と不文法を問わず、それらの「規範」によって秩序が維持されている。

それらの「規範」は、施政者も被施政者も従わねばならない社会を統べる(法)である。

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以上は、「判事が『反天皇制』活動 集会参加、裁判所法抵触も」というニュースに接し、伝えたいと思ったことをFBに投稿したもの。いずれ、法治と法の支配の区別もつかない世の中の法律家に判るように纏めたいのでメモとしてブログにあげておくこととした。

三種の神器承継の精神は、日本社会に有効不可欠なものとして「厳として存在」する日本人の文化的価値観、規範である。それが明文であろうとなかろうと統治する者も統治される者も従うべき「法」なのである。

www.sankei.com

 

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「カエサルの物はカエサルに」 宗教・信条と安全保障

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カエサルの物はカエサルに」

 

政教分離を表す。また、物は本来の持ち主に返せという意味としても使われる。

 

この言葉が発せられた時期、ユダヤの民はローマ市民権を得ると兵役を義務付けられ皇帝に忠誠を誓わされるので、属州税を免除されるというローマ市民権を欲せず、ローマ帝国に安全保障を委ね、税を負担する代わりに宗教の自由とユダヤ祭司階級による(ローマ法の厳格適用ではなく十戎に代表される戒律による)秩序維持を選んでいた

 

当時のユダヤ人はユダヤ神殿に税を納める義務は理解できたが、自分たちを守るローマ軍の費用負担をする意味が理解できる人は少なかった。

 

つまり、上記の「カエサルの物はカエサルに」という言葉にはローマに安全保障をしてもらっている現実を受け入れなさいよ、という意味があったということだ。

 

現代でも宗教が(9条も十戎も)安全保障の代わりにならないという単純な理解が出来ない人々は多い。

 

 

 

Tiberius, Denar, Lyon, CNG.jpg
By Classical Numismatic Group, Inc. http://www.cngcoins.com, CC 表示-継承 3.0, Link

 

ローマのコイン、デナリオン銀貨にはローマ皇帝の肖像が刻印されている。上記の銀貨にはティベリウス帝。ユダヤ人達は偶像崇拝をタブー視して施政者の名前と在位年を記していたに過ぎない。ローマ支配下の属州では銅貨が鋳造されており、ガリラヤ地方では、ローマ皇帝の肖像が刻印された銀貨ガラリア領主の名と在位年の刻印された銅貨が流通していた。

 

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納めるお金(ティツィアーノ・ヴェチェッリオ画)Wikipedia

 

正恩を奈落の底へ落とした情報 韓国政府が支援を打ち切ったあの研究所から、会談の直前に?

2019年2月の米朝首脳会談に国の存亡をかけて臨んだ北朝鮮が掴みたかった成果とその根拠は2018年9月の金正恩文在寅との間で合意した「平壌合意」だった。

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

キムの目から見て、ムンは米国の情報をもたらす情報源、また、民族統一を望む同胞に見えたに違いない。頼りないが米国のためよりは「民族のため」に働く、パイプ役に思えただろう。ムンはキムに「北の危機は半島の危機」と呼びかけ、キムもまたムンに「北の人民に対する脅威は韓民族全体に対する脅威」と応えたに違いない。

 

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しかし、そもそもムンは米国と同じ情報を共有していたのだろうか。

もし同じ情報を共有していたなら「米国は知っている。当然その施設はネゴシエーションの対象だ」と事前に伝えたであろう。それが米国と南北朝鮮に有益な結果、つまり米朝会談の成功と朝鮮戦争終結宣言に繋がるはずだ。

 

しかし、結果は異なる。

 

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それにもかかわらず、韓国政府は「『非常に大規模な核施設』については、米韓で情報を共有しているものである」と事後に発表している。

もし、それが本当だとしたら「寧辺核施設だけで米国は満足する」という確信をどうしてキムとムンに与えてしまったのか。平壌宣言時から何も変わっていないとなぜ思い込んでいたのだろうか。そもそもその確信の根拠となる情報を米国の誰から得ていたのであろうか。万一、誰からも感触を得ていないなら、「寧辺核施設だけで米国は満足する」という確信は、文在寅の常識と想像を絶する楽天性による想像の賜物のようなものだったのだろうか。

それともムンは「核施設」の発見とその位置は米国から知らされて知っていたものの、「首脳会談で問題となるほど」規模が「非常に大規模」であることだけは知らされていなかったのだろうか。

このように思索をめぐらすのは、キムのハノイ会談挙行という決定が北朝鮮の情報力だけに基づいて行われたはずがないからだ。間違いなく前年の「9月平壌合意」が 下地にあるのだ。「9月平壌合意」以降の米国の対北朝鮮外交方針について、中共と米国が、韓国と米国が、それぞれ交渉した結果として得られた感触が、中共と韓国を通じて北朝鮮にもたらされたはずなのだ。それらが、おそらくは北がそのスパイ網の総力を挙げて収集した情報で作り上げた「米国の意図はこうであろう」という、北の感触と一致したからこそ、金正恩は期待を持ってハノイに向かった。

