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三種の神器異聞:南朝系の血脈は、長禄元年(1457年)12月に断絶した

禁闕の変と長禄の変】

嘉吉3年(1443年)9月、後南朝勢力が御所に乱入し、三種の神器のうちの神璽が奪われる事件が発生した(禁闕の変)。赤松氏の遺臣は後南朝勢力に潜入し、長禄元年(1457年)12月に神璽を奪還して後南朝の後裔を殺害した(長禄の変)。この功により時勝の子赤松政則は赤松氏の再興を認められ、加賀半国守護に任ぜられた。天皇家や将軍家と姻戚関係にあった日野父子が後南朝に与していたこともあって、事件は幕府内に憶測を招き、山名氏や細川氏の関与が疑われた。

南朝系の血脈はここに断絶する。

「長禄の変」以降の南朝の血統の行方は現在に至るまで不明であり、新しい史料の発見がない以上、南朝皇統の血統は絶えたと判断する。

 

根拠は下記を参照の事。

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

shousetukaiun.hatenablog.com

田中義成博士「南北朝時代史」の長禄の変の項に、室町時代の長禄元年12月2日(1457年12月27日)に赤松満祐の遺臣らが謀略をもって後南朝の行宮を襲い、南朝の皇胤である一宮(自天王)と二宮(忠義王)の兄弟を討って、神璽を奪って朝廷に還した旨の記述が「吉野の山奥に尚南朝の皇子二人御座し・・・・・共に御名並びに御系統を審らかにせず・・・」とある。この上月記、赤松記を紹介して、これ以上の史料がまだ発見されておらず、今後も期待が出来そうもないと論じられている。

特に、「共に御名並びに御系統を審らかにせず」には後南朝系の記録が徹底的に抹殺破壊されたことも含まれる表現であることにご留意いただきたい。

「自天王」・「忠義王」は本名でないことも、この表現でお分かりいただけると思う。本文には「一宮」「二宮」とだけ記されているのがその証拠である。そんな痛ましい限りの(後南朝系の記録が徹底的に抹殺破壊された)状況が上月記、赤松記に記されている「共に御名並びに御系統を審らかにせず」なのだ。

 

20150614141104

 

 

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