kaiunmanzoku's bold audible sighs

Be love Be peace Be harmony Be compassion Be joy

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.

日本の広大なEEZの権益を守る武装警察業務の整備

主張:「海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律」を漁業資源の二国間や多国間の条約に基づく取締りにも適用できるように改変し、あるいは別に法律を作り、海自の護衛艦で警察業務や漁業取締が可能にすべきだ。

 

目的:日本の広大なEEZの権益を守る武装警察業務の整備

 

必要性:先月、日本の排他的経済水域EEZ)内で不法操業をしていた北朝鮮漁船が取り締まろうとした水産庁の漁業取締船を逆に追跡し、銃口を向けたという事件がありました。これが極めて深刻な事件だということは、銃口を向けた時点で日本側が射撃しても充分正当防衛が成り立つ事例だと言えるということです。

これは本来なら抗議だけでは済まない。国民の生命財産が脅かされたのです。説明を求め、犯人の引き渡しを要求し、応じなければ今後EEZに近づく北の船は害意有りとして警告なしで撃沈しても良いくらいの案件です。国辱と言ってよいでしょう。

 

近接国の対応から見て相応であること:チャイナが「漁政」→「海警」と組織替えしたのに倣って、自衛隊を軍に格上げし、海上保安庁を沿岸防衛軍として4軍体制にし、そして水産庁の漁業取締船に武装警察業務ができるようにしないと日本の広大な海洋の権益はとても守りきれないとおもわれる。

 

経過的対応としての案:米国や太平洋諸国とは、シップライダーズ水産庁の取締船がパラオに出ている例があり、このような現状の制度を拡大することも可能だ。水産庁、外務省、法務省の共同案件と聞いている。

 

米国の例:Memorandum of Agreement between the Department of Homeland Security for Department of Defencse support to the United States Coast Guard for Martime Homeland Securityによって沿岸警備隊と海軍の協力が出来ている。海軍の船には必ず沿岸警備隊かNOAAの法執行官が乗船するそうだ。

http://blog.canpan.info/yashinomi/img/MOA.DOD-DHS.MHLS.pdf

 

High Sea Boarding & Inspectionについての資料

High Seas Boarding & Inspection | WCPFC

http://blog.canpan.info/yashinomi/img/USA-WCPFC-HSBI-Request-Vessel-Picutures-Enclosure-1-5.pdf

「民主的である」「民主化」とは? 

民主的であるとか、民主化とは、国民の厳粛な信託によって政治が進められることであって、国民主権の具体化の事やその進め方の事です。特に政策実現のために国家権力が選挙で選ばれた国民の代表によって行使される(行政権の行使)ということ、それが民主主義における国民主権の具体化であり進め方です。


国民主権下での国家権力は選挙で選ばれた国民の代表者が国民の福利のために行使し、その福利は国民がこれを享受します。つまり主権者たる国民の意思が国家権力の主体なのです。


その基本が憲法前文冒頭部に謳われています。

 

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」

 

日本国憲法における「国家権力」は「国民の意思」として行使されるのですから、「国家権力」を選挙以外の他の手段(暴力やその他の方法)で「打倒」しようとするのは、「民主的」とは程遠いこととなります。

なお、デモは国民に認められた権利でであり、デモにおいて「〇〇政権打倒」と叫んでも表現の自由の範囲で意見の表明は尊重されますが、現実の「打倒手段」は選挙だけです。日本国憲法に、そう「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」書いてあるのです。

 

 

余談:司法の民主化とは、司法権に関して国民の関与を強めようという思想です。従来の最高裁判所判事の信任を問う最高裁判所裁判官国民審査や、検事が裁判にかけなかったことのよしあしを審査する検察審査会制度に付け加え、日本においても裁判員制度で国民の司法参加が始まったのが分かりやすい例です。米国では郡の検察官や州裁判所の裁判官を選挙で選びますが、日本でも将来今にも増して司法への国民参加が増えていくと思われます。同時に義務教育段階での教育も必要とされることでしょう。

「民主」とはなにか?

