kaiunmanzoku's bold audible sighs

Be love Be peace Be harmony Be compassion Be joy

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.

憲法学者を名乗る教条主義者

FBへの投稿から

 

 

憲法学者を名乗る教条主義者が、また日本人の生存の権利・自由を平和主義という建前の前にひれ伏させようとしている。


曰く、「人権は平和の下に存在し得る」
正しい。


しかし、忘れてはならないのは人権は全ての人が守りたいと望んでいるものの一つであるということだ。だから全ての人々の相互の信頼と守ろうとする強い意志の下に初めて守れるものだということだ。自分や大切な人々の命や生活を守れるのは周囲の人々も同じ思いをもってくらしているという信頼が大前提となっているということだ。


しかし我々が生きているのは「現実社会」だ。だから我々の大切なものを奪おうとする、あるいは破壊しようとする人々が現実世界には少なからずいるという事。それを無視してはいけない。


戸締りも必要。警察も必要。裁判所も刑務所も必要とするのが現実世界だ。平和が憲法の条文だけで守れるという主張も平和を憲法条文だけで守るという幻想も、平和を現実に実現しようとする人々、戸締りをし、犯罪と戦い、罪に罰を課し、悪人を閉じ込める人々の努力を無視していないだろうか、馬鹿にしていないだろうか。いやいやいや、そのような主張も幻想もそれらの人々を無視し馬鹿にしているのだ。そう気付かねばならない。彼らこそ現実の恐怖と日々戦う人々だ。彼等こそ我々の社会を成り立たせている「相互の信頼」を繋ぎ止めるために人々の命や生活を強い意志の下に日々守っている人々だ。彼らは現実に絶対必要な人々であり、現実そのものなのだ。


一部の憲法学者と称する人々の主張、それが平和への祈りであれば少しは効果もあろうが、主張のための主張であってみれば、「種を蒔く人が種蒔き時に出てい」くほどの効果も生みはすまいと思う。


彼らは根もはれない雨も降らない土地を選んで、「こここそ選ばれた土地」だと主張して種を撒こうとしている人々なのだ。すべての最良の種(善意)を無駄に終わらせると知って、そう願って無駄に終わらせるためにだ。


だから彼らは「教条主義者」と呼ばれるのだ。

 

f:id:kaiunmanzoku:20170612133058j:plain

 

国民の総意を実現するためにこそ権力は用いられる

過去のFBへの投稿を修正してブログに上げて置く

 FBへの投稿

 

国民主権(国民の総意)を実現するための権力の使い方】


憲法が国家権力の抑制手段として働いていることは、憲法学者に言われなくても知っている人が多いだろう。

しかし、これを一般的な憲法の目的だとするのは間違いである。

ここで言う憲法国民主権が謳われている日本国憲法であって、他の憲法(欽定憲法)ではないことに注意しなければならない。

 

たとえば、欽定憲法の代表であるルイ18世によるCharte constitutionnelle de 1814 フランス1814年憲章(フランス憲法)では、「フランスの全権は国王一身にある(L'autorité tout entière (réside) en France dans la personne du Roi)」とされ、この憲章により国王は「神聖不可侵(inviolable et sacrée)」とされ、すべての法律および行為はこの憲法の条項を尊重しなければならないとされているが、憲法は国王が授与したものであることから、すべての法律および行為は国王一身の下に位置するものとされている。

大日本帝国憲法においても同様であるが、こちらは日本人なら既に学んでいるし、すぐに調べられるので説明は割愛する。

 

欽定憲法と異なり、国民主権の思想に基づき、国民が直接に、または国民から選挙された議会を通じて制定された(ことになっている)日本国憲法は、民定憲法の体裁を取っている。

