支配被支配関係が歴史上長期間続いてきた国や民族の中には、今になっても、本来対等であるべき当事者間の権利義務という関係が、立場の上下、優劣や強弱と区別がつかない人々が大勢いるようだ。
私がここで言っている支配被支配関係とは、身分制社会が有り、その社会の中で収奪・搾取「する」「される」が上下の身分で当然視されるような関係のことだ。
東ユーラシアで興亡を繰り返して来た中華帝国と周辺の王国は、漢民族による支配であろうと、漢民族を支配した異民族だろうと、上に立つ皇帝が王や領主を、領主が土地と人々を支配していた。つまり、土地に住む人々はその土地を支配する者の所有物であった。そのような社会で収奪・搾取「する」「される」が上下の身分で当然視されてきた。
大雑把に言って、現在フューダリズム(Feudalism)と訳される封建制社会を経ず、社会秩序を維持する手段が専ら「力」だった時代が現在まで続く国や国民の話だが、「力」の強いものが弱いものから収奪・搾取する。「奪う」者と「奪われる」者が、支配と被支配の関係として長期間続き、それが改められず今に至っている社会。
「奪う」「奪われる」と「権利行使」「義務履行」という概念の差はとても大きい。
文明から取り残されていて、それに気がついていない。本人たちも周囲の文明人たちもである。
双方が気付く事が平和を築く第一歩だと思う。