「主権が国民にあることを『民主』という」という定義では「民主」は共産主義者の言う人民民主主義と区別がつかない。


しかし、日本国憲法下での「民主」は明確だ。それは前文の冒頭から始まる。

 

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」


この一文が全てである。国民の信託を受けた政権を暴力や謀略(暗殺含む)で倒そうなどと言うのは「民主」とは程遠いということだ。

世論(せろん)と読む。 (よろん)は誤り。NHKが犯人?

過去のFBへの投稿を修正してブログに上げて置く。

www.facebook.com

 

世論せろん)と読む。
よろん)は誤りだが、40年ほど前からNHKが「世論」を(よろん)と呼び始めたと思う。けしからんことだ。

今からでも良い、NHKには正しい国語を守って欲しいと思っている。

 

世界、世間、永世、隔世、絶世・・・これらの「世」はすべて()(せい)と読む。
あの世、この世、世迷いごと、世の中、これらは()と読む。


の違いだ。

 

ちなみに、(よろん)は「輿論」と書く。


「輿」(こし)は棒の上に人が乗る台を載せた乗り物のこと。のせる。かつぐ。
輿に載った偉い人が、輿を担ぐ人、かごかきに世情の動向を聞いて参考にしたことが輿論語源*になっている。今では「おおぜい」の意味に転じている。

輿望(よぼう)はというと、輿に乗った偉い人が下々の人々から寄せられた信頼・期待のことだった。「輿望を担う」という風に使うが、今ではほぼ「衆望」と同じ意味。

さて、「輿望を担うような、輿に載った偉い人が、輿を担ぐ人、かごかきに世情の動向を聞いて参考にしたことが輿論語源*になっている」ことで、「輿論」という言葉が盛んに用いられた頃(主に戦前)は、影響力のある政治家や知識人が発する意見の意味合いがあった。

一方で(主に戦前)は、「世論」とは、世間一般で言われていること、世間の風潮や雰囲気という意味合いであったので、もとは「輿論」(よろん)と「世論」(せろん)とは一線を隔する語句であったと言える。

 

以上は、40年ちょっと前、私が高校時代、教師に教わったことだ。

 

*追記:いしゐのぞむ氏より儒者服虔の訓詁に『輿は衆なり』とある」とご指摘があったため、上記の緑色部分の説明にある語源については訂正する。

ご指摘に基づき調べたところ、もともと「輿」には「衆」、つまり「多い」「多くの民」「多くの家来」の意味が備わっているようです。近世明代の著作『類書纂要』に「輿論とは、輿は衆なり、衆人の議論を謂うなり」と記されるはるか前に、漢以前の古書に記される古代語の「意味解釈」の研究である「訓詁」で『春秋左氏伝』を読み解いた服虔が『輿は衆なり』としていた。意味解釈を語源(漢字の成り立ち)に肉薄して行うというのが訓詁学ですので、上に書いた「輿」の語源についての主張は、分が悪すぎます。

ですので、戦前に「輿論(よろん)」を「知識人の意見」として、「世論(せろん)」と分けて使っていた事実を説明する面白い「話」、一説としておきます。

読み方については、世論は(せろん)、輿論は(よろん)が正しいことに変わりはありません。(2017年8月6日追記)

 

f:id:kaiunmanzoku:20170803231755j:plain

画像は「コトバンク」から

 

 

 

#中華従北プロパガンダ の意図と特徴とその対策について

慰安婦、南京、軍艦島、その他もろもろの中華従北プロパガンダについて、本質を知ったうえで反撃すべきだ。

 

《中華従北プロパガンダ意図特徴とその対策

以下、中華従北プロパガンダ意図特徴を相手の立場になって記してみる。

わが方の反撃のための対策、対抗手段は相手の攻撃に対応するものでなければならないだろう。

 

①共感と憐憫を得て同情を勝ち取れ。
階級の敵に相応しい邪悪と冷酷さを描き、国際的な同情と援助を勝ち取る。その組織と手段が中華従北プロパガンダの最大の特徴だ。

憐憫と同情の対象でないことを明確にし、邪悪と冷酷の語句はプロパガンダ発信側にあると主張せよ!

