kaiunmanzoku's bold audible sighs

Be love Be peace Be harmony Be compassion Be joy

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.

日本古代史の謎を解くカギは、中世沖縄語の「を」だった。

陳侃の使琉球録に記載してあった「倭的毎」は、その記載の当時「をーつめぃ」と読み、沖縄に置いて皇帝を意味する言葉の「音」を表記する3文字であった。

意味は「皇帝」であり、「大王」のことだ。

 

中世沖縄で「を」を明の官吏に読ませるために充てた漢字が「倭」であり、「倭的毎」を「Wotsu mi(mee)」と読むインスピレーションを得たことから倭的海「わたつみ」が出てきた過程は下記のブログを参考願いたい。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

その後、海佐知山佐知の話や因幡の白兎の考察を通して、この二つの神話こそが、倭が渡り来たという意味の Woto つまり「をと」「うと」「おと」の音を持つ土地とともに日本人のルーツを伝説の形で後世の日本人に残すために意図された物語ではないかと思っている。

 

今では、倭度(woto)、的海(tsumei)の意味が隠れているのではないかと考察を続けている。日本人が渡る海の意味だ。

 

当時の沖縄語の発音がカギとなって、日本古代史の謎が解けたのなら、それこそ沖縄が「わたつみ」の国である最大の証拠といえるのではないだろうか。

 

f:id:kaiunmanzoku:20150622113454j:plain

f:id:kaiunmanzoku:20151001101602j:plain

陸の真っただ中に海渡(うと)

【陸の真っただ中に海渡(うと)】

広島県三次市に「海渡(うと)」の地名があることを知った。
広島と言っても、鳥取との県境に近い陸の真っただ中である。
しかも「帰海寺」という寺もある。木造薬師如来坐像広島県重要文化財と書いてあり、大国主のウサギへの治療が日本最初の医術という考え方からすると、兎との関連を想像できて興味深い。


菟度和邇上 うさぎが丸木舟に乗って海を渡り来る「因幡の白兎」の物語に隠された意味、つまり倭と呼ばれる日本人がわたつみ(倭度的海)を渡ってきた記憶を指し示しているような気がする。

f:id:kaiunmanzoku:20161210112445p:plain

上記画像は ほしはら山のがっこう  を開くと出てくるもの。

仏像の説明は下記

広島県の文化財 - 木造薬師如来坐像(三次市海渡町) - 広島県ホームページ

「漢委奴国王印」は、東ユーラシア大陸出身の倭族が渡って打ち立てた国、鵜戸の国、その国の王の印

漢委奴国王印

の「漢の委の奴の国王の印」という表現は、

 

漢(から)の菟(倭)が度りし鵜戸の国、その国の王のしるし

 

という意味で捉えるしかない。

ユーラシア大陸出身の倭族が渡って打ち立てた国、鵜戸の国、その国の王の印

という意味である。

 

海を渡る「海渡」と書いて、「うと」と読ませる地名と人名が存在することは間違いないだろう。

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

「漢委奴国王印」の「委奴国」は倭が渡って来た国という意味の「をとのくに」だ。

 一般に「かんのなのわのこくおういん」と読まれている「漢委奴国王印」の話だ。

漢委奴国王印(からのをとこくおうのいん)」の「委奴国(をとこく)」は倭が渡って来たという意味の「倭度woto=をと)」であり、「をのとこく」「をとこく」「をとのくに」等の倭一族が渡り住んだ土地の意味で読まれるのが正しい。という可能性がいっそう高まったと思う。

なお、一般に「かんのなのわのこくおう」と読まれている「漢委奴国王」の金印の読み方については、先に異議を唱えてあるので、この「をとこく」の読みについては下記の漢委奴国王」の金印の復習でを参考願いたい。

