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天寿国繍帳銘文から知る 法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘文は、太子、太子の母、膳夫人の「天寿国」における称号を記した

その光背の銘文に推古天皇の名が記載されていない事をもって、法隆寺金堂釈迦三尊像の光背の銘文に聖徳太子はいなかったとする説には承服しがたい。

 

奈良県斑鳩町中宮寺が所蔵する、飛鳥時代(7世紀)の染織工芸品、天寿国繍帳銘文に推古天皇の名があり、天寿国繍帳が推古天皇によって作られたと明白なら、ほぼ同時代の法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘に仏教保護者としての称号「上宮法皇」とあるのは聖徳太子であると考えるのが至当だ。その(推古天皇)名を出さないことで、はじめて釈迦三尊像の光背銘に「天寿国」における「法王」の称号を記すことが可能になったのだ。そう解釈する。

つまり、

法隆寺金堂釈迦三尊像の光背の銘文には、太子、太子の母、膳夫人「天寿国」における称号を記した。」それぞれ、法王、太后、王后である

と考える。

生きていれば天皇になったであろう「その人」に対する追悼の意としての太子等身の釈迦像なのであるから、その釈迦像は天寿国への「太子の(法王としての)往生の様子」という意である。推古天皇の名が記載されていないのは、天皇がこの世の天皇であり天寿国にまだ往生していないからである。記しようがないではないか。その(推古天皇)名を出さないことで、はじめて釈迦三尊像の光背銘に「天寿国」における「法王」の称号を記せるのだ。

 

天寿国繍帳銘文
Wikipediaより

天寿国繍帳 - Wikipedia


銘文の全文は『上宮聖徳法王帝説』に引用され、一部に誤脱があるものの、飯田瑞穂の考証によって400字の文章に復元されている。

以下に原文読み下しの一部を引用する。

辛巳十二  月廿一癸  酉日入母  孔部間人
歳(ほし)辛巳(かのと・み)にありし十二月二十一(日)癸酉(みずのと・とり)の日のくれに母の孔部間人
 王崩明年  二月廿二  日甲戌夜  半太子崩  于時多至
王(あなほべのはしひとのみこ)崩(かむざ)りましぬ。明くる年の二月二十二日甲戌(きのえ・いぬ)の夜半に太子崩りましき。時にたち
 波奈大女  郎悲哀嘆  息白畏天  皇前曰敬  之雖恐懐
ばなの大女郎、悲哀(かなしび)嘆息(なげき)して白(もう)さく「畏(かしこ)き天皇が前に曰(い)いて敬(もう)すはこれ恐れありといえども、懐(おも)う
 心難止使  我大皇與  母王如期  從遊痛酷  无比我
心止(や)みがたし。わが大皇(おおきみ)と母王(ははのみこ)と期(ちぎ)りしが如く從遊(じゅゆ)せしめたまう。痛く酷(から)きこと比ぶる無し。わが大
 所告世  間虚假唯  仏是真玩  味其法謂  我大王應
王の告げたまいしく『世間は虚假(こけ)にして、ただ仏のみこれ真なり』と。その法(のり)を玩味(あじわ)うに、わが大王は
 生於天壽  國之中而  彼國之形  眼所叵看  悕因圖像
天寿國の中に生れたまうべしと謂(おも)えり。而(しか)るに彼の國の形は眼に看(み)叵(かた)き所なり。悕(ねが)わくは図像によりて
 欲觀大王  往生之状  天皇聞之  悽然告曰  有一我子
大王が往生したまう状(かたち)を觀(み)んと欲(おも)う」と。天皇これを聞こしめして悽然として告げて曰く「わが子ひとり有り。
 所啓誠以  爲然勅諸  采女等造  繍帷二張  畫者東漢
啓(もう)す所は誠に然なりと以爲(おも)う」と。勅して諸の釆女(うねめ)らに繍帳二張を造らしむ。畫(えが)ける者は東漢(やまとのあや)の
 末賢高麗  加西溢又  漢奴加己  利令者椋  部秦久麻

