kaiunmanzoku's bold audible sighs

Be love Be peace Be harmony Be compassion Be joy

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.

沖縄(をじなー)は 和邇魚(をじなー)/因幡の白兎と山幸海幸の神話は西南諸島を和邇(ウツホフネ)で九州に上陸した日本民族の記憶だ

和邇魚」と書いて、 wojinah 「をきなは(沖縄)」と読む。そのように過去のブログで書いた。

「和邇魚」は、 wojinah 「をきなは(沖縄)」に通じる言葉 古事記 山幸海幸 番外編 - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

和邇とは船だ(船は和邇である)と、因幡の白兎の物語に謎々の形ではっきり書いてある。とも書いて説明してきている。

和邇とは船だ(船は和邇である)と因幡の白兎の物語に書いてある - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

ウツホフネを操る人々は「和邇(をに)」とも呼ばれる海の一族である。

和邇」とは、物語の中で「私と貴方は同族」と読者や聴衆に伝えている漢字表現である。わざわざ、これ音を以て二字とする、下はこれに倣う(此二字以音、下效此)と伝えなければならない意図を感じさせる。そうも言ってきた。

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 解説 - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

事勝国勝長狹神こと鹽椎の神、シオツチノオジのオジは、潮流に乗って和邇(woni)と呼ばれる船を操り、沖縄(Wojinah)を拠点として、東シナ海=倭的海(わたつみ)を縦横に、さらには北九州や朝鮮半島因幡や東北、沿海州、瀬戸内海や黒潮に乗って伊勢や熱田、安房や小笠原列島の方まで進出していたと想像し、翁(Wojinah)は和邇魚(Wojinah)と同じ発音で同じ意味なのだと主張した。

Memo シオツチノオジ、鹽椎翁(siotsukino wokinah)は、鹽椎和邇魚(siotsukino wojinah) - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

上記の考察から導かれる一つの推論・仮説は、因幡の白兎と山幸海幸の神話は西南諸島を和邇と呼ばれるウツホフネを用いて日本に上陸した日本民族の記憶だということだ。そうとしか思えない。

 

なお、古事記本文を引用する。読み下し解説等は下記を参照して欲しい。

古事記 山幸海幸⑥ 上國(うわつくに)へ和邇(わに)の頚(くび)に乗りて帰国 - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

古事記本文:山幸海幸の段

即悉召集和邇問曰 今天津日高之御子 虚空津日高爲將出幸上國 誰者幾日送奉而 覆奏 故各隨己身之尋長限日而白之中 一尋和邇白 僕者一日送即還來 故爾告下其一尋和邇 然者汝送奉 若渡海中時 無令惶畏 即載其和邇之頚送出 故如期一日之内送奉也 其和邇將返之時 解所佩之紐小刀 著其頚而返 故其一尋和邇者 於今謂佐比持神

 

f:id:kaiunmanzoku:20190623134208p:plain

沖縄諸島 Wikipedia画像

 

民主主義とは、法治国家における国民主権の具体化であり進め方のこと

民主主義を叫ぶくせに民主主義が分かっていない人は多い

彼らは、施政者に不満を上げない衆愚を見下し、揃いも揃って「この国の民主主義」を憂いる。

国家は、他国から独立した主権を行使でき、内政においても正当な効力のある統制がなされ治安が維持できていて初めて存在できる。外交用の独立した主権の行使も内政用の正当性を持つ統制力も国家の持つ権力である。

 

そのような国家の権力の正当性と効力の源は、「国民主権と民主主義に裏打ちされた『法』」でなければならない。

 

民主主義とは、法治国家における国民主権の具体化であり進め方のことである。国民自身が参加し国民自身が権力の主人であり国民の利益のために権力を用いる。そのような法治国家であることが民主主義の前提だ。そこでは、『法』が自由意思を持った国民の意見を反映する政治体制を担保し、『法』が人々の自由意思の基礎となる人権(基本的人権)を保障する。

 

民主主義の代名詞である選挙は民意を政治に取り込み、多数決によって決するのみ。そして多数決は往々にして衆愚政治を招き、少数者は不満を抱くかもしれない。だから衆愚を防ぐために憲法に日本国民はこうあるべしと記すことは有意義だろう。衆愚であろうとなかろうと「力」の正当なコントロールは、自由意思を持った国民の意見を反映した議会を通して成立した『法』によって行われる。

 

日本の国家権力の源=正当性

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保」する。これこそが日本の国家権力の正統性を表現する言葉だ。

