kaiunmanzoku's bold audible sighs

Be love Be peace Be harmony Be compassion Be joy

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.

文喜相の発言の問題点と日本政府への苦言

文喜相議長の発言の問題点

1. 解決済みの慰安婦問題に謝罪を要求。
2. 陛下を戦犯の主犯の息子呼ばわり。


上記の二点、つまり

1. 国家間合意の存在を無視し、解決済みの問題を再提起し、義務なき行為を要求している事。

2. 歴史事実を捏造することによって、日本国(の国民)とその象徴に対する誹謗を行った事。

 

特に 2. が大問題であり、全ての建設的な話し合いの前に発言の撤回と謝罪が必要だ。

 

 

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https://www.bloomberg.com/news/articles/2019-02-08/south-korea-lawmaker-seeks-imperial-apology-for-japan-sex-slaves

National Assembly Speaker Moon Hee-sang said in an interview Thursday that Japanese Emperor Akihito -- as the “the son of the main culprit of war crimes” -- should deliver the apology before his planned abdication in May. Moon was asked how the two U.S. allies could resolve a worsening diplomatic feud fueled by disagreements over Japan’s 1910-45 occupation of the Korean Peninsula, much of it under the emperor’s late father, Hirohito.

“It only takes one word from the prime minister, who represents Japan -- I wish the emperor would do it since he will step down soon,” said Moon, South Korea’s No. 2 elected official and a former presidential envoy to Japan. “Isn’t he the son of the main culprit of war crimes?

“So, if a person like that holds the hands of the elderly and says he’s really sorry, then that one word will resolve matters once and for all,” he said.

 

日本政府にも苦言*1がある。本来なら議長が米国に向かった時点で手を打っておくべき事が出来ていない事だ。外務省がバカなら官邸で手を打たねばならない。

つまり、

「『韓国が慰安婦合意を守ることが大前提だ』と会見の場で釘を刺しておくように」とオバマ経由で予めペロシに要求しておいて当然!ということだ。

もちろん、トランプに仁義を通した上でだ。

前政権と現政権の両政権と誼を通じた安倍政権なら出来ることだ。

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幹部職員の誰も手を打っていないのなら、日本は人材が適材適所に配置されていないという事になる。情けないことだ。

 

韓国は、最近また一人慰安婦が亡くなったことを利用して、慰安婦問題を再燃焼させようとしてきていることは確かだ。これは察知できた。

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NYタイムズの元慰安婦問題記事に…日本「謝罪した」と強弁反論
2/9(土) 13:44配信 中央日報日本語版


日本政府が慰安婦被害者の金福童(キム・ボクドン)さんの死去を報じたニューヨークタイムズ(NYT)の記事に対し、「日本は慰安婦被害者に誠実に謝罪した」と嘘の主張を含む反論をNYTに寄稿したことが分かった。

9日の産経新聞によると、日本政府は先月30日にNYTの紙面に掲載されたソウル発の金福童さんに関する記事に対し、外務省報道官の名前で反論文を送り、NYTはこれを7日、インターネットホームページに掲載した。

日本政府はこの寄稿で「日本政府は数多くの機会において元慰安婦に対する誠実な謝罪と悔恨の念を伝えてきた」と主張した。また「慰安婦問題を含む補償問題は65年の日韓基本条約で解決済み」とし「日本政府はすべての元慰安婦の名誉と尊厳を回復し、心の傷を癒やす取り組みを行ってきた」と強弁した。さらに「和解・癒やし財団の支援を元慰安婦らが一様に拒絶したかのような書き方をしているが、存命中だった元慰安婦47人のうち34人が財団からの支援金を受け取り、取り組みを歓迎した」と主張した。

NYTは当時の記事で「金さんの持続的なキャンペーン(慰安婦関連活動)が、自身と似た数千人の女性が抱えてきた苦痛に対する国際的な関心を引くのに寄与した」とし「金さんは不屈の活動家の一人だった」と紹介した。また「金さんは入院中に記者が訪れた時、安倍首相が贖罪を拒否していると批判した」とし「私たちが(日本を相手に)戦うのはお金のためでない。私たちが望むのは名誉回復のための日本の誠実な謝罪と法的賠償だと語った」と伝えた。この記事は、AP通信に勤務中だった2005年に老斤里(ノグンリ)事件報道でピューリッツァー賞を受賞したチェ・サンフン記者が作成したものだ。

一方、産経新聞は韓国と日本の歴史戦争の舞台が米国メディアになっている状況の中、日本外務省が今回のように米国メディアの報道への反論を積極的に提起する方針だと伝えた。

これに先立ちNYTは昨年12月2日、インターネット版に慰安婦動員の強制性を認めた河野談話の修正を要求する人たちを「修正主義者」と表現した記事を掲載したが、これに対しても日本政府は同月15日に駐ニューヨーク総領事名義の反論を寄稿した。日本政府は当時の寄稿で「安倍晋三首相は謙虚に歴史と向き合うべきだと繰り返して話している」と主張した。