末賢(めけ)、高麗(こま)の加西溢(かせい)、また漢(あや)の奴加己利(ぬかこり)。令者(つかさひと)は椋部(くらひとべ)の秦久麻(はたのくま)なり。

+++++便宜のためWikipediaから引用の文意+++++
辛巳の年(推古天皇29年・西暦621年)12月21日、聖徳太子の母・穴穂部間人皇女(間人皇后)が亡くなり、翌年2月22日には太子自身も亡くなってしまった。これを悲しみ嘆いた太子の妃・橘大郎女は、推古天皇(祖母にあたる)にこう申し上げた。「太子と母の穴穂部間人皇后とは、申し合わせたかのように相次いで逝ってしまった。大王太子)は天寿国に往生したのだが、その国の様子は目に見えない。せめて、図像(かた)によって大王太子)の往生の様子を見たい」と。これを聞いた推古天皇はもっともなことと感じ、采女らに命じて繍帷二帳(ぬいもののかたびらふたはり)を作らせた。画者(ゑがけるもの、図柄を描いた者)は東漢末賢(やまとのあやのまけん)、高麗加西溢(こまのかせい)、漢奴加己利(あやのぬかこり)であり、令者(つかさどれるもの、制作を指揮した者)は椋部秦久麻(くらべのはたくま)である。

+++++引用終わり+++++

 

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この章は、下記のブログ記載内容につき質問があり、法隆寺金堂釈迦三尊像の光背の銘文に聖徳太子はいなかったとする説についての私見をコメント欄に記載したが、それを書き改めたものである。

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

聖徳太子厩戸王)」であって、「厩戸王聖徳太子)」ではない。
生きていれば天皇になったであろう「その人」に対する追悼の意としての太子等身の釈迦像なのであるから、その釈迦像天寿国への「(大王と記されている)太子の往生の様子」という意である。

その当時の人々が、仏教の保護者として「その人」の往生を描くことの意味。

それこそ、「その人」の存在が「聖徳太子厩戸王)」であって、「厩戸王聖徳太子)」ではないことを示している。

 

救世観音大菩薩聖徳皇 親鸞聖人が枕元に見たのは「聖徳太子」であって、「厩戸王」ではなかった。

【「聖徳太子厩戸王)」であって「厩戸王聖徳太子)」ではない】


親鸞聖人が枕元に見たのは「聖徳太子」であって、厩戸王ではなかった。

聖徳太子とは、後世に語り継がれてきたものも併せて聖徳太子です。厩戸王も当時のネストリウス派キリスト教の影響を受けた名前で否定する気はありませんが、現在的価値を持つ言葉ではありません。「その言葉で太子を言い表すことが出来ない」という意味です。


聖徳太子の在りし日の仏教への貢献が、後の世の救世観音大菩薩聖徳皇に繋がっていくことは、誰もが認めている事なのです。ですから、厩戸王の呼称がまかり通ると、その歴史的価値、日本の仏教の礎を築き、菩薩として崇拝を受けるに至るまでの尊敬の源、源泉を見失ってしまうことになりかねません。それは一種の文化破壊、歴史的抹殺ですらあります。


括弧の中に入るべき言葉は(厩戸王)であって、「聖徳太子」ではありません。

 

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厩戸王ではなく聖徳太子こそ歴史教科書に相応しい表記

学習指導要領改定案で聖徳太子の呼称を「厩戸王」に変えた問題について、文部科学省パブリック・コメントを届けた。

 

聖徳太子は、推古天皇摂政として蘇我馬子(大臣=おおおみ)とともに支えた実在の人物だ。
法隆寺釈迦三尊像の宣字形台座の下座下框の墨書「辛巳年八月九月」が621年を意味し、当時「上宮法皇」は仏教保護者に相応しい称号といえる。

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画像は下記のWikipediaから、赤線はその画像に加筆した。