要は、主権者が変わったこと(誰であるか)が重要なのである。


さて、日本国憲法が、国家権力が好き勝手しないように歯止めをかけ、国家権力の暴走から国民の自由を守っている事実について述べよう。

国家権力の暴走から国民の自由を守る力や根拠(これを権原と言います)はどこにあるのでしょうか。


結論から言えばこの権原は国民主権に由来しているのであって、憲法の目的がそこ(国家権力の抑制手段そのもの)にあるのではないことを理解しなければならない。


国民主権を守るために国民の基本的人権が尊重される」
それと同様に国民主権を守るために国家権力が抑制されている」=「国民の基本的人権を守るために国家権力が抑制されている」
と言っても良い。


だから当然、国民の総意を実現するためにこそ権力は用いられるということが大前提にある。目的実現のための抑制であって、抑制が目的ではないのだ。

そして、国民の総意は選挙で選ばれた国民の代表を通して実現される日本国憲法の前文の一番最初に書いてある。これは国民主権の宣言なのだ。

 

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し(略)ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する

 

国民の意思が国家権力の権原であるとの宣言。それこそが日本国憲法であるとはっきりと書いてある。何人もその権原を侵してはならないと言っているのだ。

つまり、その権力の行使に制限を加えることが出来るのは国民の意思のみである。

 国民の意思として示された目的実現のための抑制であって、抑制が目的ではないのだ。

外務省「支那の呼稱を避けることに關する件」は主要新聞社に送付した申し送り文書

過去のFBへの投稿から

 チャイナはチャイナ、現在では「中国」も「統一中華」も周辺諸国侵略のためのプロパガンダとして使用されている。チベットウイグル満州等は断じてチャイナではない。

 

支那の呼稱を避けることに關する件】
1946年(昭和21年)6月に日本の外務省が総務局長岡崎勝男名で東京都下の主要新聞社あて発出した「申送り文書」。
下記の画像は全て国立公文書館デジタルアーカイブからの出典。

日本で「支那」という言葉が公文書等で使われなくなったのは、内閣通牒として出された一介の「申送り文書」のせいである。そこには法的強制性はないただ「先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考え念のため貴意を得る次第」と書いてあるだけ。

 たとえ公務員は従う義務が生じたとしても、一般国民が従う義務はない。


出典は国立公文書館
デジタルアーカイブ - 支那ノ呼称ヲ避ケルコトニ関スル件

www.digital.archives.go.jp


++++++
文合第三五七號 
昭和二十一年六月六日
               外 務 次 官(官印)
  内閣書記官長   殿
   支那の呼稱を避けることに關する件
 本件に關し外務省總務局長から六月六日附で都下の主な新聞雜誌社長に對し念のため寫のやうに申送つた。右參考のため御送りする次第であるが、機會があつたら御關係の向へも同樣御傳へを得たい。
本信送付先 各省次官、内閣書記官長、法制局長官、統計局長、内閣審議室、各都道府縣、終戰聯絡地方事務局長
++++++++
 中華民國の國名として支那といふ文字を使ふことは過去に於ては普通行はれて居たのであるが其の後之を改められ中國等の語が使はれてゐる處支那といふ文字は中華民國として極度に嫌ふものであり,現に終戰後同國代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があつたので今後は理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考え念のため貴意を得る次第です
 要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辭例としては
  中華民國、中國、民國。
  中華民國人、中國人、民國人、華人
  日華、米華、中蘇、英華
 などのいづれを用ひるも差支なく唯歷史的地理的又は學術的の敍述などの場合は必しも右に據り得ない例へば東支那海とか日支事變とか云ふことはやむを得ぬと考へます
 ちなみに現在の滿洲は滿洲であり滿洲國でないことも念のため申添へます
 昭和二十一年六月七日
                岡 崎  外務省總務局長

 

f:id:kaiunmanzoku:20170612111145p:plain

f:id:kaiunmanzoku:20170612111205p:plain

 

「中国」の意味については、下記のブログを読んでほしい。

繰り返そう。チャイナはチャイナ、現在では「中国」も「統一中華」も周辺諸国侵略のためのプロパガンダとして使用されている。チベットウイグル満州等は断じてチャイナではない。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