からのをとのくにのこくおうのいん」と読み、漢(から)からわたってきた倭族の国という意味だ。倭族の国というのが「鵜戸の国」に符合するはずだという意味である。

「漢(から)の倭(wo=を)が、漢からわたつみ(東シナ海)を、って、作った、そのである。

先のブログで委奴国」は鵜戸にあったとしたが、今回の古事記の「因幡の白兎の考察」で、稲を持った稲羽の*菟が和邇と呼ばれる丸木舟を連ねて日本へやってきたという寓意を発見して、「委奴国は鵜戸説」への少々の裏付けが出来、「委奴国は『をとのくに』と読む説」についての根拠は強化できたのではないかと思っている。

 

兎が度る(ウサギが渡る)という意味の「菟度(うと)」という言葉と、「和邇」が連なって「菟」がその上を渡り来るという話を、寓意を込めた神話や地名として未来に残そうとした日本人の祖先たちの遠大な意図を感じる。

それが、「をとのくに」という倭が渡ってきた国というを残したかった古代日本人の思いに対して、敬意を払うことが私の立脚点だ。九州各地に残る「うと」という地名と因幡の白兎の神話である。

 

f:id:kaiunmanzoku:20140108014736j:plain

++++++++++「漢委奴国王」の金印の復習++++++++++

誰もが中学の歴史で学んだ、志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印のことをおさらいしよう。「漢の倭の奴の国王(かんのわのなのこくおう)」と読むことになっている。

1.この金印は、天明4年(1784)に発見され、委奴国とは「後漢書倭伝」の倭奴国のこと。つまり、博多湾西側の糸島半島の、8世紀以後、怡土郡とよばれた「魏志倭人伝」の伊都国ではないかとされている。この場合、倭奴国は イト国と読むはずだ。

2.しかし、「倭奴国」をイト国と読まずに「倭の奴国(わのなこく)」と読 むという。理屈はこうだ。「魏志倭人伝」には、二つの奴国がある。一つは、博多に相当する奴国で、もう一つは、女王の支配する領域の一番南にある奴国。その南には狗奴国があると考える説だ。

その場合、「倭奴国」という3文字は、「伊都国」ではなく、「倭の奴国(わのなこく)」を表すとして、「漢の倭の奴の国王」と読むというのだ。

 

この 1.2.の考え方にはそれぞれ問題がある。

1は「倭奴国倭国の一番南の地である」という上記の 「後漢書倭伝」と矛盾する。

2は ふたつの「奴国」の存在の証明と「倭の奴国(わのなこく)」と読む不自然さである。

 

私は、「倭」を wo (を)と発音する事実から次のように推測する。

倭奴国は、鵜戸にあった。古代日本で、倭奴は「をと」と呼ばれていた。

これは、「後漢書倭伝」の位置に沿う解釈であり、ふたつの「奴国」の存在を証明する必要がない。古事記日本書紀にも矛盾しない説明ができる解である。

 

「倭」と「委」は同音である。wo が 「倭」あるいは「委」として、用いられて不思議はない。後世になって「倭」や「委」が日本で「ワ」と発音されるに至って、元の音に近い「鵜」と言う文字が充てられるようになったのであろう。

「奴」も同様と考える。15世紀の沖縄で nu ではなく、to と発音されていたと推測される*ことから、トの音、あるいはトが変化したドの音が「戸」に代えられたのだろう。

当然、「後漢書光武帝本紀」の中元二年(57)正月に、使いを遣わした「東夷倭奴国王」と、「後漢書安帝本紀」の永初元年(107)の冬十月に使いを遣わした「倭国」とは同じ国の使節と解釈できる。

女王卑弥呼のいた「奴国」も同じ国だ。

倭奴国は、ヲト国、をのとこく である。

以上は下記に述べている通り

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

2016年12月5日 『(から)のが、漢からわたつみ(東シナ海)を、って、作った、そのである。』の一文を追加した。

 *菟が和邇と呼ばれる丸木舟を連ねて日本へやってきたについては下記を参照願います。(2016年12月5日付記)

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

2016年12月30日追記:《「倭」と「委」は同音である。wo が 「倭」あるいは「委」として、用いられて不思議はない。》と上記に書いたが、「倭」から人偏(ニンベン)「亻」をわざわざ外し「委」として、「倭」を表現した、そのことにもっと注意を払うべきだろう。