 

②社会への影響力を勝ち取れ。
政策や民意に影響を与える種々の機関や団体組織を取り込むこと、特に客観性や科学性に信頼がおけると信じられている学者や教育関係者、テレビや新聞を用いなければならない。

映画には映画、アニメにはアニメ、学者には学者、団体には団体、政府には政府で対抗せよ! いずれの説明や宣伝も影響力の質において相手方を凌駕する物が必要だ。

 

③客観性を偽装せよ。
共産党が表に出ることなく、第三者の筆と口を借りて事実と意見を述べさせること。できれば事実報道と意見報道を別人に語らせること、尚且つ事実と、敵の邪悪と冷酷さに対する非難と悲劇に対する同情を共感をもって伝えることを首尾一貫して行うこと。

国際機関や人権団体、国際ジャーナリストを雇ってでも客観的な真実性と信頼性を確保して対抗すべきだ。

 

日本側の対抗手段は相手の攻撃に個別に対応するほかに#知る自由 #学問の自由 を前面に押し出し、その自由が中華従北の国々では確保されていないことを世界にアピールすることが重要だ。

 

過去の私の本件に関する分析をのべたブログ。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

f:id:kaiunmanzoku:20170802201954j:plain

 

ヤマウト(山の倭族) と クマウト(海の倭族)

委奴を「woto」「をと」「うと」と読んでいたという私の説については先に述べた。

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

上のブログは、次のブログに引き継がれて私の脳内妄想をさらに掻き立てた。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

その続きが、本日のブログだ。「ヤマト」と「クマソ」が兄弟(同族)であるということをいまに伝えている「海佐知と山佐知」の兄弟の物語の事だ。

海幸彦と山幸彦の対立は、海の倭度と山の倭度、つまりわたつみ(東シナ海)を渡って来た同族の倭族の間での戦いであった。その結果として、山の倭族(委奴)が勝利を収め、海の倭族(委奴)が敗北し隅(球磨)に追いやられた。

 

山の委奴は、後の神武天皇に繋がっていく。

 

つまり、

ヤマウト(山委奴)は、ヤマト(邪馬台)(大和)となり、

隅(球磨)に追いやられたクマウト(球磨委奴)が、クマソ(熊襲)となった

 のではなかろうか。

 

参考:

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

なお、私には謬説を拡散し通説を批判する意図はない。「門外漢が考えるとこうなる」という観点から新しい視点を提供することが主目的だ。

 

【当ページの画像】

f:id:kaiunmanzoku:20170801124812p:plain

『中山忠能日記』「正心誠意」 “明治天皇すり替え説”に根拠なし(追記) お夏の方

先のブログで不明だった「高松公子の候名(さぶらいな)は『お夏』」は、神戸大学の学位論文の中に見つけたので、ここに追記しておく。

論文名: 「近世期における宮廷記録とその周辺ー『御湯殿上日記』を中心にして」

著 者: 北上真生 氏  

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/thesis/d1/D1004768.pdf

この論文の 17頁目(21/149page)に

「准后様よりお八百御れう人御使にて春の御祝き申し入られ候」

と皇女和宮様やのちの明治天皇である祐宮様の名とともに記されているのを発見した。

f:id:kaiunmanzoku:20170730211641p:plain

念のため拡大

f:id:kaiunmanzoku:20170730211857p:plain

 

『長橋局日記』の安政六(1859)年正月一日の条ということだ。なお、『御湯殿上日記』は「おゆどののうえのにっき」と読む。

 

一次資料ではありませんが、既に「『お夏』が高松公子の候名(さぶらいな)」であることは学術上確認されている事がわかります。

『中山忠能日記』「正心誠意」 “明治天皇すり替え説”に根拠なし

f:id:kaiunmanzoku:20170730112656p:plain

画像は『中山忠能日記』として知られる「正心誠意」の慶應三(1867)年七月十九日の部分を国立国会図書館デジタルコレクションからスクリーンショットしたものだ。

現物はここで見られる:

国立国会図書館デジタルコレクション - 中山忠能日記 : 原題・正心誠意. 第3

 

巷間で話題の “明治天皇すり替え説” が、このページに記載の次の文言

一、寄兵隊ノ
天皇来正月上・・・

 を「奇兵隊天皇」と続けて読むことを「根拠」にしているらしいのだ。

結論から言えば、この説は段落を無視し、「父帝の諒闇」という文言を無視する荒唐無稽な説である。

 