支那」の呼称についてのブログ

kaiunmanzoku.hatenablog.com

立法府の役割を考える

FBへの投稿から

 

 

気に入らないからと言って、犬の群れのように集団で噛みついて「ヘイトだ」「レイシズムだ」とレッテルだけ貼って屈服させるなら、それはファシズムだ。文革の手法だ。


そして、ヘイトやレイシズムの定義を議論するのも徒労だ。そんな方向に議論を振ってはならない。現実の政治において、万が一にも感性に寄り添う議論が必要ならそれは心理学に一旦は任せるべきだ。現実の政治では、何が困難を解決する方法なのかという方法論を《あらゆるタブーを無視して》ひたすら論じるべきなのだ。国民にとっての共通の利益と言うのは目の前の困難の解決そのものなのだから。本来議員が議会で論じるために議会での発言で責任を問われないという意味はまさにこの部分にあるのだ。


目の前の困難を解決する道を閉ざす議論やそれを意図して行おうとする人々には常に警戒を怠ってはならない。彼らは社会の敵だ。

日本を守るということを考える

FBへの投稿から

 

 

日本は、現在が古代、それこそ神話と地続きでつながる国だ。

 


天照大神は手に宝鏡(たからのかがみ)を持ち、天忍穂耳尊に授けて、「我が御子よ、宝鏡を視ること、まさに猶(なお)我を視るが如くすべし。與(とも)に床を同じくし御殿を共にし、以ちて祭祀の鏡とされよ。」と祝福し、天児屋命太玉命に、「惟(これ)爾(いまし)二柱の神、亦(また)同(とも)に殿の内に侍(さぶら)いて、善く防ぎ護るをいたせ」と勅す。
また、「我が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以ちて、また、まさに我が御子に御(しら)せまつるべし。」と勅す。

 


天照大神から瓊瓊杵尊が「穂を以ちてまたまさに我が御子に御せまつるべし」との勅命を受けた日から、日本人は葦原の中つ国、瑞穂の国を護って来た。


皇室と日本を護ると言う時、我々日本人はこの日から今日に至るまで遡って守り続けてきた「日本」を護るべきだと思う。


日本国憲法大日本帝国憲法などは、その一部であって全体ではあり得ないのだ。手段に拘泥して本質を忘れてはいけない。と思う。

文明の衝突と言うことを考える

FBへの投稿から

 

文明の衝突:右傾化ではなく自己発見だ】


この文明の衝突と言う世界観はいろいろな示唆を与えてくれますが、私が感じるのは文明圏のアイデンティティの問題です。


EUの域内(特にヨーロッパ域内)でのグローバル化文明の衝突が無いか軽いのに対し、(トルコを入れない)アラブ圏あるいはイスラム圏と言うくくりになると文明の衝突が避けられないという例示です。


経済のグローバル化は文明のグローバル化を直ちにはもたらさない。むしろ経済のグローバル化文明の衝突をもたらす。その現実を文明圏のアイデンティティの自覚に見るような気がします。


このことは、世界の右傾化ではなく自己発見が原因なのではないかと考えています。

打倒トランプ政権側に宣伝口実を与えるだけのパリ協定離脱宣言

パリ協定離脱宣言そのものの害悪


米国はバカではないので、温暖化防止の国際的枠組みにいつか戻るし、戻るまでの間にも民間努力は続けられるだろう。企業もイメージが大事だと十分知っている。

 

そして、温暖化が離脱宣言によって急激に促進される(と左翼は政治宣伝するだろうが、そんな)わけではない。


問題は打倒トランプ政権側に宣伝口実を与えるだけの政策を打ち出したトランプ政権の無能力ぶりである。こっちはウマ鹿かもしれない。

 

f:id:kaiunmanzoku:20170602124941j:plain

米国のパリ協定離脱は、中共封じ込め戦略の頓挫

中共封じ込め戦略の一部頓挫】

トランプが主張している通り「パリ協定は中共に有利な取決め」であり中共は余剰生産設備を整理するだけでも協定の数字の一部を達成出来る立場にあります。

この協定の成立過程を振り返れば、協定に米中を巻き込むために世界中の国が妥協した事は誰にも明らかでしょう。もともと「パリ協定は中共(と米国)に有利な取決め」なのです。

