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AIに平安時代の格子について聞いてみた。#香炉峰の雪

+++ 枕草子 第280段  +++


雪の、いと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火熾して、物語などして、集まりさぶらふに、


少納言よ、香炉峰の雪、いかならむ」


と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く揚げたれば、笑はせたまふ。


人々も、


「さる言は知り、歌などにさへ唱へど、思ひこそよらざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり」


といふ。


[正暦五(994)年の晩冬から翌長徳元年早春までの間と思われる]


+++

清少納言は黙って女房に格子を上げさせ、みずから御簾を高く巻き上げてみせる。

このシーンについてAIに尋ねてみた。

平安時代の「格子」は、建築において重要な役割を果たしていました。格子は、窓や扉の代わりとして使われ、日光や風雨を遮る機能を持っていたのです。特に寝殿造りの貴族の家では、格子が屋外と室内を区切る主要な建具でした。角材を立てて横に組んだ横長の四角い形状で、板をはめ込むこともありました。これらの格子は、柱と柱の間に設置され、上下に開く構造を持っていたため、部屋の通風や採光を調整することができました¹²³。


また、平安時代の貴族の生活において、格子はプライバシーを保護する役割も果たしていました。女性は人目に触れずに生活することが一般的であり、格子や御簾(みす)を使用して、外部からの視線を遮りながらも、ある程度の開放感を保っていました²。


このように、平安時代の格子は、建築様式だけでなく、当時の社会や文化にも深く関わっていたと言えるでしょう。もし、平安時代の建築や生活様式についてさらに詳しく知りたい場合は、お知らせください。私は、その時代の建築や文化に関する情報を提供することができます。どうぞお気軽にご質問ください。🏯


ソース: Bing との会話 2024/4/23


(1) 蔀 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%80.


(2) 平安時代の貴族の家には壁がない!?屋外と部屋を区切るのは .... 

https://heian-jidai.com/523.html.


(3) 知っているようで知らない「窓の歴史と成り立ち」|東海住宅 .... 

https://www.10kai.co.jp/contents/code/column85.


(4) 格子戸 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%BC%E5%AD%90%E6%88%B8.


(5) 彩る調度の品々・貴族の生活・風俗博物館~よみがえる源氏 .... 

https://www.iz2.or.jp/kizoku/chodo.html.


(6) undefined. 

https://heian-jidai.com/501.html.


(7) undefined. 

https://heian-jidai.com/543.html.

 

なお、寝殿造などの上級建築では通常は蔀と格子は同じものらしい。

下のリンクも参考になる。

 

www.iz2.or.jp

清少納言の才知ぶりを示したこの話は、教科書にも紹介されて有名なものであるが、『枕草子』にはそのあと、みんなが「詩そのものは知っていたけれど、そんなこと思いも寄らなかった、やっぱりこの皇后にお仕えするのにふさわしい人だ」と評価した、とみずから書いている。そんなところが紫式部にいわせると「したり顔にいみじう侍りける人」(高慢ちきな人)ということになるのかもしれない。

 

この場面を再現するとき、寝殿のどちら側の格子を開けるかによって状況が変わってくる。南面の格子は一枚格子であるから、格子を内側に引き上げ、その外にかかる御簾を巻き上げることになるだろう。東西の壺に面している側では上下二枚格子になるから、外側の格子の上半分を外に引き上げ(下半分はそのまま残すか撤去するか)、内側にかかる御簾を巻き上げる。文面からではどちらとも判断できないが、どちらにしても風流は寒いことではある。

 

https://www.iz2.or.jp/kizoku/meibamen1.html からスクリーンショット

 

移民・難民の母国への帰属意識を高めよ

移民・難民の救済の前に考えておくこと。

++

主権者として国家に帰属しているという意識がないため、祖国を簡単に捨てる、祖国に戻らない、という人々がいる。


彼らが住んでいる土地、脱出してきた土地が彼らにとって「祖国」という愛着が持てないからだ。


彼らに、紛争が終わった、あるいは、危険が去ったからと言って、「『祖国』へ帰れ」と言ったところで、そこに彼らの『祖国』はない。自分が政治的・精神的にそこに帰属しているとは爪の垢ほども思えないのだ。だから愛着心がわかないのも当然だ。