とは言え、まず読み下してから現代文にして意味を考え、調査や検証をしてみよう。

 

【読み下し】

況やご冠禮の故を以て父帝の諒闇を縮めらるるの條、甚だ甚だ然らざるか。 
なほ熟慮ありて答へを示すべし。卿(公卿か)甚だ不服の氣なり。井蛙の徒、大道を辨へず、悲しいかな。正三(位)また光仁の例(を)然るべく稱贊の由なり。

(段落)
一 攝政に拜面す。お八百の姪の事、申し入れ置く一。
一 去る十 日、加州(加賀)より異人上陸す。
一 奇兵隊の。

(段落)

 天皇、来たる正月上中旬の内に御元服し、御治を定めるの事。

 

【現代語訳】

成人式のために父帝(孝明天皇)の葬儀日程を縮めようということすら、承知していただけないのだろうか、もう一度よく考えて答えるべきものであるというのに。公家たちは承服できないようだ。井の中の蛙と一緒で、大道を弁えないことは悲しいことです。正三位(中御門経之?)の方もまた光仁帝の先例を称賛し、そのようにすべきだとこだわっている有様だ。

(段落)
一 摂政二条斉敬)にお会いして、お八百の姪の事を申し入れ置く(事)
一 去る十何日かに加賀藩に異人が上陸したこと
一 奇兵隊の(事)

(段落)
中山忠能の娘慶子の子で忠能の孫にあたる明治*天皇が来る正月の上中旬の内に元服なされて、世の中を定める事。

 

【日記を見てわかること】

どうやら、中山卿以外のお公家さんは、前例もあって父親の喪に服する期間を短くすることを「孝道に背く」として総じて反対の立場であるということに、中山卿は「なんと世間知らずの公家たちであることか」と自身の日記で愚痴をこぼしていると分かる。

明治天皇の父帝は、孝明天皇だ。

父帝の諒闇に服する期間を何とか短縮したいというのが最初の段落の主題だ。

段落の後は、唐突に摂政」と「お八百」が登場する。摂政は少年天皇明治天皇摂政二条斉敬の事だ。その摂政に会ってお八百と称する人の姪の事で報告することがあるらしいと分かる。段落前とは異なる話だ。

そのお八百についても、ついでに調べてみた。当時の禁裏の女官には公家の娘しか入れないということと、考明天皇行幸のシーンを扱った海音寺潮五郎の小説(小説名は調査中)の中に次の下りがある。

+++++

御親征の命が出た後、天皇後宮の女官方に、

「この度の行幸は五、六年は帰って来られないことになるかも知れないから、皇親王(後の明治天皇)をよくお育護して、天運長久を祈るように。皆よく心得ておけ」

と仰せられたところ、

堂上の高松家から入ってお局となっているお八百の方という方が、天皇に申しあげられた。

「天下の人が禁裏を尊崇し奉って、さして高いとも堅牢とも申せないただ一重のお築地を越えて犯し入ることがないのは、三種の神器があらせられるからです。

今の世は日増しに不安になっていますのに、その神器が陛下とともに御遷幸遊ばすのに、皇親王を御安泰にお育て申す道は万々ございません。

もし、久しくこの行幸をなし給うならば、恐れながら皇親王に三種の神器をお伝えになって(皇位を譲り給うての意になる)、即位の礼をなし給うべきでございます」

と押し返し、押し返し申し上げられた。

+++++

それらをもとに、禁裏の後宮に同じ呼び名、候名(さぶらいな)は無いはずなので、堂上の高松家から入ってお局となっているお八百の方を調べてみた。

高松家、千種家〔羽林家〕-公卿類別譜(公家の歴史) を参照すると宮中の女房の官位をいただいている2人の女性がいた。

 

f:id:kaiunmanzoku:20170730144749p:plain

 

 2人の候補者のうち、 公子 権典侍。称宣旨局・押小路 と記された、この女性が「局」と称している事が分かった。候名(さぶらいな)との照合は出来なかった(注)が、その姪の話で摂政の耳に入れなければならない話があったのであろう。詳細はわからない。

 