そもそも米国がこの協定に参加したのは、中共の封じ込めのために米国が協定の中でリーダーシップをとって中共を締め付ける手段を持てる、そんな戦略も予定されていたとも言えるのです。

TPPに続いて、国際外交の舞台で米国のリーダーシップ発揮の場がまた一つ失われたというのが私の感想です。

 

f:id:kaiunmanzoku:20170602101731j:plain

一般論として、どの外交の場でも同盟国である米国が、発言力や影響力を低下させ、中共やロシアの影響力が相対的に上がることは日本にとって大きな問題です。

尖閣危機時における国際世論の獲得

慰安婦靖国と言った中華プロパガンダ対応

・拉致・ミサイル・核問題で北朝鮮制裁に中共の圧力を求める時

北方領土交渉

中共にスパイ容疑で捉われている人々の救済

南シナ海の自由航行維持のための諸外国の協力

いずれの問題も米露中が国際社会に発信している情報が直接日本の政治に影響をもたらしているものです。

 

また、チベットウイグル南蒙古や中共国内の人権問題についての影響は大きなものがあるでしょう。なによりも台湾海峡危機や香港マカオ危機のような際には、米中の国際社会への発言力や影響力の変化が重大な事態を引き起こすことは間違いありません。

 

今回の米国のパリ協定離脱宣言は残念です。

南鮮は反日を放棄せよ。さもなくば亡国だ。

【今更踏み絵にはならないTHAAD】
反日の放棄だけが南鮮が独立国として存続する道

 

南鮮で大統領を選ぶ選挙戦が始まったという。

左派候補2人が立候補し、両候補は選挙後に中共からTHAADという「踏み絵」を迫られるかもしれないと報じられている。米軍の最新鋭迎撃システム「THAAD(高高度防衛ミサイル)」のことだ。

中国はTHAADの配備に反対し続けており、新大統領へは辛辣な報復も予想されるからだ。

www.zakzak.co.jp

 

しかし、私の思いは別にある。

今回の半島危機で、日米が最終的に北の毒牙を抜き北鮮が自由陣営と行かないまでも中共の走狗から独立した国になれば、北に統一してもらえば良いと思っているからだ。朝鮮半島など緩衝地帯として機能できれば国際社会は是認する。

 

そもそも、今回の半島危機は南鮮が呼び込んだものだ。


昨年の慰安婦合意をきっかけに生まれた反日機運が朴槿恵の弾劾へと繋がっていく中で、南鮮の民衆は、南鮮内の従北派と北鮮の独裁者、後ろで糸を引く中共に誤ったメッセージを送ったのだ。「あと一押しで半島を赤化できる」と。

 

バカな傀儡師は沖縄にいる工作員からも使嗾されたのであろう。
「日本人民と米軍を切り崩せば、日本人民は反米運動を盛り上げ米軍を追い出す」と。

 

かくして、北の若大将は「在日米軍基地周辺を核のターゲットにしたぞ」と4発日本海に打ち込んだのだ。

 

だから言う。今更THAADを踏み絵にする価値はないと。反日こそが中華プロパガンダなのだから。反日の放棄だけが南鮮が独立国として存続する最後の道なのは、もはや間違いないからだ。

 

 

天竺才や漢才や洋才も大和心を失わず世に用いるのが 大和魂

本稿は「教育勅語と大和心」としてブログにあげた文章です。当時は、森友学園の「愛国」教育が話題となっていて、その問題点を指摘する意図がありました。

モリカケ騒動が過去のものとなろうとしていますので、引き続き、大和魂や大和心についての説明の際にも参考としてもらえるよう、題名を変えました。

 