そんな人々を移住先の国は放置しておくことはできない。そんなことをすれば、その国の社会保険制度、教育、職に寄生し、その国の歴史文化的価値観に溶け込めず、濁らせるだけの厄介者になるとわかっている。


それが今日の難民問題の本質だと思う。何処かの国籍を持っていようといまいと、精神的には無国籍者である人々のなかに精神的に祖国を持てない者達がいるというのは、その者達にとっても、彼らを預かる国やその国民にとっても不幸なことだ。


国家への帰属意識なき難民には「教育」によって国造りを教え込む以外に方法はないということだ。国造り以上の愛国活動はなく、国への帰属意識を育てる土壌もまた人の心にしかない。難民対策の核心はそこにある。それが出来れば、滞留する国での経済活動や近所生活すら、将来帰るべき母国への外交的貢献と認識できるだろう。


その教育は難民キャンプや亡命政府のなかで行われるべきだろう。教育の主体は移民や難民自身である。そうすることで土地や施設を提供する国への感謝も示せないろくでなしのテロリストを輩出する事態だけは防げると思えるのだ。


この文章では、特定の国や特定の民族を指して意見を述べているのではなく、どこの国であっても(亡国化している国・民族 や地域であっても)その国・民族 や地域に帰属意識がある人々のことは問題視していない。念のため。

 

また、移民に反対する人々をやみくもに「極右」or「民族主義者」とレッテルを張り、人でなし扱いしてはならない。彼らは、彼ら自身の国への帰属意識が高く、その歴史や文化を子孫に伝え残したいと考える人々なのだから。

 

令和6(2024)年4月10日 晴天の日の桜の枝

 

Rising Sun Flags Issue : A racist monkey imitator guy provoked the country went crazy.

A racist monkey imitator guy provoked the country went crazy.

Concerning Rising Sun Flags Issue, No criticism before that monkey-imitating soccer guy in 2011

The image is a scene from the AFC Asian Cup 2011 semi-finals. By the way, no Rising Sun flag were seen in the spectator seats at this match.
However, there was even an uproar over the fact that the photo introduced by TV Asahi as ``the Rising Sun flag seen by Ki player'' was taken from another match (the World Cup in South Africa).

 

Furthermore, if there are any cases where the display of the Rising Sun flag became an issue between Japan and South Korea prior to this case, please point them out along with evidence such as articles from that time.

 

 

A scene from the AFC Asian Cup 2011 semi-finals

 

暗殺皇帝の犠牲者たち ロシアの石油大手ルクオイル幹部達

プーチン政権下の暗殺、同未遂、不審死、投獄等】

#プーチンの暗殺リスト

参考資料は、日本経済新聞社産経新聞社、Newsweek等各社ニュース

++

40.

2024年3月13日 - ロシアの石油大手ルクオイルは13日、ビタリー・ロベルトゥス副社長(54)が急逝したと発表した。死因は明らかにしていない(死因不明)。2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻後、同社幹部が相次いで死去している。

ルクオイルは22年3月、早期停戦と交渉による解決を呼びかける異例の役員会声明を公表した。同年9月に当時のマガノフ会長が重病で死去したと発表、病院の窓から転落したとも報じられた*1ほか、昨年10月には後任のネクラソフ会長が急性心不全で死去したと発表していた*2。(共同)

 

モスクワにあるルクオイル本社 Wikimapiaより

 

*1:2022年9月1日 - ラヴィル・マガノフ(ロシアの石油大手ルクオイル会長)が1日、死亡した。モスクワ市内の病院の6階の窓から転落したと報じらた。2月にロシアがウクライナ侵攻を開始した際、ルクオイルの役員会は紛争の早期終結を求めると表明し、「この悲劇」の犠牲者に同情すると述べた。

https://kaiunmanzoku.hatenablog.com/?page=1708481111  の第10項で紹介済み

*2:2023年10月1日 - ウクライナ侵攻の早期終結を公然と求めていたロシア石油大手ルクオイルは、同社のウラジーミル・ネクラソフ会長(66)が急性心不全で死亡したことを明らかにした。