そのことの重要性を日本国憲法はもう一度繰り返し述べている。

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」。

そして、どのような国家権力もこのような原則に基づくべきであり、日本もその原則に基づいて国民から選挙で選ばれた代表によって権力を行使すると述べている。

これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである

まさに、国家(日本国)の権力の正当性と効力の源は、「国民主権と民主主義に裏打ちされた『法日本国憲法)』」と述べているのである。

 

政治家に対する悪罵も衆愚に対する不満も、日本の民主主義が機能している証拠だ。よりよく機能させる提案もなしに大衆を扇動しようと意図する者たちは民主主義の敵である。

f:id:kaiunmanzoku:20190829171138p:plain

民主主義も知らないのに評論家らしい人


民主主義を叫ぶくせに民主主義が分かっていない人は多い。



 

平和を9条でしか語れぬ論者は要らない。

Real World

我々の生きている世界はおとぎ話のようなPerfect Worldなんかではなく、不完全な人間どもがそれぞれの流儀で自分たちだけでもとEgo丸出しで生き延びるために格闘し続けて来ているReal Worldだ。

戦争はなるべく避けるべきだが、民族の民族たる根本、あるいは国家が国家たる根本を守るためや、人類共通の価値観を守るためであれば、それらを脅かすものを退けるために「止む終えない」と戦争に訴える場合も出てくるだろう。人も、人の作り出す社会も不完全である以上、不完全さがもたらす脅威は避けられないからだ。それをどう防ぐかも含めて「戦争」の議論はなされねばならない。

 

「戦争も辞さず」を公言できない現代日本と日本人の脆弱さ

それについて考えさせられることが最近もあった。「戦争」という言葉を口に出すこと自体を悪であるかのように忌避し、議論の入り口にすら入れないのだ。これは日本人の「言霊信仰」を利用した戦後の洗脳と関係があるのかもしれない。

その原因が憲法なら憲法を変えねばならない。


憲法は、初めに9条ありきではない

日本人が人類や世界に対する責任をどう取ろうとしているのか、その日本民族の文化的価値観こそが根本であるべきで、日本と日本民族が、その存在と名誉にかけて、人類と世界に果たすべき理想と責任を語るものでなければならない。

なぜなら、日本は立憲主義国であり、日本が真の立憲主義国ならば、憲法は日本国と日本人の文化的価値観を世界に宣言する主張であるはずだ。また、日本は国民主権民主主義国であり。日本が真の民主主義国であるならば、憲法自由意思を持った国民の意思を反映する政治体制を守り、人々が自由意思を持てる基礎である人権(基本的人権)を守ると世界に発信する主張を持つべきだからでもある。そしてなによりも、日本は平和主義国だ。日本が真の平和主義国ならば、憲法で人として本来平等であるべき人々が、世界のどこに於いても、恐怖と欠乏に曝されることなく、人として尊重される社会が保てるように積極的に努めると主張すべきだからだ。

 

もし、現行の日本国憲法のなかに日本人の理想と責任を述べた個所があるとすれば次の三点だと思う。

1.「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい

2.「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

3.「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する

 

改憲の機会があるというなら、上の理想を憲法の(前文ではなく)条文に書き表わすべきだろう。理想実現のための平和憲法らしく具体的にだ。

 なによりも、平和をこう定義すべきだ。

平和とは、人として本来平等であるべき全世界の人々が、世界のどこにおいても、恐怖と欠乏に曝されることなく、人として尊重される社会を保つこと。

 

平和とは、戦争をしないことではない。また、特定の時間や場所にいる特定の人々の安寧を指すのでもない。

専制と隷従、圧迫と偏狭が永遠に除去され、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれた世界に生存できること。

つまり、恐怖なき生存・欠乏なき生活・人としての尊厳誰もが等しく得られること。正義の実現の事だ。 

 

f:id:kaiunmanzoku:20190215102056p:plain

「武士(もののふ)」部分画 源為朝に擬して描かれたと伝えられる 小堀鞆音 東京芸術大学

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

日本国憲法は自主憲法ではない

自主憲法でない明白な証拠

立憲主義国ならば、憲法はその国と国民の文化的価値観を世界に宣言する主張であるはず。

 

なぜ共産主義者が揃って護憲派なのか。

日本を破壊できるツールとして有益だからだ。日本国と日本国民の文化的価値観を破壊できるからだ。

象徴天皇のリーダーシップ 必要性と限界

象徴というお立場は元首なのに国のリーダーではない。難し過ぎるのではないか。リーダー教育はタブーなのだろうか。普通に元首としての言動を求めたいが現憲法下では無理なのか。