 

教育勅語と大和心】

 

「私は【教育勅語の内容は是】としながら、その精神を活かすために、そこに欧米の一神教を過剰意識し神道から宗教性を過度に排除しようとした国家神道の影をできるだけ落とすことなく扱ってもらいたいと思っている」と以前FBに投稿した。

 

明治以降の神道というのは、欧米の一神教を過剰意識した体系として再構成され「国家神道」になった節がある。以前のものとは明らかに違っている。

したがって、いわゆる「國體」第一の国家神道によって、本来の「大和心」に欠けている「表象」があちらこちらに見受けられるためである。

 

簡単に言うと八百万の神々への尊重の念が少し欠けているのが「國體」第一の国家神道だと思っているからだ。

 

1889年の大日本帝国憲法発布以降に行われた勅令による宗教教育の禁止と共に「宗教ではない」国家神道は宗教を超越し政治・教育と一体化したといわれている。欧米の一神教を過剰意識し神道から宗教性を過度に排除しようとした。その翌年の1890年に世に出たのが教育勅語だという認識を忘れてはならない。やまとごころを踏みにじる一連の出来事を。それを歴史的事実と共に考えることが重要だ。

 

その後始められた神社合祀では、43,000社の神社が取り潰されることになる。

狙われたのは、古事記日本書紀に出てこない八百万の神である。

この神社の統合整理で①敬神思想を弱める、②民の和融を妨げる、③地方を衰微する、④民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する、⑤愛国心を損なう、⑥土地の治安と利益に大害がある、⑦史跡と古伝を滅却する、⑧天然風景と天然記念物を亡滅する(南方熊楠の主張)結果となった。

もう一度南方の言葉を借りれば八百万の神々に対する「神狩り」が行われたのだ。「狩られたのは」主に出雲系の神々や土着の神々だ。

多数の日本古来の祭礼習俗が失われ、由緒と呼ばれる歴史の糸口も壊滅的打撃を受けた。日本古来の「大和心」や「大和魂」の一部が日本人の記録と記憶から消されたのだ。教育勅語の制定と普及というのはこの時期の話である。

 

「私は【教育勅語の内容は是】としながら、その精神を活かすために、そこに欧米の一神教を過剰意識し神道から宗教性を過度に排除しようとした国家神道の影をできるだけ落とすことなく扱ってもらいたいと思っている」というのは、この歴史を意識しているからだ。

 

八百万の神々に対する敬神の姿勢を損なうことなく、また、皇室に対する尊崇も失うことなく、天竺才や漢才も洋才も大和心を失わず世に用いるのが大和魂だ。大和民族、日本人の個性、日本(人)を日本(人)たらしめるものは、そういう価値観を共有してきたことだ。仏教、律令四書五経、鉄砲、文明開化を思い起こして欲しい。

 

異なる意見を持つ人々に対する優しさや思いやり無くして大和魂はない。

 

海外の一神教にある匂い、自己肯定のための他者否定をなくす。そうしてこそ、八百万の神々と皇室を尊重できるのでははないか・・・と言い換えれば理解してもらえるだろうか。

 

皇室に対する尊崇と八百万の神々に対する敬神の姿勢、それが日本の歴史であり、将来に残すべき価値観だ。日本人の心、大和心だ。それを守ろうとする民族の心のエネルギーが大和魂と言ってよいと思う。

教育勅語を教えるのは良いことだが、たとえ事実であろうと幼児に中韓を非難させたり、英雄崇拝まがいのスローガンを叫ばせてはならない。

 まるで、共産国や南鮮の洗脳教育だ。やっていることが同じになってしまっている。

それは、断じて大和魂の教育ではない。

 

 

 

教育者たらんとする者こそ大和心から学び直すべきだ。

f:id:kaiunmanzoku:20160405152120j:plain

敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花

  f:id:kaiunmanzoku:20170325192740j:plain  f:id:kaiunmanzoku:20170325145507j:plain

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.