kaiunmanzoku's bold audible sighs

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歴史 History

第0列島線 福州を出ると間もなく清国の領域外であった 李鼎元 馬齒島歌

李鼎元の漢詩『馬齒島歌』に 「三十六島此門戸、絶類竿塘石虎五」 三十六島、此れぞ門戸なり、はなはだ類す竿塘と石虎五と (読み下し文はいしゐ氏から) 慶良間諸島と久米島という島々「三十六島」は、琉球の門戸である。 清国の門戸である五虎門、馬祖列島…

中国とは文明が栄え仏の教えが説かれている国。中華人民共和国や中華民国のことではない。

【中国とは元々はインド北部地域の事】 正真正銘の中國から 後漢に伝わった「仏説 四十二章経」 に「中國」が出現する。 仏説四十二章経 は、インドから一度さらに西域に伝わった仏教が安息国(イラン)や大月氏経由で後漢に伝わって、元(もと)の梵語から…

南蛮寺興廃記 即心即仏の奥義

「南蛮寺興廃記」 天正五年(1577年)のことだとされる。 キリスト教側は南蛮寺の学僧フルコム(ルイス・フロイス?)、その他のバテレン、イルマン達である。 仏教側は南禅寺の印長老(268世、梅印元冲?)の他、浄華院の理道和尚、永観堂の深海律師…

第0列島線 「籌海圖編」上半分の島嶼は全て明の海防能力の外側(海防管轄外)だったことを表す

第一列島線を脅かすことに余念のないチャイナだが、彼らが歴史戦を挑めば第0列島線の歴史的文化的意味を問わざるを得なくなる。 古来、東ユーラシアにできた王朝にとって「海」は「界」であった。 陸上勢力である彼らは長く「洋」を知らず、陸の果てをもって…

第0列島線が歴代チャイナ政権の海防最前線だった(明の領域は海岸線まで)

古来、東ユーラシアにできた王朝にとって「海」は「界」であった。だからこそ、歴代王朝は例外なく海岸線を国境とし、沿岸から数十キロ離れた島嶼ですらその権力下に入れることは稀であった。 「香港は中国の一部ではない」と主張する香港独立派には立派な歴…

天寿国繍帳銘文から知る 法隆寺金堂釈迦三尊像の光背銘文は、太子、太子の母、膳夫人の「天寿国」における称号を記した

その光背の銘文に推古天皇の名が記載されていない事をもって、法隆寺金堂釈迦三尊像の光背の銘文に聖徳太子はいなかったとする説には承服しがたい。 奈良県斑鳩町の中宮寺が所蔵する、飛鳥時代(7世紀)の染織工芸品、天寿国繍帳銘文に推古天皇の名があり、…

救世観音大菩薩聖徳皇 親鸞聖人が枕元に見たのは「聖徳太子」であって、「厩戸王」ではなかった。

【「聖徳太子(厩戸王)」であって「厩戸王(聖徳太子)」ではない】 親鸞聖人が枕元に見たのは「聖徳太子」であって、厩戸王ではなかった。 聖徳太子とは、後世に語り継がれてきたものも併せて聖徳太子です。厩戸王も当時のネストリウス派キリスト教の影響…

厩戸王ではなく聖徳太子こそ歴史教科書に相応しい表記

学習指導要領改定案で聖徳太子の呼称を「厩戸王」に変えた問題について、文部科学省へパブリック・コメントを届けた。 聖徳太子は、推古天皇を摂政として蘇我馬子(大臣=おおおみ)とともに支えた実在の人物だ。法隆寺釈迦三尊像の宣字形台座の下座下框の墨…

History / Senkaku 針路を決め船を操っている琉球人が釣魚嶼を航路目標として操船した

日本人が尖閣問題を話すときの1番のポイントは、これだ。 陳侃をはじめとする明国の一行に島を指し「あれが釣魚嶼だ」と琉球人が教えなければ、陳侃は「使琉球録」に「釣魚嶼」の名を残すことはできなかった。 チャイナは、「陳侃の書いた『使琉球録』に史…