なお、日本の謝罪履歴は次のリンクを参照の事。

List of war apology statements issued by Japan - Wikipedia

韓国においても、良識ある指摘がなされている。

oboega-01.blog.jp

「マスコミのほとんどは、長い間、自分の足で走って、自分の頭で思考する代わり、慰安婦支援団体や一部の学者が与える情報だけを受け入れてきた。(中略)日本政府の謝罪/補償をすっかり無視し、日本の反論が『反歴史的で反人権的で国際常識にも反する』という恥知らずな支援団体の主張だけが『真実』として通用している。このような声だけにメディアが依存している限り、韓日関係は永遠に改善しない」と指摘

韓国には学問の自由がなく、表現の自由も無い。したがって、真実が国民に伝わることはない。そのような韓国の事情もペロシ米国下院議長に予め伝えておくべきだった。

 

「泣く子は餅を一つ多くもらえる」という国

文喜相の「天皇の謝罪で慰安婦問題は解決」は真っ赤な嘘。もしそうすれば、新たな日本批判の道具となる。
一つ要求に応じれば、それを既成事実にさらなる要求をしてくるのが韓国。

事大主義の国に謝罪は禁物。

かの国との約束事には、日本版の三田渡の盟約が、先ず必要。

と思って付き合うぐらいがちょうどよい。

 

このブログはFBに投稿した意見をまとめ直したもの。

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(^^♪ 

Take him to hell. And let him pray among the inferno.

Let him see what his pray was like. Of This one and That.

In other words, kiss my ass!

In other words, Moon Hee-sang beat yourself! ♬

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*1:苦言はその日のうちに取り消しとしました。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

火袁理命(山幸彦)と八幡神と応神天皇 天照大御神と聖母(しょうも)と神功皇后

多くの「ほ」(幡)を持つ山幸彦。

「ほ」とは「日」、「火」、「穂」等の音のことだ。

多くの幡を持つ神という意味の「八幡*1」を示唆しているのだろう。

 

袁理命《ソリノミコト》

天津彦火々出見尊《アマツコタカホホデノミコト

天津彦穂々出見尊《アマツコタカホホデノミコト

折彦火火出見尊《オリホホデミノミコト

火々出見尊《ホホデミノミコト》・・この(ホホデノミコト)の名は神武天皇の実名と同じ

虚空津《ソラツコ》

 

  また、一方で、天照大御神が祀られる伊勢神社と神功皇后は、どちらも「じんぐう」と呼ばれる。

そして、大隅八幡宮縁起に、「筑前国に『香椎聖母大菩薩』として祀られる、七歳のとき夢で朝日を受けて身籠もり、王子(八幡)を生んだ陳大王の娘」として伝えられている大比留女(おおひるめ)と神功皇后は、どちらも聖母(しょうも)と呼ばれる。

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

そして、日光によって孕んだ娘から生まれた伝説を持つ阿加流比売*2(あかるひめ)を妻とし、その妻が生まれ故郷に帰るのを追って日本の但馬に来た新羅王子、天之日矛の子孫であると伝えられているのが神功皇后

 

火袁理命(山幸彦)から神武天皇へと繋がる古事記の記載が、わたつみの国、東シナ海を意識させるのに対し、神功皇后応神天皇の親子の宇佐神宮由緒は朝鮮半島と北九州や山陰を意識させる話となっている。

共通点は、八幡神(とその母)が海から上陸したこと、母が海の向こうの有力者の縁者であること、母や母の支持者の力を借りて西日本から近畿を平らげた事であろう。

 

神武天皇応神天皇が同一人である必要はない。物語に温度があるとは言わないが、火袁理命(山幸彦)から神武天皇へと繋がる古事記の記載が南九州の太陽と海に相応しい温感を持つのに対し、仲哀天皇から応神天皇までの古事記の記載は日本海と北九州の海風を感じさせるからだ。あきらかに似たような記憶が留められたとは思うが、似た記憶は時空を同じくするとは限らない。

過去というものは現在までの体験で書き換えられる。人の一生の中ですら既視感はしょっちゅうあるのだ。

過去の英雄に例えられたい、例えたいと願う当時の英雄やその子孫や民衆が、異なる主人公に、場所と時間を与えて、似たエピソードを生み出したと考えたい。

 

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伊勢神宮内宮の池を泳ぐ錦鯉 筆者撮影

 

*1:宇佐神宮由緒によると八幡神は応神天皇の神霊であり、宇佐神宮で、八幡神は応神天皇の母である神功皇后と合祀されている。

*2:難波に至って比売語曾社の神となり、豊国の国前郡(大分県姫島)へ至って比売語曽社(ひめこそしゃ)の神となり、2カ所で祀られている

沖縄は古事記の神話時代から日本 綿津見の国は沖縄 和邇は舟で和邇魚は沖縄高速船

 「倭」「和」は ”wo” (を) と読むと解る 沖縄は古事記の時代から日本だ。

琉球人」

陳侃の使琉球録 倭急拿必周(をじなはひつぉう)

ローマ字表記 wojinah-hizhou → woknahーzhou

現在の「うちなーちゅー」。その元が「おきなわひと」とわかる。

琉球」は 倭急拿(wojinah)だった。「をきなー」を経て「うちなー」か。

 

 「日本人」

陳侃の使琉球録 亞馬奴必周(やまとひつぉう)