 

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はた目には、そのように見える外交の帰結に、韓国では「日本陰謀論」が渦巻く。それは韓国の世論が「米中南北は同じ土俵に乗っている」という「確信」「自信」があったことの裏返しだ。「同じ土俵に立っていない当事者は誰か」それは「日本」だという証拠も何もない感情論であるがゆえに思い込みようが分かるというものだ。

だからこそ、

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なおさら「非常に大規模な核施設」、「非常に大きなウラン濃縮施設」の存在とその評価が会談の重要要素だったと言える。

 

 こういう可能性もある。

「非常に大きなウラン濃縮施設」の危険性・重大性を米国自身が首脳会談の直前で知ったという可能性だ。

こんなことを言うのは、首脳会談の前に行われた数日間の事務レベルの交渉の段階や金正恩が初めて西側のメディアに答えたという、あの時点までキム自身が会談の成功を疑っていなかったからだ。

私が想像するのはこうだ。

金正恩が初めて西側のメディアに答えた、あのインタビュー後の交渉で、「非常に大きなウラン濃縮施設」が「危険で重大で、核の完全廃棄のために廃棄すべき施設」に変貌した。

情報をもたらしたのは、ボルトンだろう。

ボルトンは誰から得たか、ボルトンは米中通商交渉の最中にチャイナからホワイトハウスベネズエラ対策を理由に戻り、ハノイに駆けつけたのだが、北朝鮮の核施設情報の説明を受けるためだったのかもしれない。今回の米朝首脳会談は米国側がその情報力で勝利を収めたといってよいと思う。

 

北朝鮮の核施設情報「非常に大きなウラン濃縮施設」の出所

米国の諜報機関だろう。その他の情報源として有力なのはどこだろう。

 

韓国政府からではない。韓国情報院は文在寅が使い物にならなくした。同じ情報が衛星から得られたとして、その画像分析に意味付けをして外交に用いる能力を文政権は破壊した。昨年、北朝鮮の衛星画像分析で有名な『38ノース』を運営する在米『韓米研究所』に、文在寅政権が保守系の韓国系所長らの解雇を要求し、それが拒絶されると予算支援を打ち切ったため、現在『38ノース』は米国スティムソン・センターの下にある。

 

この『38ノース』が、「非常に大きなウラン濃縮施設」が「危険で重大で、核の完全廃棄のために廃棄すべき施設」であるとの情報を米国交渉団にもたらした有力候補の1つだ。

 

直前という事なら、もう一つ候補がある。日本の情報収集衛星(Information Gathering Satellite : IGS)の存在だ。8Kを用いた高度な解析能力があるとされる。内閣情報調査室から米国に提供された可能性も否定できない。

 

http://www.p-island.com/psc/cg/igs/IGS_momo_L.jpg

画像はリンクになっています。

リンク先はこちら

http://www.p-island.com/psc/cg/igs.html

 

北朝鮮が米朝首脳会談のベースにした2018年9月平壌共同宣言

南北首脳会談の宣言要旨

南北首脳会談
2018/9/19


韓国の文在寅大統領と北朝鮮金正恩朝鮮労働党委員長が19日(2018年9月19日)署名した「9月平壌共同宣言」の要旨は次の通り。

 

一、北朝鮮は北西部東倉里のミサイルエンジン実験場とミサイル発射台を専門家の立ち会いの下、永久に廃棄する。

一、北朝鮮は、米国が相応の措置を取れば北西部寧辺の核施設の廃棄など追加措置を取る用意があると表明。

一、金正恩氏は早い時期にソウルを訪問することにした。特別な事情がなければ訪問は年内と文氏。

一、南北は軍事共同委員会を早期に稼働させ、偶発的な武力衝突防止のため緊密に協議する。

一、南北は条件が整い次第、南北経済協力事業の開城工業団地金剛山観光事業を正常化する。

一、南北は2032年夏季五輪の共催誘致に向けて協力する。〔共同〕

 

www.nikkei.com

 

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2018年 「9月平壌共同宣言」

合意文書には非核化に関連する2つの措置を明記した。新たな措置は、核施設が集積する寧辺核施設の「永久放棄」ただし「米国が相応の措置を取るならば」という条件を付けた。かねて北朝鮮が求める朝鮮戦争終戦宣言などを指しているとみられる。

www.nikkei.com

金正恩は、この2018年9月の文在寅との合意をベースに米朝首脳会談に臨んだ。

だが、韓国と同様に米国相手でも、“寧辺核施設以外に非常に大規模なウラン濃縮施設があること” を隠し、騙し通せると思っていた北朝鮮は、米国の強大な情報力に屈した

 

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