御嶽「うたき」は「倭の聖地」の意味か

沖縄「をきなは」が「うちなー」、倭蔗または御蔗「をじ」が「ウージ」と変化したなら、御嶽「をたけ」が「うたき」と変化してもおかしくない。 「を」(wo)は「倭(やまと・日本)」という意味を持つ音で、古代日本人のアイデンティティを示す音だと私は主…

縄文期から日本列島を海上交易で結ぶ一族がいた 沖縄北谷町で東北の縄文土器

北谷町から東北系土器が見つかりました。 北谷町公式ホームページ 日本を起源とするこの時代の土器は、 これまで鹿児島県の奄美大島や徳之島などで見つかっていますが、沖縄で見つかるのは初めて 縄文時代晩期(約2500年前)の東日本の大洞系(おおほらけい…

古事記や日本書紀にある琉球を暗示する言葉

古事記や日本書紀でおなじみの わたつみ 海神 として祀られている 豊玉彦 の「豊」は「礼」の旧字体が「禮」と書くことでも知られているように、Rei の音を持つ。 「玉」は、「球」で、Kyu の音を持つ。古代の螺鈿細工に、そのきらきらと美しく光を反射する…

「鵜戸」「宇土」「宇都」「委奴」は「菟度」であり、海を渡る倭のこと。「委奴」が訓読みされて「ヤマト」となった?

過去のブログで、漢委奴国王印(かんのをとこくおうのいん)の注意書きを下記の通り入れた。 《「倭」と「委」は同音である。wo が 「倭」あるいは「委」として、用いられて不思議はない。》と上記に書いたが、「倭」から人偏(ニンベン)「亻」をわざわざ外…

The List of V.I.P. Yasukuni Shrine Visitors After the War and "War Shrine Chinese Propaganda"

Do you know no country in the world had blamed Japan Politicians' visit to pay homage to the war dead at Yasukuni until August 14, 1985? The List of V.I.P. Yasukuni Shrine Visitors After the War and "War Shrine Chinese Propaganda"

笠紗の岬こそ、天孫の上陸地点 (続)古事記の天孫降臨に言う「韓国(からくに)」とは

神としての天孫は、霧島神宮で祀られ高千穂の峰に降臨したが、生身の天孫一行はウツホフネに乗り、わたつみを渡り来て、笠沙の岬に上陸したのであろう。

陳侃の『使琉球録』にみる沖縄方言の紹介/「うちなーちゅー」は「おきなわひと」の訛り

「日本人」は当時、「やまとひつぉう 」(亞馬奴必周 jamatohizhou → yamatohzto →yomaton-zhou) で「やまとひと」だった。 秘周は hizhou と読み 人 hito の事だと推測できる。 「琉球」は 倭急拿(wojinah )と明語で発音。「をじなは」だろう。(緑色1行201…

(続)陸の真っただ中に海渡(うと)

広島県教育委員会事務局管理部文化財課から、三次市海渡町の地名の伝承と帰海寺所蔵「木造薬師如来坐像」の由来について、下記の通りにご回答をいただいた。 ご協力ありがとうございます。 本件に関する考察は別途行いたいと思っています。 1 「うと」と読…

古事記の天孫降臨に言う「韓国(からくに)」とは「韓国岳(からくにだけ)」であり、天孫降臨の地は霧島神宮

古事記の天孫降臨に言う「韓国(からくに)」とは、朝鮮半島の事というのが通説・多数説のようだが、ウツホフネでわたつみを西南諸島経由で南九州に渡って来た日本人の祖先たちが目印や指標として子孫に伝えようと記録に残そうとするなら、朝鮮半島ではおか…

日本古代史の謎を解くカギは、中世沖縄語の「を」だった。

陳侃の使琉球録に記載してあった「倭的毎」は、その記載の当時「をーつめぃ」と読み、沖縄に置いて皇帝を意味する言葉の「音」を表記する3文字であった。 意味は「皇帝」であり、「大王」のことだ。 中世沖縄で「を」を明の官吏に読ませるために充てた漢字…

陸の真っただ中に海渡(うと)