明治時代の英学校「致遠館」に留学した岩倉兄弟と折田彦市とその教師や生徒の肖像

この写真は写真師の上野彦馬が長崎の上野撮影局において、フルベッキ父子(グイド・フルベッキとその娘エマ・フルベッキの)2名と「致遠館」(佐賀藩が長崎に設けた英学校)の学生・教師44名を撮影したものである。フルベッキ群像写真と称されている。

フルベッキ群像写真 Wikipediaより

 

撮影時期:

明治元年10月27日(1868年12月10日)に致遠館に留学した岩倉具定・具経兄弟(岩倉具視の次男・三男)と折田彦市岩倉具視の御附役で、具視に具定・具経の兄弟の長崎遊学を託され致遠館に出向き一緒に上記の日時に入学)がフルベッキ父子の左右に写っている(グイド・フルベッキの向かって右が岩倉具定、その前に折田彦市、エマ・フルベッキの向かって左が岩倉具経)こと*1や、撮影が行われた上野彦馬のスタジオ内の背景*2などから、慶応年間の撮影はあり得ない*3*4。また、フルベッキは明治2年(1869年)4月に明治政府の招聘により上京したため、岩倉兄弟と折田が彼に学んだ時期は短かく、おそらくは、岩倉具定・具経兄弟が致遠館に入学した記念に(明治元年10月27日以降翌明治2年(1868~1869年)頃に)撮影されたものと推定される。

 

 

「この写真には坂本龍馬西郷隆盛高杉晋作をはじめ、明治維新の志士ら(明治天皇も!?)が写っている」というのは、昭和も中盤以降ウォーターゲート事件ニクソンが辞任しガッツ石松が世界王者になった年)になってからの根拠のないデマ

 

デマの発端:

昭和49年(1974年)、肖像画家の島田隆資が雑誌『日本歴史』に、「この写真には坂本龍馬西郷隆盛高杉晋作をはじめ、明治維新の志士らが写っている」とする論文を発表した(2年後の昭和51年(1975年)にはこの論文の続編を同誌に発表)*5。島田は、彼らが写っているという前提で、写真の撮影時期を慶応元年(1865年)と推定*6した。佐賀の学生たちとして紹介された理由は、「敵味方に分かれた人々が写っているのが問題であり、偽装されたもの」だとした*7。写っているのが「坂本龍馬西郷隆盛高杉晋作をはじめ、明治維新の志士らである」という根拠自体は示されていない。

当然ながら島田の説は学会では相手にされなかった。

 

この写真は、間歇的に話題に上りその度に否定されるにもかかわらず再度流行する傾向がある。島田の論文をネタにこの集合写真を「幕末の英傑達が集合した写真」であるとか、このトンデモ説がロマンを誘うとか正しいんだとか主張して、金儲けや人気取りを企む人士が定期的に沸いてきて騙したり騙されたりする構図がいまだに絶えないからだ。

日本の大マスコミである朝日新聞毎日新聞日本経済新聞、そしてスポーツ報知にもこの写真を用いた「フルベッキ写真の陶板」広告が掲載されてきた。

ちなみに、最初に島田隆資が根拠なしに同定した維新前後の人物は22人であったが、今では44人の人物すべてに維新前後の有名人の名が付けられている。金儲けや人気取りを企む人士にとって、世間というのは忘れやすく、騙しやすく、そして手っ取り早く人気も金も与えてくれる存在なのであろう。

 

 

「フルベッキ群像写真」に写っている致遠館の学生の名前も徐々に判明してきている。フルベッキ親子の両隣にいる岩倉兄弟をはじめ、折田彦市、相良知安、石丸安世、山中一郎、香月経五郎、中島永元、丹羽龍之助、石橋重朝、江副廉造、大庭櫂之助、中野健明など、維新の志士ほどではないにしても政治家や官僚としてのちの歴史に名を遺す人物も確認されている。(Wikipedia




*1:村瀬寿代 (2000), p. 88.