法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘 - Wikipedia

 

法興元丗一年 歳次辛巳十二月、鬼
太后崩。明年正月廿二日、上宮法
皇枕病弗悆。干食王后仍以労疾、並
著於床。時王后王子等、及與諸臣、深
懐愁毒、共相發願。仰依三寳、當造釋
像、尺寸王身。蒙此願力、轉病延壽、安
住世間。若是定業、以背世者、往登浄
土、早昇妙果。二月廿一日癸酉、王后
即世。翌日法皇登遐。癸未年三月中、
如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴
具竟。乗斯微福、信道知識、現在安隠、
出生入死、随奉三主、紹隆三寳、遂共
彼岸、普遍六道、法界含識、得脱苦縁、
同趣菩提。使司馬鞍首止利佛師造。

— 『法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘』

 

趣旨:上記のWikipediaから引用

推古天皇29年(621年)12月、聖徳太子の生母・穴穂部間人皇女が亡くなった。翌年正月、太子と太子の妃・膳部菩岐々美郎女(膳夫人)がともに病気になったため、膳夫人・王子・諸臣は、太子等身の釈迦像の造像を発願し、病気平癒を願った。しかし、同年2月21日に膳夫人が、翌22日には太子が亡くなり、推古天皇31年(623年)に釈迦三尊像を仏師の鞍作止利に造らせた。」

誓願の力によって、病気平癒を祈り、もし死に至ったときには浄土・悟りに至ることを祈念している。光背の銘文には、太子、太子の母、膳夫人「天寿国」における地位を記したものであろう。

 

「法興元卅一年歳次辛巳十二月 鬼前太后崩」の「鬼前太后」は聖徳太子の母・穴穂部間人王(用明天皇皇后)であり、歳次でいう辛巳の年は推古29年(621年)にあたる。また、聖徳太子の生前の祈願(上宮法皇枕病弗悆)であると記載されている事実からも、翌年の2月22日に太子が亡くなったとき「上宮法皇」として尊敬されていたことは明白だろう。

 

上記を理由として、文科省パブリックコメント:意見募集中案件に意見を述べて置いた。

+++++提出意見欄記載内容+++++

厩戸王ではなく聖徳太子こそ歴史教科書に相応しい表記】

法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘に仏教保護者としての称号「上宮法皇」と記載されることこそ、「聖徳」と贈名されるに相応しい事実であろうと思います。

621年当時「上宮法皇」とあがめられている人物が「厩戸王」という名で歴史教科書に登場するのでは、仏教保護者として果たされた業績にそぐいません。

 

 

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当時、仏教保護者として「上宮法皇」と言う称号を得ていた人物を「厩戸王(うまやどのおう)」と呼称することは、聖徳太子が仏教の布教に果たした役割を伝えきれないと感じる。

この一事をとっても、日本史上もっとも大切な人物として長年位置づけられてきた聖徳太子のその呼称を否定し、「厩戸王(うまやどのおう)」と呼ばせるという方針は、承服しがたいというのが私の思いである。

 

文科省への意見は下記から提出できる。 意見・情報受付締切日は 2017年03月15日まで

search.e-gov.go.jp

 

2017年2月23日 「光背の銘文には、太子、太子の母、膳夫人「天寿国」における地位を記したものであろう。」の一文を付け加えた。

History / Senkaku 針路を決め船を操っている琉球人が釣魚嶼を航路目標として操船した

日本人が尖閣問題を話すときの1番のポイントは、これだ。

陳侃をはじめとする明国の一行に島を指し「あれが釣魚嶼だ」と琉球人が教えなければ、陳侃は「使琉球録」に「釣魚嶼」の名を残すことはできなかった。

 

チャイナは、「陳侃の書いた『使琉球録』に史上初めて『釣魚嶼』が登場する」事実をもって、尖閣諸島がチャイナのものであるという主張をしている。

 