【陸の真っただ中に海渡(うと)】 広島県三次市に「海渡(うと)」の地名があることを知った。広島と言っても、鳥取との県境に近い陸の真っただ中である。しかも「帰海寺」という寺もある。木造薬師如来坐像は広島県重要文化財と書いてあり、大国主のウサギ…

「漢委奴国王印」は、東ユーラシア大陸出身の倭族が渡って打ち立てた国、鵜戸の国、その国の王の印

「漢委奴国王印」 の「漢の委の奴の国王の印」という表現は、 『漢(から)の菟(倭)が度りし鵜戸の国、その国の王のしるし』 という意味で捉えるしかない。 東ユーラシア大陸出身の倭族が渡って打ち立てた国、鵜戸の国、その国の王の印 という意味である。…

「漢委奴国王印」の「委奴国」は倭が渡って来た国という意味の「をとのくに」だ。

一般に「かんのなのわのこくおういん」と読まれている「漢委奴国王印」の話だ。 「漢委奴国王印(からのをとこくおうのいん)」の「委奴国(をとこく)」は倭が渡って来たという意味の「倭度(woto=をと)」であり、「をのとこく」「をとこく」「をとのくに…

和邇とは船だ(船は和邇である)と因幡の白兎の物語に書いてある

和邇とは船だ(船は和邇である)と、因幡の白兎の物語*に謎々の形ではっきり書いてある。 和邇が列をなして伏す場面(和邇列伏)がそれである。以下に原文と読み下しを記す*1 ++++++++ 古事記引用 ++++++++ 菟答言 僕在淤岐嶋 雖欲度此地 無度因 故欺海和邇【…

稲を持ちし倭、丸木舟の上を渡る 因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 まとめ

「兎度和邇上」*の和邇の上を渡るウサギは因幡のウサギ「因幡之菟」なので、 「稲羽(稲穂)之菟(倭)度和邇上」稲穂の倭、和邇の上を度る (稲を持ちし倭、丸木舟の上を渡る)とすれば、意味が一層鮮明になる。 稲穂を持った日本人の祖先たちが、和邇と呼ばれ…

(付録)因幡の白兎 兎と鰐 大国主命

誰と出会っても恋に落ちず、強く惹かれる人もなく、「世界は私と貴方(和邇)だけよ、私と貴方、本当に私と貴方だけ、と大勢の男を騙して、ここまで来たのに、最後の最後に、貴方に衣を全て脱がされちゃったわ」 私、騙したつもりの元カレに騙されて日光が降…

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 解説

ウサギ族は海の向こうの国から、多くのウツホフネ(菟乍歩伏寝)を連ねて、幾夜となくその船の中で寝起きしながら、わたつみを越え渡って来た種族である。特に因幡のウサギの一族は稲穂を日本に伝えた種族として特徴のある一族である。稲羽とは「稲を伝えた…

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (4)

【超訳】 私、騙したつもりの元カレに騙されて日光が降り注ぐ浜に連れて来られ、いつのまにやら裸に剥かれちゃって、気が付いたら浜辺で気絶していたのね。だからひどい日焼けだったの。日焼けをあなたの兄弟の教えてくれた方法で治そうとしたら、火傷が重症…

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (3)

恋に落ちることもなく、こう言う人が良いという理想も、「この人なら」と強く惹かれる人もなく、いままで私が大勢の男たちを欺いて来たのに、とうとう最後のあなたに衣を全て脱がされてしまいましたね

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (2)

【超訳】 裸のウサギに、「そのひどい日焼けを治すのには、海水を浴びて風にあたると良いから、高い山の風当たりのよい尾根で横になっていなさい」と大国主の兄弟たちが教えた。だからウサギは教えられた通りにした。そうしたら体中の皮が剥けて、そこに塩が…

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (1)

【超訳】 大国主命 の兄弟は大国主をのけ者にして、「国」とはあいつには不相応だとばかり、大〇主(大穴文字=大穴牟遅)と「国」の字を抜いて呼んでいた。八上姫をものにしようとみんなで稲羽に出かけたときも、大国主にだけ袋を持たせ従者として従えていった…

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