 

kaiunmanzoku.hatenablog.com

和邇とは船だ(船は和邇である)と因幡の白兎の物語に書いてある

和邇とは船だ(船は和邇である)と、因幡の白兎の物語*に謎々の形ではっきり書いてある。

 和邇が列をなして伏す場面(和邇列伏)がそれである。以下に原文と読み下しを記す*1

 ++++++++ 古事記引用 ++++++++

菟答言 僕在淤岐嶋 雖欲度此地 無度因 故欺海和邇【此二字以音 下效此】言 吾與汝竸 欲計族之多少 故汝者隨其族在悉率來 自此嶋至于氣多前皆列伏 爾吾蹈其上 走乍讀度 於是知與吾族孰多 如此言者 見欺而列伏之時 吾蹈其上讀度來 今將下地時 吾云 汝者我見欺

 菟答えて、「僕は淤岐の嶋に在りて、此の地に度らんと欲うと雖ども、度る因無かりき。 故、海の和邇【此の二字は音を以ちてす。下、此に效え】を欺きて、『吾と汝と竸べて、族(うがら)の多き少きを計らんと欲う。 故、汝は其の族の在りし隨に悉く率て來て、此の嶋より氣多の前に至るまで、皆な列み伏し度れ。 爾くして吾、其の上を蹈みて、走りつつ讀み度らん。 是に吾が族と孰れか多きを知らん』と言いき。 如此(かく)言いしかば欺かれて列み伏す時に、吾、其の上を蹈みて讀み度り來て、今將に地に下る時に、吾、『汝は我に欺かれたり』と云いき。

+++++++++ 引用終わり +++++++++

和邇が(皆)列をなして伏す状態、和邇列伏 (わにれつをなしてふす)を(「わに」に「伏」をつらねる)と読んでその通り並べてみると、実際には縦書きだが、

和邇和邇 和邇和邇 和邇和邇

となる。このままでは解り難いので平仮名にすると

わにふわに わにふわに わにふわに

という状態だ。これを「してれ其の上を蹈み、走り乍がら讀み度り」に何か意味(ヒント:「爾吾」は、和邇が逆さになっている。その上を踏み・・)があることを発見し、和邇和邇ではなく和邇伏邇和(「邇」「爾」は「ね」の音、「吾」にも「わ」の音がある)とすればよいと気付く。

わにふねわ わにふねわ わにふねわ

ここまでくれば、

 船は鰐 船は鰐 船は

と読めるようになる。

 

なお、」とは縦のものが横になる意味で、

縦書きの「和邇2頭の間に「」を入れ(つらね)、

2頭の和邇の頭の「和」の字を右横と左横に置いて(伏せて)、

和邇邇和 和邇邇和

と解釈した次第である。ちなみに、右から読んでも左から読んでも船は鰐と読める。

 

上記を図解的にすると下記の通り。

縦書きで書き 頭の和の字を伏せ 横書きにして(伏せて)続けて読む

和 和
 ➡ 和邇邇和 和邇伏邇和和邇

      わにふねはわにふねはわに

 

和邇」に「伏」を列ね和邇和邇として、

「爾吾」と和邇が逆さになっている「爾して吾れ其の上を蹈み、走り乍がら讀み度り」

部分をヒントとして、和邇伏邇和 と「邇和」を列ねてその上を走りながら読み渡る

のであろう。

 

 

*私が説明した「因幡の白兎の物語」については、下記を参照願います。

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (1)

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (2)

とうとう最後のあなたに衣を全て脱がされて -因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (3)

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (4)

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 解説 

(付録)因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 

稲を持ちし倭、丸木舟の上を渡る 

f:id:kaiunmanzoku:20161203173443j:plain

写真はネイティブアメリカンの丸木船としてWebに紹介されているもの

ネイティブ アメリカンの丸木舟

 

  和邇が列をなして伏す場面については、とうとう最後のあなたに衣を全て脱がされて古事記本文(漢字文)と読み下し文をご参照願います。

 