 

 

リベラリズムの本質は共感力

寛容性は見知らぬ相手に対する共感能力。リベラリズムの根底だが、現代のリベラルは異なる。「普遍的価値観はこうあるべきだ」という独善性に陥っている。それに気が付かないリベラルファシズムが心配だ。

 

http://www.media-japan.info/wp-content/uploads/2016/01/a1a817b93c5a75a150494a32f9ba2f5d.jpg

民主主義の矛盾 メモ

民主主義の矛盾は、政治が高度に技術化・専門化しているのに、主権者が生活に追われる庶民という現実だ。政治家は古来から生活者であった例がない。そこに付入るのが共産主義を含む大衆迎合という手練である。
だから、政治家は生活を知る哲学者であるべきだと思う。

 

文献に見る日本の形、皇統とは万世一系のこと

日本書紀


「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の國 は、是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)也。宜しく­爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)、寶祚(あ­まつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわま)­り無かるべし。」
「葦原千五百秋之瑞穗國、是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫、就而治焉。行矣。寶祚之隆、­當與天壤無窮者矣。」

 

 

古事記


「ここに天照大御神、速須佐之男命に告りたまひしく、「この後に生まれし五柱の男子は­、物実(モノザネ)我が物によりて成れり。故、自ら吾が子ぞ。」
「於是天照大御神。告速須佐之男命。是後所生五柱男子者。物實。因我物所成。故自吾子­也。」

 

天照大御神、高木神の命(みこと)以ちて、問ひに使はせり。汝(いまし)が宇志波祁­流(うしはける)葦原中国は、我が御子の知らす国ぞと言依(ことよ)さし賜ひき。」
天照大御神・高木神之命以、問使之。汝之宇志波祁流葦原中国者、 我御子. 之所知国、言依賜。」

 

「ここをもちて曰ししままに日子番能邇邇芸命に詔を科して「この豊葦原水穂国は 、汝の知らさむ国ぞと言依(ことよ)さしたまう。故、命の隨(まにま)に天下るべし。­」
「明命次日子番能邇邇藝命 二柱也 是以 隨白之科詔日子番能邇邇藝命「此豊葦原水穗國者汝將知國言依賜故隨命以可天降」

 

 

 『万葉集』巻十八 大伴家持


「葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らし召しける 皇祖の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る みつき宝は 数へえず 尽くしもかねつ 」

 

 

北畠親房神皇正統記』巻一


「大日本は神国なり。天祖はじめて 基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。 我国のみ此事 あり。異朝には 其たぐひなし。此故に神国と云ふなり。」

「伏犠氏の後、天子の氏姓をかへたる事三十六。乱のはなはだしさ、云にたらざる者哉。­唯 我国のみ天地ひらけし初より今の世の今日に至まで、日嗣をうけ給ことよこしまならず。­一種姓の中におきてもおのづから傍より伝へ給しすら猶正にかへる道ありてぞたもちまし­<ける」

 

 

『宋史』日本条


「上聞、其國王一姓傳繼、臣下皆世官、因歎息、謂宰相曰「此島夷耳、乃世祚遐久、其臣­亦繼襲不絶。此盖古之道也。中國自唐季之亂、寓縣分裂、梁・周五代、享歴尤促、大臣世­冑、鮮能嗣續。」
「太宗は、その国王は一つの姓で継承され、臣下もみな官職を世襲にしていることを聞き­、嘆息して宰相にいうには、「これらは島夷にすぎない。それなのに代々の位は遥かに久­しく、その臣もまた継襲して絶えない。これは思うに、古の道である。中国は、唐末の乱­から中国が分裂し、梁・周の五代は歴をうけること最も短く、大臣の世家はよく嗣ぎ続け­ることが少なかった。」

 

 

『ドン・ロドリゴ日本見聞録』


「彼らのある種の伝承・記録から知られるのは...神武天皇という名の最初の国王が君­主制を始め、統治をおこないだしたのは、主キリスト生誕に先立つこと六六三年も前、ロ­ーマ創建から八九年後だということである。日本がまことにユニークな点は、ほぼ二二六­〇年のあいだ、同じ王家の血統を引く者一〇八世代にもわたってあとを継いできたことで­ある。」

 

 

 『ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロン 日本からの報告』


「彼らのもろもろの文書やきわめて古い書物は、最初の日本国王である神武天皇がその治­世を始めたのは二二七〇年以上も昔だと明言している。」

 

 

『エンゲルベルト・ケンペル 日本誌』

 