*2:上野一郎によると、撮影場所の長崎上野撮影局は、早ければ慶応3年(1867年)末から慶応4年(1868年)にかけて、写場の大改造が行われ、フルベッキ写真の手前側に見える石畳を設けたのはその改造によるもの

*3:上野一郎「撮影年代を推定する」、『写真の開祖 上野彦馬』 pp.205-213

*4:村瀬寿代 (2000), p. 83.

*5:村瀬寿代 (2000), p. 84.

*6:村瀬寿代 (2000), p. 84.

*7:斎藤充功 (2012), p. 4.

ロシア暗殺皇帝の犠牲者たち ノーベル平和賞受賞の人権団体幹部

 

プーチン政権下の暗殺、同未遂、不審死、投獄等】

#プーチンの暗殺リスト

参考資料はWikipediaBBCニュース、Newsweek等各社ニュース

++

39.

2024年2月27日 - モスクワの裁判所は27日、2022年にノーベル平和賞を受賞したロシアの人権団体「メモリアル」幹部だった活動家オレグ・オルロフ氏(70)がウクライナ侵攻に反対して軍の信用を失墜させたとして、禁錮2年6月の実刑判決を言い渡した。ウクライナ侵攻を巡る反戦デモに参加したほか、寄稿でプーチン政権が「ファシズムを望んだ」などと非難したために起訴されていた(ロイター)。

メモリアルは、1989年に設立され、ロシア国内の言論の自由を擁護し、人権侵害を記録する活動を続けてきた。しかし、外国工作員に指定されて21年に解散した。ロシア政府は、外国工作員に指定する際、情報戦争や諜報活動に関連する法的規定を適用する。国家安全保障: ロシア政府は、国家の安全保障を維持するために外国工作員の活動を監視し、制限する必要があると考えている。外国人労働者の管理: 外国工作員に指定される場合、外国人労働者の受け入れに関連する法的手続きや要件が適用され、これには、外国人の在留資格雇用契約、労働条件などが含まれている。諜報活動の防止: ロシア政府は、外国工作員による諜報活動や情報操作を防ぐために、厳格な監視と制限を行っている。外国工作員に指定することで、その活動を制御しているのだ。

 

 

AFPBBニュースより モスクワの裁判所に出廷したオレグ・オルロフ氏。(c)Alexander NEMENOV / AFP



暗殺皇帝の犠牲者たち プーチンのラスプーチンと呼ばれた民族主義者

#プーチンの暗殺リスト

 

先のブログで「暗殺皇帝プーチン政権下の不審死や投獄には、ウクライナ侵攻の賛否を問わず、軍事活動の障害をすべて取り除き、世論を恣意的に誘導し、政権を支えようとの思惑が見える」と書いた。つまり、目指す目的や方向が同じでも、政権のやり方、方法に素直に賛同せず、異なる熱量で異論が政権外で語られるとき、それらを排斥・除去しようとするのだ。そして、本人の口をふさぐ方法は本人を消す以外にもある。要するに問答無用で「外野は口を閉ざせ」、「家族にも危険は及ぶぞ」というわけだ。また、他国との戦争状態は、対戦国やその友好国に疑惑を向けさせる絶好の環境でもある。

それに関連して記さねばならない暗殺事件がある。

 

 

++

38.