ローマ字表記 jamatohizhou → yamatohzto →yomaton-zhou

現在の「やまとんちゅー」。その元が「やまとひと」とわかる。

 

  「皇帝」

陳侃の使琉球録 倭的毎 (をーつみぃ)

ローマ字表記 wotemei → wotsumi 

 15世紀の沖縄で「皇帝」を意味する言葉の「音」を表記する3文字「倭的毎 (をーつみぃ)」を「倭的」と書いても同じ音になることから「綿津見、海神(わたつみ)」という言葉には『倭(わ=日本)の海』と言う意味が込められている。この場合の「倭的海=日本の海」とは倭が渡って来た東シナ海のこと。皇帝と倭的海が同じ(わたつみ)という音と言葉で通じている。

 

「宇都」「鵜戸」「宇土」「委奴」「海渡」・・・

地名 うと うど おと をと ・・・

ローマ字表記   woto → uto, oto, udo 等

稲穂を持った倭族(日本人の祖先たち)が、和邇と呼ばれていたウツホフネを多数連ねて、わたつみ(東シナ海)を渡って来た、その場所を倭度あるいは菟度 woto という。委奴(をと)も同じ。

 

 

和邇」 

古事記本文 和邇【此二字以音下效此】

読み下し 和邇(わに)【此の二字は音を以ちてす。下、此に效え】

ローマ字表記 woji → woni → wani

和邇とは船だ(船は和邇である)と、因幡の白兎の物語に書いてある。

和邇が(皆)列をなして伏す状態、和邇列伏 (わにれつをなしてふす)を(「わに」に「伏」をつらねる)と読んでその通り並べてみると「船は鰐」とわかる。元々の和邇(をに)には、「和=倭=吾=我」である『私』と「邇」である『貴方』が一体となった形で「私とあなた」の意味や後の世の「鬼」の意味もありそうだ。

 

 

  「和邇魚」

古事記本文 即悉召集和邇問曰

読み下し 即ち悉く和邇魚(わにな)を召し集めて問いて曰わく

 ローマ字表記 wojinah → waninah

当時の発音は wo-ji-nah、この発音は陳侃の使琉球録(16世紀)の夷語によると「琉球人」を wojinah-hizou と呼び、琉球が wojinah であったのと同じで、「沖縄(をきなは)」に通じている。海神の国、わたつみの国は沖縄と示唆している。倭が渡って来た東シナ海、倭的海と書けるわたつみの国は、海神であり綿津見大神である禮玉(れいきゅう)王、豊玉彦(とよたまひこ)が支配し、和邇魚(和邇と呼ばれる高速船の漕ぎ手の部族、「魚」は部族を表す)がいる海洋国家。一尋和邇(佐比持神=稲冰命)が帰り、稲冰命(佐比持神=一尋和邇)が帰った母の国。これは、「おきなわ」で間違いないだろう。

 

  「鹽椎翁」

ローマ字表記 sio-tsuti-no-wojinah → siotsuti-no-oji

シオツチノオジを別名「事勝国勝長狹神」と呼ぶのは戦いの帰趨を決した役割を何度も演じたからだろう。「オジナ(wojinah)」は、海岸に住む古い「和邇・鰐・鬼(woni)部族=魚」であり、その代表格「翁=長(wojinah)」で、潮流だけでなく、戦いの帰趨すら読める戦名人だったのだろう。潮流に乗って「和邇(woni)」と呼ばれる船を操り、「わたつみ=沖縄(wojinah)」を拠点に周辺地域と盛んに交易も行っていた。その範囲は、日本海流に乗っては、北九州や朝鮮半島因幡や東北、沿海州、九州の東岸からは瀬戸内海を通り、太平洋の大海原では黒潮に乗って伊勢や熱田、安房や小笠原列島の方まで進出していたに違いない。神話時代には大陸へと自由に行き来していたかもしれない。全国の「鬼(woni)」伝説にも関係しているのだろう。倭族の一員であり倭族と同じ大陸の揚子江流域から江南地域出身の航海術に秀でた部族であり、先祖に猿田彦が関係していると考えている。

  

そのような繋がりが、『中山世鑑』に鎮西八郎源為朝が琉球王の祖先だと書かれるはるか以前に、古事記の海幸山幸の神話の世界が九州と沖縄にあったと想像させる。つまり、火遠理命やその妻の豊玉姫命、あるいは玉依姫のような九州・沖縄間の貴人の行き来や和邇のような交易船の往来があったはずなのだ。

だからこそ、中世の九州からの落ち武者、あるいは政治亡命者が沖縄で一族の中の貴種として扱われ、歓迎される素地が沖縄に出来ていた。それが『中山世鑑』のような伝説が誕生する重大な要素である。そこには先祖と文明の一体感がある。そう考えるのが合理的だ。

  

宇佐神宮は古代に大陸の江南地域にいて、海流に乗って薩摩半島に上陸したと言われる隼人族との関連を持つ神宮とも考えられている。隼人族は「を」wo の付く地名を日本全国に残している。宇佐神宮もその一つだ。

また、大隅一ノ宮である鹿児島神宮は、正八幡宮という呼称を持っており、豊前宇佐と同族である隼人族とのつながりを示している。また、天津日高彦穂穂出見尊のほか、その妻豊玉比売命(=海神(ワタツミ)の娘)を祭神としており、海神(ワタツミ)と隼人族との関連も興味深い。

