琉球 沖縄 / Ryukyu
琉球中山王両使者登城行列 Parade of Ryukyu King's Delegation to Edo Castle ... The Parade of the Ryukyu King's Delegation to Edo Castle in 1710. The delegation was for giving Ryukyu King's respect to the new Tycoon of Tokugawa Shogunate…
『中山世鑑』に鎮西八郎源為朝が琉球王の祖先だと書かれるはるか以前に、古事記の海幸山幸の神話の世界が沖縄にあった。つまり、火遠理命のような九州からの貴人の行き来や和邇のような交易船の往来があった。 だからこそ、中世の九州からの落ち武者、あるい…
#沖縄 #StopChinesePropaganda #StopChineseDeception Family Crest of Ryukyu Kingdom(琉球王家) is the same Symbol of Usa Jingu(宇佐八幡宮 Usa Hachimangu), a Shinto shrine in the city of Usa in Ōita Prefecture. However there is / were vast nu…
【尖閣諸島を示すチャイナ名は存在しなかった】 「釣魚島」とは、実は日本名である。 世の史料に尖閣諸島を示すチャイナ名は存在しない。歴史上はじめて資料に登場する「釣魚嶼」も琉球国官吏が明国使節団に指し示して教えた島の名前(日本名)である。 "Tia…
和邇とは船だ(船は和邇である)と、因幡の白兎の物語*に謎々の形ではっきり書いてある。 和邇が列をなして伏す場面(和邇列伏)がそれである。以下に原文と読み下しを記す*1 ++++++++ 古事記引用 ++++++++ 菟答言 僕在淤岐嶋 雖欲度此地 無度因 故欺海和邇【…
古事記本文: 即悉召集和邇魚*1問曰 今天津日高之御子 虚空津日高爲將出幸上國 誰者幾日送奉而 覆奏 故各隨己身之尋長限日而白之中 一尋和邇白 僕者一日送即還來 故爾告下其一尋和邇 然者汝送奉 若渡海中時 無令惶畏 即載其和邇之頚送出 故如期一日之内送奉…
天照大御神を祀る伊勢神宮は「じんぐう」と呼ばれ、元々は若狭(元伊勢)で祀られ伊勢に移って来た。神功(じんぐう)皇后との一致点は多い。神功皇后は、宇佐神宮で八幡神として祀られる応神天皇の母である。また、神功皇后は聖母(しょうも)とも呼ばれ、…
古事記本文: 於是火袁理命思其初事而 大一歎 故豐玉毘賣命聞其歎以 白其父言 三年雖住 恆無歎 今夜爲大一歎 若有何由 故其父大神問其聟夫曰 今旦聞我女之語云三年雖坐 恆無歎 今夜爲大歎 若有由哉 亦到此間之由奈何 爾語下其大神備如其兄罰失鉤之状 是以海…
李鼎元の漢詩『馬齒島歌』に 「三十六島此門戸、絶類竿塘石虎五」 三十六島、此れぞ門戸なり、はなはだ類す竿塘と石虎五と (読み下し文はいしゐ氏から) 慶良間諸島と久米島という島々「三十六島」は、琉球の門戸である。 清国の門戸である五虎門、馬祖列島…
鹿児島県にある鹿児島神宮として知られる大隅正八幡宮の「大隅正八幡宮縁起」によると、 震旦国(中国)の陳大王の娘・大比留女(おおひるめ)は、七歳のとき夢で朝日を受けて身籠もり、王子を生んだ。 王たちはこれを怪しみ、母子を空船(うつほぶね)に乗…
下は、農業産業振興機構からのリンク画像 サトウキビ 甘蔗(かんしゃ、かんしょ)の歴史を調べてみた*。 754年 中国(当時の唐)の僧、鑑真が日本に渡る際、砂糖を持参したといわれる。 756年正倉院に保存される大仏に献上した薬の目録「種々薬帖」に、 「蔗…
先日(2015-10-12)、「kaiunmanzokuのざれごと、たわごと、綺麗事」にこう書いた。 掖玖は、屋久島ではなく、後の琉球にあたるのではないか - kaiunmanzokuのざれごと、たわごと、綺麗事 これが、その戯言だ。 2015-10-12 掖玖は、屋久島ではなく、後の琉球…
【尖閣切手発行顛末】幻の尖閣切手発行顛末~海洋シリーズ第三集「海と海鳥と島」~ 國吉真古氏(略)郵券課長浜元はあくまで強気だった。尖閣をテーマとした切手発行を、なぜ日本政府は嫌がるのか、長い目で見るならば得策ではないか。日本政府は我関せず、…
古事記本文: 故火照命者爲海佐知毘古【此四字以音 下效此】而 取鰭廣物 鰭狹物 火遠理命者 爲山佐知毘古而 取毛麁物 毛柔物 爾火遠理命謂其兄火照命 各相易佐知欲用 三度雖乞不許 然遂纔得相易 爾火遠理命以海佐知釣魚 都不得一魚 亦其鉤失海 於是其兄火照…
事記本文: 即取出而清洗 奉火遠理命之時 其綿津見大神 誨曰之 以此鉤給其兄時 言状者 此鉤者 淤煩鉤 須須鉤 貧鉤 宇流鉤云而 於後手賜【淤煩及須須 亦宇流六字以音】 然而其兄作高田者 汝命營下田 其兄作下田者 汝命營高田 爲然者 吾掌水故 三年之間必其兄…