2022年 8月20日 - ダリア・ドゥギナは父である思想家アレクサンドル・ドゥーギンとともに映画監督エドゥアルド・ボヤコフと公正ロシアの元下院議員ザハール・プリレーピンが主催するイベントに参加し、ドゥーギンは「伝統と歴史」の講義を行った。イベント終了後、帰宅する途中の21時30分ごろ、モスクワ近郊ボルシエ・ヴィアゼミ村近くのモジャイスコエ高速道路で、運転していたトヨタ・ランドクルーザープラドSUVが爆発。目撃者によると、車はコントロールを失い、路肩に停車後に発火炎上。ダリア・ドゥギナは現場で死亡。父である思想家アレクサンドル・ドゥーギンは、プーチン大統領と親しく、思想的に大統領に大きな影響力をもつとされ。このため、帝政ロシア末期に皇帝一家に近く、影響力を持った僧侶グリゴリー・ラスプーチンになぞらえて、「プーチンラスプーチン」などと呼ばれてきた。「ロシアは、欧米とは異なる価値観のユーラシアという独自の空間」だという「ネオ・ユーラシア主義」を提唱するドゥーギン氏の国家主義思想が、プーチン氏の世界観に大きく影響したとされており、ウクライナ侵攻を正当化するプーチン氏の理論形成にも関わっているとされる。このため、この事件について、ロシア当局はウクライナ人の女が遠隔操作で車両を爆破し、エストニアに逃亡したと主張していた。一方、事件当時のウクライナのミハイロ・ポドリヤク大統領顧問は、「もちろんウクライナは何の関係もないと強調する」とコメント。「なぜなら私たちは犯罪国家ではないからだ。犯罪国家はロシア連邦の方だ。ましてや我々はテロ国家ではない」と述べていた。そして、2022年10月5日に米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は、事件はウクライナ政府関係者が関与と米情報機関が判断したと報じる。米諜報当局者らの考えでは暗殺当時、ドゥーギン氏の娘は父親の車を運転していた。そのため暗殺の実際の標的はドゥーギン氏だったとみている。

 

 

情報源:産経新聞、CNNニュース、ロイター等から

 

 

ダリア・ドゥギナ 画像は telegram から

 

ALEKSANDR DUGIN 画像は Dr. E. Michael Jones Culture War から

 

暗殺皇帝の犠牲者たち 政権を支えるための軍事活動の障害除去と世論の恣意的誘導

#プーチンの暗殺リスト

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37.

2023年4月2日 - ロシア第2の都市サンクトペテルブルクのカフェで2023年4月2日午後、爆発が起き、親プーチン政権派の著名軍事ブロガー、マクシム・フォミン(ウラドレン・タタルスキー)氏が死亡した。フォミン氏は「ブラドレン・タタルスキー」を名乗り、通信アプリ「テレグラム」でロシアによるウクライナ侵略の経過を報告していた。フォミン氏の死亡を受け、露外務省のザハロワ報道官は2日、「彼の仕事はウクライナの憎しみを引き起こしていた」とし、殺害にウクライナ側が関与した可能性を示唆。一方、ウクライナのポドリャク大統領府長官顧問は「ロシア内部の闘争だ」とし、ウクライナの関与を否定。露経済紙コメルサントによると、フォミン氏はウクライナ東部ドネツク州で1982年に生まれ、2011年、銀行強盗の罪で服役。14年に勃発したウクライナ東部紛争に際して刑務所から脱走し、親露派武装勢力側で戦闘に参加した。後に恩赦を受け、露国内に移住。昨年2月に始まったウクライナ侵略でも親露派武装勢力の部隊に参加したほか、テレグラムなどで前線の戦況などを発信し、56万人以上のフォロワーを獲得していた。フォミン氏は「全員を殺し、全てを奪う」など過激な発言も行っていた。インタファクス通信によると、露治安当局は事件同日、爆発物を使ってフォミン氏を殺害した疑いで、同市在住の20代の女、ダリア・トレポワ容疑者を拘束。ダリア・トレポワは、2024年1月25日、サンクトペテルブルクの裁判所で、テロ罪や文書偽造罪などで、禁錮27年の判決を受けた。トレポワは2022年2月の侵略開始後に、反戦デモに参加して拘束された経歴がある。露情報・治安機関の横断組織「国家反テロ委員会」は、2023年の爆破事件時にロシアの反政権運動指導者で当時収監中のアレクセイ・ナワリヌイ氏が創設した組織が爆発に関与したと主張し、ナワリヌイ氏が獄中から反戦運動を呼びかけていたことに関連づけたが、名指しされた組織の幹部は関係を否定した。

 

情報源:産経新聞、読売新聞、BBCニュース等から

 

暗殺皇帝プーチン政権下の不審死や投獄には、ウクライナ侵攻の賛否を問わず、軍事活動の障害をすべて取り除き、世論を恣意的に誘導し、政権を支えようとの思惑が見える。

 

 

 

ウラドレン・タタルスキー(本名マクシム・フォミン)氏 BBCニュースから

ダリヤ・トレポワ容疑者/VK/jj.ooee cnn.co.jpから



 

暗殺皇帝の犠牲者たち ウクライナ侵攻強硬主戦派投獄

#プーチンの暗殺リスト

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36.