 

古代に海流に乗って大陸の江南地域から西南諸島をたどって九州へたどり着いた日本人の祖先が、今度は九州から西南諸島へと移動する様が見えるようです。

陳侃の使琉球録に記載してあった「倭的毎」は、その記載の当時「をーつめぃ」と読み、沖縄で皇帝を意味する言葉の「音」を表記する3文字でした。意味は「皇帝」であり、「大王」のことです。

 中世沖縄で「」を明の官吏に読ませるために充てた漢字が「」であり、「倭的毎」を「Wotsu mi(mee)」と読むインスピレーションを得たことから倭的海「わたつみ」が出てきた過程は下記のブログを参考願いたい。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

明が国外に持ち出すことを禁止しているサトウキビを栽培する直川智と当時の琉球王国の立場(島津藩の立場も同じだと思うが)を考えると、サトウキビの密輸と栽培の事実を明国からカムフラージュする必要があったはずと考えて、明国製ではなく日本製の砂糖であると称したのが「ウージ」ではないかと言う私説がこちら。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

日本神話の世界にあまり詳しくない方に注釈

「わだつみ」と入力すれば「海神」と変換しますが、その通り日本の海の神様で古事記日本書紀に登場します。伊邪那岐(イザナキ)・伊邪那美イザナミ)の神産みによって生れて登場する大綿津見神(おおわたつみのかみ)がその神様です。海彦と兄弟げんかをした山彦が立ち寄る先がわだつみの国です。その国は古代日本の近海にある国です。沖縄語の「皇帝」つまり国の支配者が「わだつみ」と関係があるとすれば、「沖縄=わだつみの国」説が成り立つわけです。

 

 

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Family Crest of Ryukyu Kingdom(琉球王家) is the same Symbol of Usa Jingu(宇佐八幡宮 Usa Hachimangu), a Shinto shrine in the city of Usa in Ōita Prefecture.

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

原子力規制委員会の組織理念を見直すべきだ アベノミクスの致命的失敗:原子力政策の規制強化

アベノミクスの致命的失敗:原子力政策の規制強化】

原子力産業は国際的にはエネルギーの安定供給と環境目標を達成するために重要性を増している。しかし日本では肯定的な報道はわずかだ。

アベノミクス最大の致命的失敗は原子力政策の規制強化だ。
民主党政権時代の規制を放置したことを言っている。
単に、発電所再起動の遅れ、海外を含む新規投資に消極的になったというだけでは済まない。何よりも「安全対策費用の増加」である。

 

安全基準の国内基準と国際基準との乖離は、原子力メーカーの競争力を根こそぎ削ぎ落とした。その結果、新規原発に投資が不可能になった。そして、次世代に熾烈なエネルギー資源獲得競争という禍根を残したといえる。その政治責任は重たく重要だ。

安全には、基本的にダブルスタンダードはあり得ないのだ。

メーカーは厳しい基準に企業内の品質(安全)基準を統一せざるを得ない。日本向けはここまでやるが、海外向けは〇%省略するというわけにはいかないのだ。

 

東芝の情けない企業統治能力による原子力部門の凋落は日本の原子力産業そのものの凋落の象徴だったが、311以降の日本の原子力政策は、原子力規制委員会の、どのような基準も、より厳しければそれで良いのだ、その方が国民に迎合できる、という国際基準の合理的値より厳しいことに意義を見出す(コストも競争力も安全保障も技術保持も無視の)独善的なやり方に極まる。これは、「何ものにもとらわれず、科学的・技術的見地から、独立して意思決定を行う」という独立した意思決定が、独善と化しているからだ。

事業者、専門家(特に安全)、メーカーとの充分な対話がない。意思決定までの議論が透明性を欠く。実効ある行動なのかもしれないが、デュープロセスの観点からも有識者会議などは、そのメンバー選択の指針や会議そのものの法的あるいは意思決定関与の度合い等の位置付けが外部から見えてこない。

だから、独立した意思決定と言っても、外から見るとコミュニケーションと透明化が決定的に欠けた状態で運営されるという点で、中国共産党中央政治局常務委員会の意思決定と同じなのだ。「独善が独裁を産む」状態になっていると思う。透明で開かれた組織とは程遠いのだ。

 

独善と化した原子力規制委員会の組織理念を見直すべきだ。そして、透明で開かれた組織として生まれ変わるべきだ。

 

それでも、それまでの間、バカげた政策で、日本の原子力産業が空洞化するのを自衛しなければならない

周辺で核技術を狙う国があるのだ。

だから、まず、最先端事業を担う技術者を擁する重電各社の人・物・技術等の構成要素はエネルギー安保上、どうしても流出を避けるべく手を打つべきだ。

 

 

上記は、下記のFBへの投稿に手を加えたもの

いい しげる - 【アベノミクスの致命的失敗:原子力政策の規制強化】... | Facebook

 

画像は平成31(2019)年2月3日の読売朝刊から

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Memo シオツチノオジ、鹽椎翁(siotsukino wokinah)は、鹽椎和邇魚(siotsukino wojinah)