しかし、陳侃の「使琉球録」で分かることは、琉球王太子冊封使一行に対する配慮で、冊封船は羅針盤を司る琉球人の水先案内人と操船に熟練した琉球の水夫30名が率いていたということだ。

この事実については下記の「陳侃三喜」を参考願いたい。

History / Senkaku 陳侃三喜 沖縄人の『おもてなし』に感激した冊封使 - kaiunmanzoku's bold audible sighs

History / Senkaku Chen Kang was delighted three times / Chinese did NOT know the route to the Ryukyu Kingdom - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

針路を決め、船を操っている琉球人こそが釣魚嶼を航路目標として案内したのだ。

陳侃が釣魚嶼を冊封船から見ることが出来たのも、記録することが出来たのも、琉球人の操船と解説のおかげである。

 

平嘉山、釣魚嶼、黄毛嶼、赤嶼の島名が見えるが、いずれも琉球航路を知らない福建人、明人に代わって琉球人の看針通事(水先案内人)が針路を選び案内したものである。4島のうち後の3島が現在の尖閣諸島だ。

 

平嘉山:(彭嘉嶼)彭佳嶼(ほうかしょ)のこと
釣魚嶼: 魚釣島のこと (ちょうぎょしょ)と読んでも日本語である。
黄毛嶼:(黄尾嶼) 久場島のこと (こうびしょ)は日本語
赤嶼:(赤尾嶼)大正島のこと (せきびしょ)は日本語
必要があって、Kobisho Island、 Sekibisho Islandと表記するのは日本語なので問題ない。

念のためだが、事例を挙げておこう。

釣魚(ちょうぎょ)と読む。
釣魚図鑑(ちょうぎょずかん)と読む。
釣魚島(ちょうぎょとう)と読む。
すべて日本語(漢文)。


釣魚(diàoyú)と読むとチャイナ語だ。

そして、近年に至るまで釣魚を Diàoyú と読んだ形跡は世界中どの地図、どの史料にも存在しない。1972年になって中共が Diàoyú と記載したのが最初だ。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

f:id:kaiunmanzoku:20170219220207p:plain

 

References:

上記の画像は下記のサイトから

manwe.lib.u-ryukyu.ac.jp

 

参考図書

尖閣反駁マニュアル百題 いしゐのぞむ著 集広舎

       第四部共著者 伊井茂 赤染康久

尖閣釣魚列島漢文史料 いしゐのぞむ著 長崎純心大学比較文化研究所

 

中華プロパガンダ すなわちチャイナの嘘 を 大雑把にまとめてみた

【中華プロパガンダの大雑把なまとめ】
世界平和のために粉砕しなければならないなければならない #中華プロパガンダ
すなわちチャイナの嘘を箇条書きにしてみた。


1.#核心的利益 と称する領土領域問題と捏造歴史
 ①#一つの中国 #台湾
 ②#Tibet 虐殺と弾圧
 ③#Uyghur 虐殺と弾圧
 ④#尖閣 #EastChinaSea
 ⑤#SouthChinaSea #九段線
 ⑥その他 #AksaiChin #ArunachalPradesh #Bhutan #Kashmir #統一中華 #SouthMongolia

 

2.捏造歴史問題と人権弾圧
 ①#琉球両属
 ②#南京攻防戦
 ③#慰安婦 南北朝鮮と共闘
 ④#抗日戦を戦った中共
 ⑤#靖国 #戦犯 南北朝鮮と共闘
 ⑥#天安門事件
 ⑦#強制徴用 南北朝鮮と共闘
 ⑧#竹島 南北朝鮮と共闘

