呉の孫堅が荊州の劉表を攻めようと河南省鄧県の辺りへ向かったとき、劉表の最前線は黄祖を大将として対岸(漢江)に堅固な防御線を引いていた。
孫堅・孫策の精兵が群れを成して何度か岸辺に上陸を試みたが、皆ばたばたと射殺されてしまう有り様だった。
戦況不利と見た孫堅軍は矢の届かぬ距離まで陣を引き、一計を案じた。
夜に入ると付近の漁師の小さな漁船まで借り出し、無数の小舟を用意して列ね、赤々と、かがり火を焚かせ、黄祖軍に夜襲を仕掛ける様子を見せた。
真っ暗な川面に無数に光り輝くかがり火である。その様は無数の大軍が押し寄せてくるように見え、兵に恐怖心を呼び起こし、黄祖軍は弩弓といわず火矢といわず矢と言う矢を射られる限りに射たのだった。
しかし、その小舟には兵は乗らず船を操る水夫だけが乗っていたにすぎない。その正体がわからないように夜が明ける前に引き揚げていくのだった。
孫堅軍は、そういうことをそれから毎日繰り返したのだ。
さすがに七日七夜続けると、7日目には黄祖軍も空の船であることに気が付いたが、連日連夜の徹夜で疲れ果ててしまっていて、ろくろく応戦もしないでいた。
そして、その次の日の夜に今度は強兵を満載した船で向かったところ、水上で攻撃を全く受けることなく、無傷で続々と岸辺に上陸できた。いまや雲霞のごとき孫堅軍は一挙に黄祖軍を打ち破ったのであった。
襄陽の戦い
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無中生有(むちゅうしょうゆう)は、三十六計の第七計のことで、
「無中に有(ゆう)を生ず」ともいう。
最初に、敵が本気にするような、はったり、偽装を敵に示して欺く。
次に、それがはったり、偽装であることを敵に気づかせる。
何回も何回も繰り返し、相手が油断するか、疲れ果てるのを気長に待つ。
仕上げは、一気呵成の攻撃だ。
中共の艦隊や飛行隊が、盛んに宮古海峡を行ったり来たりを繰り返している。同じように尖閣の接続海域や領海に中共の公船が出たり入ったりを繰り返している。
日本の主権を脅かそうというデモンストレーション(示威)の一環であろう。
つまり、
①歴史や国際法を無視した主張
②中共籍船舶や飛行機による領海や領空への侵犯
③排他的経済水域での違法行為等
最初のうちこそ臨時ニュースになり、緊張感が国民の間に溢れていた出来事でも、そのうち当たり前のようになってくる。そこで事を起こす。
漁船に民兵を満載させてやってくる日は今日かもしれない。
理想は、充分な備えと心構えを見せて、相手に「デモンストレーションは無駄だ」と諦めさせることだが、まずは普通の国の普通の領海・領空・経済水域の警備を行わねばならないだろう。
違法行為は拿捕し、検挙し、起訴する。危険行為は相手の船舶や航空機に損傷を与えてでも阻止する。必要充分な警備活動を普通に行うことだ。警告をし、必要な安全を考慮したうえの正当な職務執行中に起きた結果については、その原因を作った側が負うべきだ。
尖閣には安全航行確保や人命救助のための有人監視施設も必要だろう。
2017年3月26日 具体的提案等についての部分を文章を入れ替えて書き直した。
なお、無中生有の例として孫堅・孫策と黄祖の戦いを用いたのは Wikipedia を真似たのだが、物語は黄祖が孫堅とのこの戦いに勝った後に江夏城を得て江夏太守となったという形に改めた。