事勝国勝長狹神こと鹽椎の神、シオツチノオジのオジは、先のブログでこう解説した。

*2:シオツチノオジを別名「事勝国勝長狹神」と呼ぶのは戦いの帰趨を決した役割を何度も演じたからだろう。「オジ(woji)」は、海岸に住む古い部族「鰐(woni)」の一員であり、その代表格(長)で、潮流だけでなく、戦いの帰趨すら読める戦名人だったのだろう。潮流に乗って和邇(woni)と呼ばれる船を操り、わたつみの国と交易も行い、日本海流に乗って北九州や朝鮮半島因幡や東北、沿海州、瀬戸内海や黒潮に乗って伊勢や熱田、安房や小笠原列島の方まで進出していたに違いない。全国の「鬼(woni)」伝説に関係しているのだろう。先祖に猿田彦が関係していると考えている。

 しかし、和邇魚 (Wojinah)が 沖縄(Wojinah)に通じるという発見をした今では、オジ woji は、翁 (Wojinah) というだけではなく、沖縄(Wojinah)であり、和邇(Wojinah)でもある。

と考えている。

 

http://dashi-matsuri.com/dashikan/chita/oono/photo/07_5790.jpg

画像はリンクになっています。

高須賀町のからくり人形|大野祭り|乙川|知多の山車館|尾張の山車まつり

 

 

「和邇魚」は、 wojinah 「をきなは(沖縄)」に通じる言葉 古事記 山幸海幸 番外編

琉球人」の発音 は、その音を当時の明人の漢字に当て嵌める(当て字にする)と「倭急拿必周(をじなはひつぉう)」、つまり、 wojinah-hizhou → wojinahーzhou と発音していたらしいと陳侃の使琉球録でわかる。だから、容易に現在の「うちなーんちゅー」の元が「おきなわひと」とわかると、過去のブログで説明した。そして、沖縄は「倭岐魚場」であっても良いとも主張してきた。

次のブログだ。

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そして、今日、平成31(2019)年2月1日、海幸山幸の古事記原文を眺めていたら、下記の事実に気が付いた。

 

「邇」には、もともと ji と言う音がある。だから、

woni「和邇」を woji と濁れば、wojinah (沖縄)は「和邇魚」と書ける

換言すると

和邇魚」の「和邇」を woji と濁って読めば、wojinah「をきなは(沖縄)」になる

つまり

現代沖縄方言の「うちなー(おきなわ)」の語源 wojinah と同じ発音である

 

和邇魚」と書いて、 wojinah 「をきなは(沖縄)」と読む

 

そして、わたつみの国は、和邇魚(和邇と呼ばれる高速船の漕ぎ手の部族、「魚」は部族を表す)がいる海洋国家で一尋和邇(佐比持神=稲冰命)が帰った国。これは、「おきなわ」で間違いないのだと思いついた。

 そう、古事記に「おきなわ」と書いてあるという事だ。

 

 

古事記本文:

即悉召集和邇問曰 今天津日高之御子 虚空津日高爲將出幸上國 誰者幾日送奉而 覆奏 故各隨己身之尋長限日而白之中 一尋和邇白 僕者一日送即還來 故爾告下其一尋和邇 然者汝送奉 若渡海中時 無令惶畏 即載其和邇之頚送出 故如期一日之内送奉也 其和邇將返之時 解所佩之紐小刀 著其頚而返 故其一尋和邇者 於今謂佐比持神

 

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まずは、ここまで。構想が練れたらブログに書こうと思う。

ここまで来たら、本を出しても良いかもしれない。

 

https://2.bp.blogspot.com/-HWlqyXiDKGc/TkIINfTEm-I/AAAAAAAABhs/VId29bCdPco/s1600/CIMG1514.JPG

八千代市保品出土縄文丸木舟(複製・復元品)
八千代市立郷土博物館所蔵

画像はリンクです。下記のリンク先から

花見川流域を歩く HANAMIGAWA RYUIKI wo ARUKU: 縄文丸木舟と大賀ハス8

 

古事記 山幸海幸⑥ 上國(うわつくに)へ和邇(わに)の頚(くび)に乗りて帰国

古事記本文:

即悉召集和邇*1問曰 今天津日高之御子 虚空津日高爲將出幸上國 誰者幾日送奉而 覆奏 故各隨己身之尋長限日而白之中 一尋和邇白 僕者一日送即還來 故爾告下其一尋和邇 然者汝送奉 若渡海中時 無令惶畏 即載其和邇之頚送出 故如期一日之内送奉也 其和邇將返之時 解所佩之紐小刀 著其頚而返 故其一尋和邇者 於今謂佐比持神

 是以備如海神之敎言 與其鉤 故自爾以後 稍愈貧 更起荒心迫來 將攻之時 出鹽盈珠而令溺 其愁請者 出鹽乾珠而救 如此令惚苦之時 稽首白 僕者自今以後 爲汝命之晝夜守護人而仕奉 故至今 其溺時之種種之態不絶仕奉也

 

読み下し:

即ち悉く和邇(をにな)*2を召し集めて問いて曰わく、「今、天津日高の御子虚空津日高、將に(うわ)つ國*3に出で幸(ま)さむと爲(す)。 誰者(たれ)、幾日(いくひ)に送り奉りて覆奏(かえりごともう)さむ」。 故、各(おのおの)己(おの)が身の尋長(ひろたけ)の隨(まにま)に、日を限りて白す中に、一尋和邇(ひとひろわに)、「僕(やつがれ)は一日(ひとひ)に送りて即ち還り來む」と白(もう)しき。 故、爾して其の一尋和邇に、「然らば、汝送り奉れ。 若(なむじ)*4海中(うみなか)を渡らむ時に な惶(おそ)れ畏(かしこま)らしむ無かれそ」と告げて、即ち其の和邇の頚(くび)に載せて送り出だしき。 故、期(ちぎ)りしが如く一日の内に送り奉りき。 其の和邇、將に返らんとする時に佩かせる紐小刀(ひもかたな)を解き、其に頚に著(つ)けて返しき。 故、其の一尋和邇は、今に謂う佐比持(さひもち)の*5なり。

 是を以ちて備(つぶさ)に海の神の敎えし言(こと)の如く其の鉤を與(あた)えき。 故、爾してより以後(のち)は、稍(ようや)く愈(いよ)よ貧しくして更に荒心(うらさ)び起こして迫(せ)め來たり。 將に攻めんとする時に、鹽盈珠を出だして溺れしめき。 其の愁え請えば、鹽乾珠を出だして救いき。 如此(かく)惚(なや)み苦しめしめき時、稽首(ぬかつ)きて、「僕(やつがれ)は今より以後(のち)は汝命の晝夜(ひるよる)の守護人(まもりびと)と爲(し)て仕え奉らむ」と白しき。 故、今に至るまで其の溺れし時の種種(くさぐさ)の態(わざ)絶えずして仕え奉るなり。

 

 現代文訳:

 そこで、海の神丸木舟を操る漕ぎ手たち*6をすべて招き集めて、問い尋ねて

「今、天津日高(あまつひこ)の御子である虚空津日高(そらつひこ)が、海の国から天津神(あまつかみ)の子孫が住む隣国(九州)*7へ旅立とうととしている。誰が、どれほどの日数でお送り申し上げ、帰還の報告ができるものか」

と言った。

ですから、船の漕ぎ手たちは舟の大きさに応じて、日を単位で申し上げる中で、一尋和邇(ひとひろわに)という漕ぎ手

「私なら、日の沈む前*8には、お送りして戻ってまいりましょう」

と言う。

そこでその一尋和邇

「それならばあなたがお送り申し上げよ。おまえが海を渡っていくときには、くれぐれも火遠理の命に怖い思いをさせてはならぬぞ」

と忠告し、その丸木舟の舳に火遠理の命を乗せて送り申し上げた。

一尋和邇は、自分の約束した通りに日のある内にお送り申し上げた。

その帰ろうとする時、火遠理の命は腰につけていた紐のついた小刀*9をほどいて、一尋和邇の首につけて、お返しになった。そういうわけで、その一尋和邇は、今では佐比持(さひもち)の神と呼ばれている。

 

 こうしたことがあって、火遠理の命は、全て海の神の教えた言葉の通りに、その釣針をにお与えになった。ですから、そののちは、は見る間にだんだん貧しくなり、しまいには、ついに心を乱して攻めて来ました。そのがまさに攻めようとする時、鹽盈珠(しおみつたま=潮が満ち満ちてくる玉)を出して溺れさせ、またが慈悲を願って降参すれば、鹽乾珠(しおひるたま=潮が引いて乾く玉)を出して助けました。こうして悩まし苦しめたので、ついに、は額を地に擦り付けて

「しもべである私めは、今この時から、あなた様を昼夜問わずに守る人となってお仕え申しあげます」

と申し上げた。

そういうわけあって、今に至るまで、火照の命の子孫、隼人は、その溺れた時のいろいろな姿を絶えることなく演じて*10お仕え申しあげているのである。

参考:

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http://www.kyoto-kankou.or.jp/upfile/94/994.jpg

画像はリンクになっています。

大住隼人舞|観光情報検索|京都“府”観光ガイド ~京都府観光連盟公式サイト~

 

 

*1:和邇魚:当時の発音は wo-ji-nah、この発音は陳侃の使琉球録(16世紀)の夷語によると「琉球人」を wojinah-hizou と呼び、琉球が wojinah であったのと同じで、「沖縄(をきなは)」に通じている。海神の国、わたつみの国は沖縄と示唆している。(平成31(2019)年2月4日記載)

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*2:和邇とは船だ(船は和邇である)と、因幡の白兎の物語*に謎々の形ではっきり書いてある。

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また、wojinahと読むことで、籠の船を操船したのが翁(鹽椎神、鹽椎翁)であったと考えることも可能

*3:上國:「上」という字には、「いくつか(通常二つか三つ)あるうち(話者の意識から見て)『先に来る』」という意味がある。禮玉(りゅうきゅう)王から見れば、火遠理の命らの天津族の住む九州は北東の隣国である