2024年1月25日 - ロイター通信によると、モスクワの裁判所は25日、過激な活動を扇動した罪に問われた著名な軍事評論家イーゴリ・ギルキン(ストレルコフ)被告(53)に対し、禁錮4年の判決を言い渡した。ギルキン氏は情報機関「連邦保安局」(FSB)の元大佐。ギルキン氏はロシアのウクライナ侵略を支持する立場からSNSで発信する「軍事ブロガー」の代表格で、今春に政治団体「怒れる愛国者クラブ」を設立した。反乱を起こした民間軍事会社「ワグネル」の創設者エフゲニー・プリゴジン氏をライバル視、ギルキン氏はロシアによるウクライナ侵略を支持する一方、「進め方がおかしい」などとプーチン政権を激しく非難してきた。ギルキン氏は2023年7月21日、SNSで「23年間、取るに足らない国家元首が国民の大半をだましてきた」などと批判して拘束されていた。一時期はプーチン氏から重用され、14年に親露勢力がウクライナから一方的に独立を宣言した「ドネツク民共和国」の「国防大臣」を名乗っており、同年にウクライナ東部でマレーシア航空機が撃墜され298人が死亡した事件に関与したとして、2022年にオランダの裁判所から終身刑を言い渡されていた被告3人の1人。

 

情報源:読売新聞、BBCニュース、Wikipedia等から

 

 

自宅で拘束され数時間後、BBCニュース 裁判所に出廷したギルキン被告(21日、モスクワ・メシュチャンスキー地区)

 

暗殺皇帝の犠牲者たち プーチン支持の軍事ブロガーが死亡

#プーチンの暗殺リスト

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35.

2024年2月21日 - 米紙ニューヨーク・タイムズなど外信は21日、ウクライナ戦争を支持してきた親クレムリン(ロシア大統領府)のブロガー、アンドレイ・モロゾフ氏(44)が同日死亡したと報じた。テレグラムで「Murz」を名乗っていたモロゾフ氏は、ウクライナ東部アウディーイウカでロシア軍が昨年10月に猛攻を開始して以来、兵士およそ1万6000人と装甲車300両を失ったと投稿していた。モロゾフ氏は20日に突然、この投稿を削除し、翌21日に別の内容を投稿して自身の暴露のせいでロシア軍司令部と親政府宣伝家らから圧力を受けていると主張。さらに、脅迫が続くのなら自ら命を絶つともつづった。その直後に死亡のニュースが伝えられた。モロゾフ氏の死が衝撃的な理由は、これまでに命を落とした反プーチン派の人物たちとは異なり、モロゾフ氏が基本的にロシアのウクライナ侵攻を一貫して支持してきた人物だからだ。ロシア軍の深刻な被害状況を暴露したことについても、ロシア軍が置かれている苦境にもっと関心を持ってもらうために、公益的な目的から暴露したのだと明かしていた。ニューヨーク・タイムズは「戦争の初期には、戦争ブロガーらがロシアの軍隊を批判することがあっても、彼らがロシアの軍隊を支持して軍隊の問題に対する関心を呼び起こすというプラスの効果があるためロシア政府はさほど問題にしていなかった」とした上で「しかし昨年、民間軍事会社ワグネルのトップ、エフゲニー・プリゴジン氏が反乱を起こしたのを機に、基調が正反対に変わり、ロシア軍に反対の立場を取ると激しい弾圧を受けるようになった」と指摘した。主に戦況を生配信し、自軍と敵軍の作戦について論じる軍事ブロガーらに、ロシア軍に有利なニュースだけを伝えるよう圧力がかかっている。露政府は「最小限の被害で攻略した」(セルゲイ・ショイグ国防相)と主張しており、投稿が「露軍の名誉を傷つけた」と思われる。

 

 

情報源:CNNニュース、読売オンライン、ニューヨーク・タイムズ朝鮮日報等から

 

令和6(2024)年2月23日読売新聞朝刊国際面から

 

 

 

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.