先日のブログに慰安婦像とは「恨」のトーテムであり、「両親」や「過去」といった否定できないものや変えられないものを象徴しており、それらを尋常ならざる手段で否定し変えてしまう呪術的装置であると述べた。このブログはその先日のブログ
の続きである。
その「両親」や「過去」とは何を指すのかを順不同で羅列しておこうと思う。
▼チャイナへの隷属の歴史
箕氏朝鮮が殷の移民から始まった時点からチャイナ政権の属国であった。
紀元前108年~220年:漢(植民地)
221年~245年:魏(植民地)
108年~313年:晋(植民地)
314年~676年:晋宋梁陳隋唐(属国)
690年~900年:渤海(属国)
1126年~1234年:金(属国)
1259年~1356年:元=モンゴル(属国)
1392年~1637年:明(属国)
1637年~1897年:清(属国)
1897年:日清戦争日本勝利、下関条約により清の属国から開放される
▼貢女外交とも呼ばれる、女と宦官をチャイナに朝貢してきた歴史
貢女は数千人に上る。李氏朝鮮時代には、貢女徴収のために「12歳以下の女子については婚姻を禁ずる」法令も出された。
▼妓生:奴婢身分の女性の存在。
高麗から李氏朝鮮末期まで約1000年間、常に2万~3万名の妓生。
全て奴婢身分であった。
▼日本への隷属の歴史
1905年~1945年:日露戦争日本勝利(保護国化、韓国の要請を受け併合)
▼元寇の原因を作った
『高麗史 元宗十三年(1272)3月』に、諶(しん、後の忠烈王)が、日本侵略をフビライに進言したことが記されている
▼李氏朝鮮時代の盲目的な華夷観の受容と小中華・事大主義
現実はどうであれ「朝鮮はチャイナ王朝と共に世界の中心をなし、周辺諸国を従属させて来た」という理想と現実の乖離現象が政治や文化で顕著であり続ける原因となっている。今に至るまでと言える。
▼売買・略奪・相続・譲与・担保・賞与の対象であった「奴婢」身分の存在。
1894年の甲午改革で廃止されるまで続いた奴隷身分と制度。
父母の一方が奴婢の場合は、子も奴婢となった。
▼日韓併合によって初めて女性の地位が確保されたこと
身分が高くても名前が無かった。碑女に至っては主人の事実上の家畜扱いだった。
▼つい最近まで他の男性との交友に対して慣習法が優先され、姦通罪が適応された。
▼自国民虐殺の歴史
- 1948年:済州島4.3事件 3万人虐殺 (李承晩)
- 1950年:保導連盟事件 30万人虐殺 (李承晩)
- 1950年:信川虐殺事件 住民の4分の1にあたる3万5383人が虐殺 (李承晩)
- 1951年:国民防衛軍事件 9万人が餓死・凍死させられた=虐殺(李承晩)
- 1951年:山清,咸陽,居昌の民間人虐殺事件 1424人(李承晩)
- 1980年:光州事件 600人虐殺
▼上記の事件における「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」と説明してきた事実
▼朝鮮戦争の隠蔽・捏造
▼竹島強奪
韓国による日本人抑留者は3929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人
▼ベトナム戦争における虐殺レイプ
虐殺 5,000-9,000人 ライダイハン 3,000-20,000人
性奴隷のような生活を強いられた李氏朝鮮の女性たち、家畜同然の身分の白丁。日本人の手で身分的桎梏から解放されたという負い目。自国民を虐殺し、ベトナムでレイプと虐殺を行ってきた目をふさぎたくなる事実。
それらを尋常ならざる手段で否定し変えてしまう呪術的装置こそが、慰安婦像、「恨」のトーテムだと言える。
Masacre en Corea Pablo Picasso
黄海道、信川で3万5千383人の良民を虐殺したとされる惨劇を描いた「韓国での大虐殺」1951年作 マドリードにある王立プラド美術館の所蔵
この絵は韓国で反米的あるいは親北(朝鮮)・容共的なものであるとして、近頃まで禁止されてきた。もちろん、ピカソは反戦の意味で描いたものだ。
韓国政府は自国民の自軍による虐殺を隠したかったことは明白である。