*4:若:ここは「もし」と訳すより、先の「汝」と畏まった言い方から「お前」と親しげな呼びかけをし直したと解するほうが、後の佐比持神となる若者に相応しい

*5:佐比持神(さいもちのかみ)とは、神武天皇の兄弟のイナヒノミコトを想像させる。母の国、琉球に戻った皇族だ。琉球王と山幸は親族。神武天皇の東征にも海の部族であるわたつみの軍が参加したかもしれない。東征の後琉球に帰り音信不通となったイナヒノミコトと一尋和邇は同一人物かもしれない。

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*6:上記の脚注「和邇」を参照のこと

*7:上記の脚注「上國」を参照のこと

*8:当時の一日は日没まで。他の和邇が日を単位で返事をしているのに対し、一尋和邇は、問い尋ねられた日、その日の日暮れまでに往復すると返事をしている。現代語の「今日中に」より、さらに短いことに注意すべき

*9:小(さ)刀(ひ)と読める。また(ひ)が「氷」に通じる。「さひ」は賽の河原の「さひ」にも通じる。この場合の「賽」は、あの世、黄泉の国の出口を塞ぐ、この世とあの世を結ぶ出入り口であり、境界線である。

*10:隼人舞(はやとまい)

MEMO 憲法改正論議を本質論に変化させるために付け加えたい語句や記述

憲法前文に入れるべき言葉


「日本の歴史と文化の尊重」もしくは「三種の神器承継の精神を護持する」の語句。

 

「民族の存亡を賭して戦った日本史上唯一無二の本土決戦が沖縄で行われた」

 

「失われた領土」としての「北方領土」「竹島」の記述。

 

建国当初からの日本人の平和の誓いとして「日本が世界の、抑圧や差別、貧困や飢餓や恐怖に曝される人々を救う役割において人類の模範となりたい」との希望や抱負。

 

本文中に入れるべき言葉

 

「軍」「武力」

 

「国旗」としての「日の丸」、「国歌」としての「君が代

 

 

 

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古事記 山幸海幸⑤ 鹽盈玉と鹽乾珠 「淤煩鉤」には「倭の煩いの釣針」の意味が隠されている

事記本文:

即取出而清洗 奉火遠理命之時 其綿津見大神 誨曰之 以此鉤給其兄時 言状者 此鉤者 淤煩鉤 須須鉤 貧鉤 宇流鉤云而 於後手賜【淤煩及須須 亦宇流六字以音】 然而其兄作高田者 汝命營下田 其兄作下田者 汝命營高田 爲然者 吾掌水故 三年之間必其兄貧窮 若恨怨其爲然之事而攻戰者 出鹽盈珠而溺 若其愁請者 出鹽乾珠而活 如此令惚苦云 授鹽盈珠 鹽乾珠并兩箇 

 

読み下し:

即ち取り出し清め洗いて火遠理の命に奉りし時、其の綿津見の大神、誨(おし)えて曰く、「此の鉤を以ち其の兄に給わむ時に言わむ状(かたち)は、『此の鉤は、淤煩鉤(おぼち)、須須鉤(すすち)、貧鉤(まずち)、宇流鉤(うるち)』と、云いて、後手(しりえで)に賜え【淤(お)煩(ぼ)・須(す)須(す)、また宇(う)流(る)の六字は音を以ちてす】。 然りしかして其の兄、高田(たかた)を作らば、汝命(いましみこと)は下田(くぼた)を營(つく)れ。 其の兄、下田を作らば、汝命は高田を營れ。 爲然(しかす)らば、吾は水を掌(つかさど)るが故に、三年の間に其の兄、必ず貧窮(まず)しくあらむ。 若し其の爲然(しかす)る事を恨怨(うら)みて攻め戰かわば、鹽盈珠(しおみつたま)を出だして溺(おぼほ)らせ。 若し其れ愁(うれ)え請(こ)わば、鹽乾珠(しおひるたま)を出だして活(い)けよ。 如此(かく)惚(なや)ませ苦しませよ」と、云いて、鹽盈珠・鹽乾珠、并せて兩箇(ふたつ)授ける

 

現代文訳:

 釣針を取りだしてきれいに洗い火遠理の命に差し上げる時に、その綿津見の大神が教えて

「この釣針を持って、あなたのお兄さんに渡す時に、言葉を唱えるやり方は『おぼち*1、すすち*2、まずち*3、うるち*4』と言って、後ろ手でお渡ししなさい。【淤(お)煩(ぼ)・須(す)須(す)、また宇(う)流(る)の六字は、音をそのまま当て字にした。】そうして、あなたのお兄さんが高い場所に田を作るなら、あなた様は低いところに田を作りなさい。お兄さんが低いところに田を作るなら、あなた様は高いところに田を作りなさい。そうすれば、私は水を思いのままに出来るので、三年の間に、あなたのお兄さんは必ず貧乏になるでしょう。もし、あなた様がそうすることを恨みに思って、あなた様を攻めて戦うようであれば、鹽盈珠(しおみつたま=潮が満ち満ちてくる玉)を出して溺れさせ、もし、お兄さんがあなた様に慈悲を願うようであれば、鹽乾珠(しおひるたま=潮が引いて乾く玉)を出して、命を助けて上げなさい。このようにお兄さんを悩まし苦しめなさい」

と言って、鹽盈珠・鹽乾珠、あわせて二つを授けました。

 

