琉球王国の正史『中山世鑑(ちゅうざんせいかん)』では、12世紀、源為朝(鎮西八郎)が現在の沖縄県の地に逃れ、その子が琉球王家の始祖になったとされています。
その伝説を題材とした椿説弓張月は、曲亭馬琴作・葛飾北斎画で文化年間(1804年〰1818年)に刊行された読本です。 椿説(ちんせつ)を「ちんぜい」という読みで「鎮西」に掛けて「ちんぜいゆみはりづき」と読まれることもあるそうです。
長崎純心大学准教授のいしゐのぞむ氏が馬琴の読本で、釣魚嶼を中山王国の領域としている記述があることを発見したことも、最近の大きな話題でした。
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三島由紀夫「椿説弓張月」昭和44(1969)年作、同年11月に国立劇場で松本幸四郎を主演俳優として三島自身の演出で演じられた。
当時の時代背景は、前年4月には、沖縄で戦後最大の県民大会が開催され、デモ隊が米兵と衝突しました。翌年は70年安保闘争ということで日米安保自動延長。翌々年には沖縄返還協定調印が行われます。
あらすじ
強弓と武勇で知られる源為朝(鎮西八郎)は崇徳上皇方に加わって保元の乱を戦ったが、捕らえられて伊豆の大嶋へ流罪となる。それから十余年がたち、今日は上皇の命日。そこへ為朝征伐の軍がやってくる。為朝は朝敵である、この地でめとった妻簓江(ささらえ)の父を討つ。簓江は娘と一緒に入水し、息子の為頼は勇敢に戦って討ち死する。為朝と家来の紀平治や高間夫婦は船でおちのびる。その後を裏切り者の武藤太が追う。
為朝は讃岐へ渡り、祟徳上皇の御陵の前で自害しようとするが、その時上皇や父為義やの霊が烏天狗を伴って現れ「十年たてば平家は滅びる」と予言。さらに「肥後の国で旧知にあえる」とさとす。気がつくとそこに上皇達が交わしていた天杯が落ちていた。そこで為朝は肥後へと向かう。 肥後の山中で為朝は巨大な人食い猪を素手で退治する。そこで猟師に痺れ薬入りの酒を飲まされ連れて行かれた館で、為朝は長い事行方不明だった妻の白縫姫と息子の舜天丸に再会する。
姫は源氏の再興を図って武士を集めていた。そこへ連れて来られた裏切り者の武藤太は腰元たちに竹釘を打ち込まれて成敗される。 為朝たちは平家を討つ為に船出する。だが大嵐にあい一人又一人と波にさらわれる。そこで白縫姫は嵐をしずめるために生贄となり海に飛び込む。すると姫の霊は黒揚羽蝶になりとびたつ。海をただよう息子の舜天丸と紀平治が大きな魚に襲われた時も現れて魚を静かにさせ、魚は背中に二人を乗せて陸に送り届ける。一方小さな岩にたどり着いた高間夫婦は主人を失ったことをはかなみ、二人して自害する。そこへ大きな波が覆い被さり、あとかたもなく二人は海へ消える。
嵐で為朝一行は琉球へと流される。琉球の王家では王寧女(わんねいじょ)と家来の陶松壽(とうしょうじゅ)が王子の乳母阿公(くまぎみ)の悪巧みによって窮地に陥れられている。為朝が助けに行くが一足遅く王寧女は殺されてしまう。するとそこに白縫姫の霊である蝶が飛んできて王寧女は白縫姫としてよみがえる。 一方阿公はひそかに「夫婦宿」を営みやってくる旅人を殺して金品を奪っていた。鶴と亀の兄弟は母親を殺して胎子を奪った阿公を討ちに夫婦に化けて乗り込んでくる。ところが実は阿公は二人の祖母、殺された母は阿公の生んだ娘、王子は阿公の実の孫だった。そして阿公の初恋のその相手は昔日本に行った時会った為朝の家来、紀平治だったのだ。阿公は自分の罪を悔い、二人の孫に討たれ瀕死の内に過去を述懐する。 七年がたち、平家は滅亡、為朝の働きで琉球にも平和が戻った。人々の「王になって欲しい」との願いを辞退して、その代わりに息子の舜天丸(すてまる)を舜天王(しゅんてんおう)と名づけ王位につけた為朝には、もう上皇の元へ逝きたいと言う願いしかなかった。すると海から天杯をくわえた白馬が現れ、それにまたがって為朝は天空へと去っていく。
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