kaiunmanzoku's bold audible sighs

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平和を9条でしか語れぬ論者は要らない。

Real World

我々の生きている世界はおとぎ話のようなPerfect Worldなんかではなく、不完全な人間どもがそれぞれの流儀で自分たちだけでもとEgo丸出しで生き延びるために格闘し続けて来ているReal Worldだ。

戦争はなるべく避けるべきだが、民族の民族たる根本、あるいは国家が国家たる根本を守るためや、人類共通の価値観を守るためであれば、それらを脅かすものを退けるために「止む終えない」と戦争に訴える場合も出てくるだろう。人も、人の作り出す社会も不完全である以上、不完全さがもたらす脅威は避けられないからだ。それをどう防ぐかも含めて「戦争」の議論はなされねばならない。

 

「戦争も辞さず」を公言できない現代日本と日本人の脆弱さ

それについて考えさせられることが最近もあった。「戦争」という言葉を口に出すこと自体を悪であるかのように忌避し、議論の入り口にすら入れないのだ。これは日本人の「言霊信仰」を利用した戦後の洗脳と関係があるのかもしれない。

その原因が憲法なら憲法を変えねばならない。


憲法は、初めに9条ありきではない

日本人が人類や世界に対する責任をどう取ろうとしているのか、その日本民族の文化的価値観こそが根本であるべきで、日本と日本民族が、その存在と名誉にかけて、人類と世界に果たすべき理想と責任を語るものでなければならない。

なぜなら、日本は立憲主義国であり、日本が真の立憲主義国ならば、憲法は日本国と日本人の文化的価値観を世界に宣言する主張であるはずだ。また、日本は国民主権民主主義国であり。日本が真の民主主義国であるならば、憲法自由意思を持った国民の意思を反映する政治体制を守り、人々が自由意思を持てる基礎である人権(基本的人権)を守ると世界に発信する主張を持つべきだからでもある。そしてなによりも、日本は平和主義国だ。日本が真の平和主義国ならば、憲法で人として本来平等であるべき人々が、世界のどこに於いても、恐怖と欠乏に曝されることなく、人として尊重される社会が保てるように積極的に努めると主張すべきだからだ。

 

もし、現行の日本国憲法のなかに日本人の理想と責任を述べた個所があるとすれば次の三点だと思う。

1.「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい

2.「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

3.「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する

 

改憲の機会があるというなら、上の理想を憲法の(前文ではなく)条文に書き表わすべきだろう。理想実現のための平和憲法らしく具体的にだ。

 なによりも、平和をこう定義すべきだ。

平和とは、人として本来平等であるべき全世界の人々が、世界のどこにおいても、恐怖と欠乏に曝されることなく、人として尊重される社会を保つこと。

 

平和とは、戦争をしないことではない。また、特定の時間や場所にいる特定の人々の安寧を指すのでもない。

専制と隷従、圧迫と偏狭が永遠に除去され、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれた世界に生存できること。

つまり、恐怖なき生存・欠乏なき生活・人としての尊厳誰もが等しく得られること。正義の実現の事だ。 

 

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「武士(もののふ)」部分画 源為朝に擬して描かれたと伝えられる 小堀鞆音 東京芸術大学

 

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