参考:

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http://www.pmiyazaki.com/kagura/tamoto_jinjya/12/img/12_10.jpg

画像は次のリンク先に掲載のもので、画像自体がリンクになっております。

潮満珠(しおみつたま)|田元神社 祈年祭(春まつり)(神楽)

*1:「淤」は、泥であり、泥で塞がり、ぬかるんでいることを示す。淤煩鉤で「泥煩いをもたらす釣針」という事だが、Wo という音から「倭の煩い」という意味を含蓄する。それがわざわざ【淤煩及須須 亦宇流六字以音】古事記に注を入れた理由と思われる。なお、本件については、「淤岐嶋」について書いた次のブログを参考にして欲しい。

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*2:須(す)須(す)これも字面だけだと「必ずこうなる」という意味にとれるが、音の意味がある。年が経って古びて錆びてしまう、煤けるの意味だと解したい。

*3:貧乏になる釣針

*4:宇(う)流(る)は、「うるる、水でふやけてしまう」の他、uの音は「于」に通じて「干からびる」に通じる。水難を招く釣針の意味だろう

マルクスの共産主義は、聖典の社会に生まれた「無神論的人間理性崇拝」の一形態

自分達の信仰・信条を絶対正義として、その意見に反する者たちを「ファシスト」「レイシスト」と切捨てて矛盾も恥も感じない人々。
彼らこそが聖典の善悪二面論の世界で神を演じる共産主義者であり、ファシスト、差別主義者である。
つまり、共産党の指導が絶対正義のように扱われ、その指導に反する者たちを「敵」と断じて苛酷な扱いが出来るのは、聖典の善悪二面論の世界で神を演じているからだ。

++

聖典の世界観から逃れられないマルクスによって作られたのが共産主義。そこでは神を否定するが「人が神に代わる」。だから「独裁」が必要。また、聖典が善悪二面論だから、善の勝利のために階級闘争は必須となる。
共産主義の唯我独善の世界観はカルトそのものだ。平成31(2019)年1月28日のメモ。

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マルクス共産主義は、人は他の動物と同じく自然が生み出した進化の賜物ではなく、「神によって神のうつし身(神の子)として作られた」という善悪正邪二面論的世界観の支配する聖典の社会に生まれた「無神論的人間理性崇拝」の一形態だ。

そう、社会の矛盾が次の社会を生み出すという、進化論的な社会進化を論じたはずのマルクスは、ついに自分が生まれ育った聖典の世界を越えることはなかった。

 

だから、人が理論に基づき理性を働かせて社会を変革すれば理想郷が生まれ、そこでは「人間の情動全てがコントロールできる」。そのような空想(妄想)を抱いたマルクスが作った妖怪が共産主義といえる。人が神に代わるのだ。神を否定したうえで。だから「独裁」が必要なのだ。また、善悪二面論だから階級闘争も必要となるのだ。実際には、階級闘争の手段として、その帰結として、階級を指導するとされる独裁者や特権階級を産みだしてしまうにも拘わらずだ。

理想社会建設と言う目的のために手段を厭わない独善。嘘や暴力、抑圧や殺人を自己正当化し恥じることのない妖怪が誕生する。その事すら正当化してしまう。それが共産主義だ。

そう、階級闘争は神の率いる天使たちと悪魔の戦いを、共産党の指導による労働者・農民の資本家・帝国主義との戦いに模しているのだ。そこでは、正義が最後に勝利を収める運命(必然性)が説かれている。

 共産党の指導が絶対正義のように扱われ、その指導に反する者たちを「敵」と断じて苛酷な扱いが出来るのは、聖典の善悪二面論の世界で神を演じているからなのだ。演じるのは妖怪と化した人である。

自分達の信仰・信条を絶対正義として、その意見に反する者たちを「ファシスト」「レイシスト」と切捨てて矛盾も恥も感じない人々が身の回りにいないだろうか。彼らこそが聖典の善悪二面論の世界で神を演じる共産主義者であり、ファシスト、差別主義者である。共産主義者の本体をリベラリストの衣で隠していても、自らの信条を厚かましく正義として押し付けるその言動に、共産主義カルト特有の善悪二面論の本体が見え隠れするものだ。

 

 

マルクスは、人類史上最悪の殺人妖怪を生み出して世を去ったが、理想の実現に(人が神に代わる)独裁が必要と説いた矛盾は痛恨。その矛盾が歴史上で幾度も実証された後も狂信者は絶えず、自らの空想をアヘン化(教条化)することには成功したと言える。

そう、宗教はアヘンと言い、神を否定したはずのマルクスは、ついに科学となるべき自身の思想を実証できないカルトと化したのだ。

  

つまり、マルクスが生んだ共産主義は空想から宗教へ、さらに宗教からカルトヘと思想を変質させたことは、社会「科学」的に間違いないだろう。

習近平思想に沿ったマルクス主義などと評せられる動画を作る「社会」を見れば、それがよくわかる(笑)

 

 

www.cnn.co.jp

 

上記記事を見て思いついたことをFBとブログにメモしておくこととしたのが、この文章だ。

 

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新しいカール・マルクスのアニメ「領風者」の宣伝ポスター/Communist Youth League

 

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