テロ等準備罪における共謀についての考察

【犯罪者集団の共謀罪


人が、ある動作を目的をもって行う場合、その動作を「(目的的)行為」と言う。


人の行為というものは、彼もしくは彼女に意思があるならば、行動を起こす段階で、常にその目的を達成するための手立てを考えねばなりたたないだろう。

つまり、目的実現のための手段を選択することこそ、目的実現のための第一歩になる。次段階は、その手段をコントロールして目標達成に導くことである。


ある行為が犯罪とされるのは、その行為が条文に記された事柄や条件(構成要件)をみたす「違法」で「責任」を負わねばならない行為のときである。


犯罪者集団の構成要件が、犯罪を実行する目的で結合することにあるのなら、初めは犯罪を目的としなかった集団においてもその結合が犯罪実行に向けられた時に、結合は目的実現(犯罪実行)のための手段に変貌したと判断しえる。
「犯罪実行に向けられた時」とは個人が犯罪実行の目的を持っただけでは足りず、謀議が行われた時、「謀議の時点」である。その時点で「結合は目的実現犯罪実行のための手段に変貌した」といえるだろう。

情報分析は利益分析:金正男暗殺のトリックより誰が利益を受けたかが重要

金正男暗殺のトリックより誰が利益を受けたかが重要】

 

スパイ小説読み過ぎの私の個人的見解だが、誰も私と同じことを言わないので、トリックについても発表しておく。誰が利益を得たかについての私見はもう投稿済みだ。

 

ポイント①実行犯とされて逮捕された女及びこれから逮捕される者たちは真犯人ではない。

ポイント②マレーシア捜査班の一部と北あるいは中共とはストーリーを共有している。



(あくまで仮説である)逮捕された女性を含むマスコミ発表の数人の男たちは、一連のシナリオ通りに動かされた「おとり部隊」であって、実際の犯行前に複数回のシュミレーションを女たちに行わせ、犯行当日(とされる日時)にも同じ行為を犯行現場で行わせた。ただし、相手は金正男ではなく影武者である。この時に映ったCCTVが証拠として世界に発信されているものだ。

 

実行犯(プロの殺し屋)たちは、少しだけ時間をずらして暗殺を実行した。

おそらくは数分後だっただろうがそれが数日前だったとしても不思議ではない。

 

何が何でも金正男を確実に死に至らしめるため、訓練されたプロが絶対に必要なのだ。場所もCCTVの死角であるか監視されてない場所、空港内であるとすればおそらくはトイレだろう。重要なのは暗殺に適した場所であればよい。そこは空港ですらないかもしれない。

 

金正男は、空港カウンターに助けを求め救急車で病院に運ばれる途中に死亡が確認される。事前に打ち合わせたストーリーである。病院に着いた時に救急車に載せられていたのは本物である。

要するに、予行演習から病院までの間に入れ替わっていれば良いのだ。

例えばこんな仮説も可能だ。

女たちに水を含んだ布で顔を拭かれたかスプレイされた正男が「毒薬だ」と思ってそれを洗い流そうと駆け込んだトイレにプロ暗殺者がいた。あるいは救護を求めて救護室なり医務室に向かったのは偽正男であって、本物の正男は既に死体かあるいは死体同然になってその部屋にいた。あるいは医務室かその途中で待っていたのが暗殺者であって、毒針で殺された。

 

後は、報道されている通りだ。



国家や組織が絡めば捜査情報すら信用できない。

 

それより「誰が利益を得たか」という事実だ。

私は事件当日より中共瀋陽軍区関係者(江沢民)と北(金正恩)だと主張している。外貨獲得についての思惑も本日可能性について触れた*

 

情報分析は利益分析である。

 

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 FB投稿 2017年2月17日11時46分

【正男暗殺で誰が得するか】

瀋陽軍区(江沢民)と金正恩が外貨を折半できればそれも動機の一つだね。
国際社会の圧力で「首のすげ替え」の危険を除去する以外の利益。
既に正男の息子が北に拉致監禁されているとしたら、マカオにあるとされる資産が手に入る。
ミサイルや覚せい剤の輸出で相当外貨を貯めこんでいるはずだ。

チャイナの外貨不足が報じられているが、
ロシアと北朝鮮に接する瀋陽軍区やミャンマーラオスに接する成都軍区は独自に金策に走るかもしれない。彼らほどドルが必要な支那の組織はないほどだ。

 

FB投稿 2017年2月14日22時18分

Now China has no replacement of North Korean Leader, Kim Jong-un. Maybe this is the purpose of the killing Kim Jong-nam.