「“宗教的世襲皇帝”の王朝は、キリスト以前の六六〇年がその始まりである。…この年からキリスト紀元一六九三年にいたるあいだ、すべて同じ一族に属する一一四人の皇帝たちがあいついで日本の帝位についた。彼らは、日本人の国のもっとも神聖な創建者である『テンショウダイシン』(天照大神、あまてらすおおみかみ)の一族の最古の分枝であり、彼の最初に生まれた皇子の直系である等々のことを、きわめて誇りに思っている。」

 

 

山鹿素行『中朝事実』

 

「ひとたび打ち立てられた皇統は、かぎりない世代にわたって、変わることなく継承されるのである。……天地創造の時代から最初の人皇登場までにおよそ二〇〇万年が経ち、最初の人皇から今日までに二三〇〇年が経ったにもかかわらず……皇統は一度も変わらなかった。」

 

 

福澤諭吉『帝室論』


「我帝室の一系万世にして、今日の人民が之に依て以て社会の安寧を維持する所以のもの­は、明に之を了解して疑わざるものなり。」

 

 

福澤諭吉文明論之概略

 

「わが国の皇統は国体とともに連綿として外国に比類なし。……君[と]国[との]並立の国体といいて可なり。しかりといえども……これを墨守してしりぞくは、これを活用して進むにしかず。……君国並立の貴き由縁は、古来わが国に固有なるがゆえに貴きにあらず。これを維持してわが政権をたもち、わが文明を進むべきがゆえに貴きなり。」

 

f:id:kaiunmanzoku:20190504100129j:plain

令和元年5月4日 天皇陛下即位を祝う一般参賀 NHKニュース画像

 

古事記 仁徳天皇 聖帝の御代

古事記本文

於是天皇 登高山見四方之國 詔之 於國中烟不發 國皆貧窮 故自今至三年 悉除人民之課役 是以大殿破壞 悉雖雨漏 都勿修理 以f:id:kaiunmanzoku:20190504163857p:plain受其漏雨 遷避于不漏處 後見國中於國滿烟 故爲人民富 今科課役 是以百姓之 不苦役使 故其御世謂聖帝世

 

読み下し

ここにおいて天皇(すめらみこと)、高き山に登り四方(よも)の國を見て詔りたまわく、「國の中に烟(けぶり)發(た)たず、國、皆、貧窮(まづ)し。故、今より三年(みとせ)に至るまで、悉く人民(おおみたから)の課役(えつき)を除(ゆる)せ。」と。 

是を以ちて大殿(おおとの)破れ壞(こぼち)て、悉く雨漏ると雖ども 都(かつ)て修理(つくろ)うこと勿(な)し。 f:id:kaiunmanzoku:20190504163857p:plain(はこ)を以ちて其の漏る雨を受け、漏らぬ處に遷(うつ)り避(さ)りたまふ。
 後に國の中を見るに國に烟(けぶり)滿ちき。 故、人民(おおみたから)富めりと爲(おもほし)て、今、課役(えつき)を科(おお)せたまふ。 

是を以ちて百姓(おおみたから)え、役使(えだち)に苦しまず。 故、其の御世を(たた)えて聖帝(ひじりのみかど)の世と謂う。

 

現代語訳

あるとき天皇は高い山にお登りになって、国の四方をご覧になり、「国の中のどこにも炊煙が登っていないのは、国民がみな貧しく窮しているからである。したがって、今から三年の間、わが民の労役と租税を全て免除せよ。」と仰せになられた。

このために、皇居は破れ壊れて、どこもかしこも雨漏りがする有様でしたが それでもその3年の間は修繕をなされない。木の箱を置いて漏る雨を受けたり、自ら雨漏りのないところに身を動かして雨水を避けていらっしゃった。

3年の後、国の中を見てみると国中に炊煙が立ち登っていた。そこで、我が民は充分豊かになった、今から労役と租税を命じると仰せになった。

こうして、全ての民子孫繁栄し、労務や税に苦しむことが無くなった。そういうわけで全ての民が、この天皇の御代を称えて聖帝の御代だと言うのである。

 

画像はWikipediaから

f:id:kaiunmanzoku:20190504174530j:plain

Detail of Emperor Nintoku - "Azuma Nishiki Chuya Kurabe" (Edo Embroidery Pictures, Comparison of Day and Night). Woodblock print by Toyohara Chikanobu (1838-1912) and published by Kobayashi Tetsujiro, depicting Emperor Nintoku (313 - 399 A.D) observing his people.

 

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.