李鼎元の漢詩『馬齒島歌』に
「三十六島此門戸、絶類竿塘石虎五」
三十六島、此れぞ門戸なり、はなはだ類す竿塘と石虎五と
(読み下し文はいしゐ氏から)
慶良間諸島と久米島という島々「三十六島」は、琉球の門戸である。
清国の門戸である五虎門、馬祖列島と、他に類を見ないほど似ている。
その国境の目印としての役割、出入国の出入口という意味の両方で他に類を見ないほどそっくりだということだ。
この国境の再発見は2015年の6月に発表された。発表したのは長崎純心大学准教授の石井望氏だ
上の図は清の門戸、五虎門、東引、北竿、南竿、莒光の位置。
琉球の門戸「三十六島」と 清の門戸「竿塘石虎五」とが両方提示されたということは、
その中間が存在しているということだ。
つまり清国の外交官である李鼎元が「いずれの王によっても統治されない領域」すなわち「無主地」の存在を認知していた証拠だ。もちろん中間の尖閣は無主地だ。
チャイナの主張は中間領域を認めていないが、それが誤りだと分かる。
上は久米島と粟国、渡名喜、座間味、渡嘉敷と並ぶ琉球の門戸の位置。
下は慶良間諸島(Wikipediaから引用)船から見ると、馬歯のように見えたのであろう。
清の門戸を日本人向けの観光地図に位置を書き込んでみた。五虎門は観光地だ。閩江の河口の流れを使って出航するのに適した場所に五虎門はある。
下のGoogleの地図で見ると、五虎に例えられる島が、想像以上に大陸に近くにある。
当時は、そこを通り過ぎると、もう「門外(国外)」であった。
以下の画像は いしゐのぞむ氏のホームページからのものだ。
詳細説明はこちらのホームページでご覧いただきたい。