日本人が尖閣問題を話すときの1番のポイントは、これだ。
陳侃をはじめとする明国の一行に島を指し「あれが釣魚嶼だ」と琉球人が教えなければ、陳侃は「使琉球録」に「釣魚嶼」の名を残すことはできなかった。
チャイナは、「陳侃の書いた『使琉球録』に史上初めて『釣魚嶼』が登場する」事実をもって、尖閣諸島がチャイナのものであるという主張をしている。
しかし、陳侃の「使琉球録」で分かることは、琉球王太子の冊封使一行に対する配慮で、冊封船は羅針盤を司る琉球人の水先案内人と操船に熟練した琉球の水夫30名が率いていたということだ。
この事実については下記の「陳侃三喜」を参考願いたい。
History / Senkaku 陳侃三喜 沖縄人の『おもてなし』に感激した冊封使 - kaiunmanzoku's bold audible sighs
針路を決め、船を操っている琉球人こそが釣魚嶼を航路目標として案内したのだ。
陳侃が釣魚嶼を冊封船から見ることが出来たのも、記録することが出来たのも、琉球人の操船と解説のおかげである。
平嘉山、釣魚嶼、黄毛嶼、赤嶼の島名が見えるが、いずれも琉球航路を知らない福建人、明人に代わって琉球人の看針通事(水先案内人)が針路を選び案内したものである。4島のうち後の3島が現在の尖閣諸島だ。
平嘉山:(彭嘉嶼)彭佳嶼(ほうかしょ)のこと
釣魚嶼: 魚釣島のこと (ちょうぎょしょ)と読んでも日本語である。
黄毛嶼:(黄尾嶼) 久場島のこと (こうびしょ)は日本語
赤嶼:(赤尾嶼)大正島のこと (せきびしょ)は日本語
必要があって、Kobisho Island、 Sekibisho Islandと表記するのは日本語なので問題ない。
念のためだが、事例を挙げておこう。
釣魚(ちょうぎょ)と読む。
釣魚図鑑(ちょうぎょずかん)と読む。
釣魚島(ちょうぎょとう)と読む。
すべて日本語(漢文)。
釣魚(diàoyú)と読むとチャイナ語だ。
そして、近年に至るまで釣魚を Diàoyú と読んだ形跡は世界中どの地図、どの史料にも存在しない。1972年になって中共が Diàoyú と記載したのが最初だ。
References:
上記の画像は下記のサイトから
参考図書
尖閣反駁マニュアル百題 いしゐのぞむ著 集広舎
第四部共著者 伊井茂 赤染康久
尖閣釣魚列島漢文史料 いしゐのぞむ著 長崎純心大学比較文化研究所