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夫婦別姓問題 (家庭における「氏」の名乗りについて)

夫婦別姓問題 (家庭における「氏」の名乗りについて)
別の投稿でコメント欄に書いたことをまとめて下記に記しておく


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①法的には、父系あるいは母系を継ぐとする漠然とした氏の範囲をより限定、氏を父系直系親族に限ることとした664年(天智天皇3年)甲子の宣以降 1898年(明治31年)以前の《姓氏を持つ家に生まれた》女性は、《必要がある時と場合に》父の氏を名乗っていました。そして、一般庶民階層では男女を問わず姓氏の名乗り自体があまり重要ではありませんでした。


つまり664年以降、夫婦間にできた(同一戸籍上の)子供の氏がバラバラになることはなかったし、戸籍上の氏も問題にならなかったのです。


②上で述べた通り、日本史を通じて、法的には夫婦別姓でしたが、姓や氏を名乗れなかった一般庶民には全時代を通して全く馴染みがなく、明治政府が当初一旦は夫婦別姓を導入した(確か法律は成立していたと記憶しています)のですが、実施にあたり庶民から「家庭内別姓は嫌だ」、「おかしい、昔から家族は夫婦もその子供も同じ苗字や屋号で呼んでいたし、呼ぶべきだ」、「〇〇の妻と呼ばれている(または)名乗っている」等々*1庶民感覚や馴染みのなさから猛反発を受け明治31年に夫婦同姓になったという経緯があります。


参考:夫婦別姓の法制化(明治9年太政官指令/出生家名)20余年経過し夫婦同姓法制化(明治31年民法(旧法)成立)
▼我が国における氏の制度の変遷(法務省

法務省:我が国における氏の制度の変遷


③補足ですが日本史における夫婦別姓家系図をみると「女 〇〇氏」という表現がなされているのを発見する事で気付くことも多いと思います。しかし、家系図をそのように記録する大名家や公家でさえ、妻妾が複数いる場合は、位階や土地の名、住居の場所名等を付けて呼ぶことが多く、父の氏を普段の呼び名にするケースは稀であったと思われます。


一旦は法制化された夫婦別姓が夫婦同姓に改められて法制化されたのは、日本史を通して家庭内で妻だけを他の家族と異なる呼び方にすることが、社会の全ての(貴族から庶民までの)階層において馴染みがなかったことが1番大きいでしょう。


まぁ、謀反人の娘などは時の権力者に遠慮して氏を伏せられたりするのですが、それは例外と言ってよいでしょう(細川ガラシャ等)


結論:明治期にいったん夫婦別姓が法制化されたのにうまくいかず、夫婦同姓になってしまったのは、庶民からの反発が強かったから。今更別姓にするのは滑稽です。


家庭内で夫婦の片方だけ他の家族と区別してその父方の氏で呼ばなければならないケースは歴史上も稀であったし、将来もまれであり続けるだろう。家庭の外での社会経済活動に法的保護を与えるのであれば旧姓使用拡大が筋。でなければ、家庭内分断を招きかねないと思う。


これは妄想ですが:位階(北政所大弐三位藤原賢子や准后平盛子朝臣等)のように、家庭内で藤原賢子取締役やら平盛子部長、北条政子課長と役職付きで呼ぶ時代すら招きかねない。

 

なお、中国や朝鮮半島における「家(家族)」とは「父系家族(妻のみ余所者)」という男系血族(同居共財)集団を長年意味しており、日本の「家」のように夫婦を中心とした家族単位で家業や家名の維持を重視する機能を持つものではない。
(参照:Wikipedia「家名」)

 

 

静御前

 

*1:庶民の感覚からすれば「八百屋の娘が大店の呉服屋の若旦那に嫁いだら呉服屋の御新造様とか御内儀と呼ぶべきで、八百屋の奧様等とは呼ばない」「料理屋の女将に入り婿した小作人の息子は料理屋の旦那と呼ばれるべきであって、小作人の婿殿では失礼である」という理屈

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