故其政未竟之間 其懷妊臨産 即爲鎭御腹取石以 纏御裳之腰而 渡筑紫國其御子者阿禮坐【阿禮二字以音】 故號其御子生地謂宇美也 亦所纏其御裳之石者在筑紫國之伊斗村也 亦到坐筑紫末羅縣之玉嶌里而 御食其河邊之時 當四月之上旬 爾坐其河中之磯 拔取御裳之糸 以飯粒爲餌釣 其河之年魚【其河名謂小河亦其礒名謂勝門比賣也】 故四月上旬之時 女人拔裳糸 以粒爲餌釣年魚 至于今不絶也
故、其の政(まつりごと)を未だ竟(お)えざりし間に、其の懷妊(はらみ)産むに臨み、即ち御腹を鎭めんと爲して石を取り以ちて御裳(みも)の腰に纏(ま)きて、筑紫の國に渡り、其の御子は阿(あ)禮(れ)坐しき【阿禮の二字は音を以ちてす】。 故、其の御子の生れし地を號けて宇美(うみ)と謂うなり。 また其の御裳に纏きし石は筑紫の國の伊斗(いと)の村に在り。 また筑紫の末羅(まつら)の縣の玉嶌(たましま)の里に到り坐して、其の河邊に御食(みおし)しし時、當に四月(うづき)の上旬(はじめ)なりき。 爾くして其の河中の磯に坐して御裳の糸を拔き取り、飯粒(いいぼ)を以ちて餌と爲し、其の河の年魚(あゆ)【其の河の名を小河と謂う。また其の磯の名を勝門比賣(かちどひめ)と謂う】を釣りき。 故、四月(うつき)の上旬(はじめ)の時、女人(おみな)裳の糸を拔き、粒(いいぼ)を以ちて餌と爲し、年魚(あゆ)を釣ること今に至るまで絶えず。
このような具合でございまして、その政務がまだ完了しないうちに、神功皇后はご出産に臨むことになりました。そこで御腹(みはら)を落ち着かせようと[出産を遅らせ引き延ばそうと思って]石を持ち、御裳(みも)の腰にお付けになって[新羅から]筑紫の国に渡り帰られると、その御子はお生まれになった【阿禮の二字は音をそのまま充てることにする】。そういうわけで、その御子のお生まれになった土地を名付けて宇美(うみ)ということになった。またその御裳にお付けになられた石は筑紫の国の伊斗(いと)の村にある。
また筑紫の末羅縣(まつらあがた)の玉嶌(たましま)の里にお出ましになられて、その川辺でお食事をとられた時、ちょうど四月(うづき)の上旬(はじめ)でした。 そこでその川の流れの中に出ている岩におかけになり、御裳の糸を拔き取り、ご飯の粒を餌として、その川の年魚(あゆ)をお釣りになった【その川の名を小河という。また其の岩の名を勝門比賣(かちどひめ)という】。 そういう訳で、四月(うつき)の上旬(はじめ)に、女性たちが裳の糸を拔き、ご飯の粒を餌として、年魚(あゆ)を釣ること今に至るまで絶えない。