中共関与による「北の首のすげ替え」の選択肢が無くなった。
トランプ政権誕生で、中共に対する米国の圧力が強まることを見越し、中朝合意の上で暗殺したのだろう。・・・そう考えています

 

 

FB投稿 2017年2月14日20時52分

中共関与による「北の首のすげ替え」の選択肢が無くなった。
トランプ政権誕生で、中共に対する米国の圧力が強まることを見越し、暗殺したのだろう

しかし、一族である必要はない。共産主義的な「民主的手段で」トップを変えることは不可能ではない。中華朝鮮民族という手もある(南北モンゴルがモデルだ)。・・・手段は問わないと、そう米国が圧力を中共にかけて欲しい。

どうせ、北は中共の誰かの了解を取ったうえでやっているのだ。
それでも、北と中共はつながっていると考えて間違いない。

 

 

2017年2月18日18:45 「おそらくは、数分後だっただろうが、 の文字と、「要するに、予行演習から病院までの間に入れ替わっていれば良いのだ。…毒針で殺された」の部分を挿入した。

 

Korean Deception: Faked History and Forged Map. 

1953fevtakeshima.hatenablog.com

 

Korean Deception: Faked History and Forged Map.

竹島 韓国 歴史

 

Cutting out and zooming a part of the map which they want to be seen, Korean scholars and TV maliciously hide the words "Area authorized for Japanese fishing and whaling", 

You can visit the map and find out the fact that the line they claim it national border line is actually the line depicted to indicate 「漁船操業許可区域」”Area authorized for Japanese fishing and whaling

The original map is here:

1953fevtakeshima.hatenablog.com

 

地図を捏造して嘘を世界にばらまく南鮮。

日本領域参考図の一部分を切り取り、都合の良いところだけ見せ、それ以外を隠蔽し、

「漁船操業許可区域」を示す線を国境と捏造。

The forged map was made of the original map called 日本領域参考図 "Nippon Ryouiki Sankouzu" by some malicious Korean scholars.

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The below image of "The forged map in the video" is a clip in this video around 1:10 ~.

 

youtu.be


The forged map in the video.

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The following is the forged map by a famous Korean scholar, Yuji Hosaka, in his explanatory pamphlet for the map.

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Please refer the original sourse.

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&cad=rja&uact=8&ved=0CB4QFjAA&url=http%3A%2F%2Fwww.dokdoandeastasia.com%2Fwp-content%2Fplugins%2Fdownload-attachments%2Fincludes%2Fdownload.php%3Fid%3D2364&ei=wWdtVaOHK4y48gWi34PICA&usg=AFQjCNEPX1UabqUNe4bRCR9gile1fzK3wg&sig2=IVVNY76GHtl0s57wy1wJZg&bvm=bv.94911696,d.dGc

 

The articles and images in this blog are quoted from the above mentioned web site for purpose of criticism. And, "Section 30 (1) of the UK Copyright, Designs and Patents Act 1988 (apparently in transposition of Article 5 (3) (d) of the EU Copyright Directive on "quotations") clearly allows "fair dealing" with a copyright work for the purpose of criticism or review, provided that it is accompanied by a sufficient acknowledgement.