「和邇魚」と書いて、 wojinah 「をきなは(沖縄)」と読む。 わたつみの国は、和邇魚(和邇と呼ばれる高速船の漕ぎ手の部族、「魚」は部族を表す)がいる海洋国家で一尋和邇(佐比持神=稲冰命)が帰った国。これは、「おきなわ」だ。 そう、古事記に「おき…
陳侃の『使琉球録』にみる沖縄方言の紹介 沖縄歴史情報研究会 http://www.okinawa.oiu.ac.jp/ で陳侃『使琉球録』が公開されている。その中に『夷語』として、沖縄方言にチャイナ語の読みが付されて紹介されている章がある。 興味を持ったので抜粋する。 詳…
掲題の事実については、既にこの私のブログで述べているつもりだったが、明記していなかったので、題字に明記した。 根拠は、下記のブログとそこで参照されていることをご覧いただきたい。 kaiunmanzoku.hatenablog.com kaiunmanzoku.hatenablog.com kaiunma…
高千穂(タカチホ)に降り立ったニニギノミコトは、ある時、今の鹿児島県のどこかの岬である笠沙の岬(カササノミサキ)で、それはとても美しい女性に出会いました。その女性は木花佐久夜比売(コノハナサクヤヒメ)と言いました。
北谷町から東北系土器が見つかりました。 北谷町公式ホームページ 日本を起源とするこの時代の土器は、 これまで鹿児島県の奄美大島や徳之島などで見つかっていますが、沖縄で見つかるのは初めて 縄文時代晩期(約2500年前)の東日本の大洞系(おおほらけい…
南北朝から室町幕府の時代には、日本国内で対立する勢力が大陸貿易を巡る主導権争いをしていて、琉球王国もその争いの渦中に巻き込まれ、室町幕府の権力争いの途中で島津家の下に従属せざるを得なくなった。 【嘉吉の附庸】 嘉吉元(1441)年三月 島津忠国は五…
古事記本文: 於是其弟泣患居海邊之時 鹽椎神來問曰 何虚空津日高之泣患所由 答言 我與兄易鉤而 失其鉤 是乞其鉤故 雖償多鉤不受 云猶欲得其本鉤 故泣患之 爾鹽椎神云我爲汝命作善議 即造无間勝間之小船 載其船以敎曰 我押流其船者 差暫往 將有味御路 乃乘其…
【沖縄とヤコウガイ&日本本土と東ユーラシア江南地方との交流の歴史】 日本書紀に、「多禰の人」、「掖玖の人」、「阿麻弥の人」の表現が一つ所に同時に出てくるのは天武天皇の章だ。 日本書紀を通じると 「掖玖」屋久島・推古24 (616)、 「多禰」種子島…
鹿児島県にある鹿児島神宮として知られる大隅正八幡宮の「大隅正八幡宮縁起」によると、 震旦国(中国)の陳大王の娘・大比留女(おおひるめ)は、七歳のとき夢で朝日を受けて身籠もり、王子を生んだ。 王たちはこれを怪しみ、母子を空船(うつほぶね)に乗…
Kiepert's Hand-Atlas として知られるドイツの地図帳の初版本(1860年出版)のアジア図(1856年調製)を紹介する。 本地図は、Kiepert's Hand-Atlas 1860 の30ページに Oost-Azië / East Asia (1856) として掲載されている地図である。 http://www.atlassen.…
大昔の九州で 山を生活の場にしていたグループと 浜辺を生活の場にしていたグループがいた。 もともと一つの部族であったが、すでに米を主食とし農耕を行っていて何世代も経ち、部族の人口が増えていくにしたがって、部族はいくつかの集団に別れていった。 …
【帰国】 わたつみの国で暮らし始めて3年の月日が経ちました。 山幸彦はある晩大きなため息をつきます。 豊玉姫がそれを見て尋ねました。「もしかして、あなたは家に帰りたいのではありませんか」 山幸彦も自分の気持ちを語りました。豊玉姫は父である綿津…
古事記や日本書紀でおなじみの わたつみ 海神 として祀られている 豊玉彦 の「豊」は「礼」の旧字体が「禮」と書くことでも知られているように、Rei の音を持つ。 「玉」は、「球」で、Kyu の音を持つ。古代の螺鈿細工に、そのきらきらと美しく光を反射する…
下記は http://tw.myblog.yahoo.com/hoon-ting/article?mid=30247 及び http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130121-OYT1T00687.htm に記載されていた記事で、FBで過去(2013年3月13日)に紹介したものです。双方ともリンクが切れているようなのでブロ…
【中国の夢:中華民族の偉大なる復興とは】 有名な「中華疆界變遷圖」です。 標題は検索結果に反映しやすいように「中華疆界変遷図」としてあります。 1939年発行の中華民国時代の中等学校用地図は、彼ら(中華民族を称する支配階級の人々)が華夷秩序をどう…