 次の文は、加賀藩に上陸した異人の事だ。これも調べてみると、慶応三年 (1867) 七月、 石川県七尾港に三隻の英国船が到来していることが分かった。

前段落、一つ前の文とも全く関係がなく別件を述べている。

 

 その次の文が、「奇兵隊」だ。これも前3項目(①喪に服す期間の短縮、②摂政とお八百の姪、③加賀藩上陸の英国人)と全く関連の無い事柄を記している。 

 

そして、段落を空けて 少年天皇である明治天皇元服なさる事と続く。

 

①喪に服す期間の短縮、(段落)=以下箇条書き=摂政とお八百の姪、③加賀藩上陸の英国人 、④奇兵隊(段落)明治天皇元服 中山卿の意識が 句読点を打っていることは明白だろう。

 

奇兵隊天皇」説は、段落を無視し、「父帝の諒闇」という文言を無視する荒唐無稽な説であるということだ。

 

 

上は下記のFBでの 長崎純心大学准教授の石井望氏と Yoshiie Minamoto 氏 と私とのやり取りを基に分かったことをまとめてみたものだ。

 

www.facebook.com

 

(注)お夏の方は「高松公子」だった。

『中山忠能日記』「正心誠意」 “明治天皇すり替え説”に根拠なし(追記) お夏の方 - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

*中山忠能の娘慶子の子で忠能の孫にあたる明治)という部分を2017年8月11日に付け加えた。幕末維新に詳しくない方々がこの謬説に惑わされている可能性を考慮して、周知の事実と思われることも記述する必要があると考えた。

Essay /  教条主義の集団は必ず過激化する。共産主義、中華思想、小中華思想、選民思想、カルト(その2)

 

 

彼らの社会で教条と現状とのズレを解消するために行われる監視、検閲、取締りが、どんなに厳しく形式上は上手くいこうとも、彼らの強迫観念自体は決して解消することはない。人間の自由を求める欲求は取締りをする彼ら自身の中にもあるのだから。

 

つまり、取り締まられる「現状」こそが、人間らしさや他者への共感の拠り所になっている部分であり、それらに根差した事象が地表に出ている部分であるからだ。取り締まる側の精神内面の葛藤の類似物であり、そのものなのだ。いわば、取り締まる側は「取り締まる行為」によって、自己の不安や葛藤を鏡に映すがごとく、強迫観念を強化していることになる。

 

教条が支配する社会で、監視、検閲、取締りが常にエスカレートし、ついには暴力による弾圧に変化するのは、この自己の内面の不安や葛藤を打ち消さんが為である。

 

そういうわけで、教条主義の集団は必ず過激化する。

 

上記は、下の続きとして読んでもらっても良い。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

孫崎亨氏の「検証 尖閣問題」を検証するページの紹介 尖閣反駁マニュアル百題

過去のFBへの投稿から、尖閣反駁マニュアルの一部を紹介したものをブログにも挙げて置く。

www.facebook.com

 

#尖閣反駁マニュアル百題

孫崎亨氏の「検証 尖閣問題」を検証するページの紹介

この画像は『尖閣反駁マニュアル百題』集広舎 いしゐのぞむ著
の 第二章現代の論説に駁す をスキャンしたものだ。

 

f:id:kaiunmanzoku:20170728205917j:plain

 

本著は、本著出版までに世に出た尖閣諸島に関する謬説を網羅して、それを逐一完膚なきまで根拠を示した上で論破している。誰もが、「尖閣諸島がその歴史を通して琉球文化圏であり、日本の固有の領土である」ことが確信できること間違いない。その例示として画像をご覧いただきたい。

近所の本屋にない場合はこちらで購入可能だ。

 Amazon CAPTCHA

 

友だちー

孫崎享 | Facebook; 氏からは、平成29(2017)年7月29日現在、まだ無音だ。

元外務省の情報局長や元防衛大学校の公共政策科長の肩書を持つ人だけに、この本をご購入のうえ熟読していただきたいと思います。

 

また、政治家や外交官の皆さんには「この本を読まずして尖閣を語ってはならない」と強く警告しておきたい。尖閣史の何たるかを語る唯一の本だからである。

 

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.