このブログの記事は上記に記載のWebサイトから、批評のために引用したものです。日本国の著作権法32条で「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」と規定されている目的に沿ったものです。

 

強制徴用プロパガンダデセプションを「第二の慰安婦問題」にしてはならない

北に操られた南鮮の傀儡共は、強制徴用 を本格的に 中華プロパガンダ として国内外に宣伝活動を開始した。

 

 

中華プロパガンダの特徴

火の無いところに煙を立てる中共の宣伝工作 中華プロパガンダ に対抗せよ - kaiunmanzoku's bold audible sighs


①共感と憐憫を得て同情を勝ち取れ。
階級の敵に相応しい邪悪と冷酷さを描き、国際的な同情と援助を勝ち取る。その組織と手段が中華プロパガンダの最大の特徴だ。
ー 今回は、邪悪な日本軍国主義による強制徴用の悲惨さを強調。

 

②社会への影響力を勝ち取れ。
政策や民意に影響を与える種々の機関や団体組織を取り込むこと、特に客観性や科学性に信頼がおけると信じられている学者や教育関係者、テレビや新聞を用いなければならない。
ー 「強制徴用労働者像」建立推進委員会を用い北との平和活動を演出。既に南鮮のマスコミを巻き込みつつある。

 

③客観性を偽装せよ。
共産党が表に出ることなく、第三者の筆と口を借りて事実と意見を述べさせること。できれば事実報道と意見報道を別人に語らせること、尚且つ事実と、敵の邪悪と冷酷さに対する非難と悲劇に対する同情を共感をもって伝えることを首尾一貫して行うこと。
ー まだ顕著ではないが、似非証言者とそれを擁護する団体、学者、弁護士、人権団体の出現が予想される。

 

ユネスコを利用する恐れがある。直ちに日本政府は手を打つべきだ。慰安婦と同じことを繰り返すべきではない。

 

 

headlines.yahoo.co.jp

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法の保守的社会防衛論 法の正当性は社会の保護・防衛にある

人間が社会的動物であり、社会にその生存の根拠を置く限りにおいて、個人の行為は他の個人へ影響を与え得るエネルギーを持っている。意思や目的によってエネルギーの方向が定められると言っても良いかもしれない。文明の発達と衝突、融合、創造、あるいは破壊や消滅という人類の活動が多様化するなかで、それらの行為(あるエネルギーを持った行為)を制御、制限する必要があり、社会は様々な規範を生み出してきた。

それらの規範は、ある側面で見ればそれは個人や集団の人権の制限であるように見えるが、人が安全に社会生活を営み、それを維持し、できればより良いものに発達させるためのルールとして捉えられるべきものだ。

 

法もその一つだ。法は権力が実行力を担保する規範である。人の命を奪う事も可能な規範だ。法の執行は慎重でなくてはならない。そこには客観的な正当性がなければならないであろう。それは、法の解釈においても、法の立法においても、同じだ。

客観的な正当性は法の支配と自然法の問題を避けてはいけない。

法は人々を管理するためにある?
法は権力から人々を守るためにある?

 社会の共通利益が何かを決めるのは、主権者の意思だ。権力は常に主権者の意思を代表し、実現せねばならない。その主権者の意思は、主権者が自由意思で選んだ代表によって構成される議会で示される。だから、人々が主権者である国では、法は権力から人々を守るためにある。人々を管理するためにあるのではない

 

私の考えを簡単に以下に記すこととする。

 

社会の共通利益(秩序)を守るための規範が法であり、法の正当性は社会の共通利益の保護・防衛にある。


つまり、法の正当性の根本は人々が作ってきた社会(歴史、文化、価値観)の中にあるということだ。国際法は国際社会を守るため、国内法は国内社会を守るためでである。日本社会を守るために日本人が日本を守るしかないと主張することの意味は、日本民族がその歴史、文化、価値観を守る事によってでしか日本の社会が成り立たないということと同義だ。もう一度換言すれば、日本国は日本の歴史、文化、価値観を基盤とした国家であり、日本の歴史、文化、価値観を守ること至高の法益であるといえる。

 

私は、自分のその考え方を法の保守的社会防衛論と勝手に名付けている。

 

もちろん、歴史、文化、価値観は時の経過とともに変化するので、社会で要求される規範もその時々で変化して行くだろう。そのなかで主権者が権力を用いて保護する価値のある(社会の共通利益こそが、守るべき法益と言えるのだ。

それが法と言う形で国民自身の手で世の中に施行されると考える。

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