 

2016年12月10日 

和邇」に「伏」を列ね「和邇和邇」として、

「爾吾」と和邇が逆さになっている「爾して吾れ其の上を蹈み、走り乍がら讀み度り」

部分をヒントとして、和邇伏邇和 と「邇和」を列ねてその上を走りながら読み渡る

のであろう。

と、当該部分の説明を上下の行を対照しながら読めるように書き直した。

*1:読者の便宜のため2017年8月31日にこの部分を追記した

稲を持ちし倭、丸木舟の上を渡る 因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 まとめ

「兎度和邇上」*和邇の上を渡るウサギは因幡のウサギ「因幡之菟」なので、

稲羽(稲穂)之菟(倭)和邇」稲穂の倭、和邇の上を度る

稲を持ちし倭、丸木舟の上を渡る)とすれば、意味が一層鮮明になる。

 

稲穂を持った日本人の祖先たちが、和邇と呼ばれていたウツホフネを多数連ねて、わたつみ(東シナ海)を渡って来る様子が見えるようである。

 

和邇と船は同じ(船は和邇である)ことは、この因幡の白兎の物語に謎々の形ではっきり書いてある(次章の「和邇とは船だ(船は和邇である)と因幡の白兎の物語に書いてある」を参照願います)。

 

 

和邇であるウツホフネに「菟乍歩伏寝」あるいは「菟乍穂伏寝」という意味が隠れているとしたら、稲を持って移動する船の中で伏し寝ながら、日本へと渡って来たことになる。

 倭が渡ってきた土地を「菟が度る」つまり「うと」と呼ぶ。その地名は九州を中心に多く存在する。有名な「鵜戸」であれば、山幸彦が豊玉彦が支配するわたつみの国から鰐に乗って帰り着いた場所とほぼ一致する。

この因幡の白兎は、天孫と共に稲穂を持って日向の国に降りて来た一族だ。

天孫降臨の話で、

邇邇藝命(ににぎのみこと)に和邇の「」の字が充てられていることと、符合する話に違いないと思っている。倭と邇でわたつみを度ること。和邇という表現が船と操船手の両方を指すのは、おそらくそのためであろう。

 

関連する日本書紀の読み下し文を下に記すと、

天照大神は手に宝鏡(たからのかがみ)を持ち、天忍穂耳尊に授けて、「我が御子よ、宝鏡を視ること、まさに猶(なお)我を視るが如くすべし。與(とも)に床を同じくし御殿を共にし、以ちて祭祀の鏡とされよ。」と祝福し、天児屋命太玉命に、「惟(これ)爾(いまし)二柱の神、亦(また)同(とも)に殿の内に侍(さぶら)いて、善く防ぎ護るをいたせ」と勅す。
また、「我が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以ちて、また、まさに我が御子に御(しら)せまつるべし。」と勅す

とある。

 「惟爾二柱の神亦同に殿の内に侍いて」の表現の中には和邇が潜んでいるようだ。

穂を以ちてまたまさに我が御子に御せまつるべし」には稲穂だけではなく我が御子(倭)がいる。

 

まるで、時と場所を変えて同じドラマが上演されているような気がするのは、古事記が日本人の歴史的大事件を何度も何度も繰り返し伝えようとしているからではなかろうか。

本稿では余談となるが、上記の様に考えをめぐらしていくと、天孫降臨

「天八重雲(あめのやえくも)を押し分け、稜威(いつ)の道(ち)別き道別きて、日向(ひむか)の襲(そ)の高千穗峯(たかちほのみね)に天降き」

に出てくる「天八重雲(あめのやえくも)」とは海原の波風で、「道(ち)」とは海の道と考えた方がよさそうである。

 

「wo(う)」「わたつみ」と「ウツホフネ」については、すでにいろいろ述べてきているので、それぞれを参考にして欲しい。

 

「wo」について

日本各地に残る”u”と発音する地名(例えば「宇」「鵜」「于」他)は、『倭の』という意味を持つ。倭は”wo”と発音した。

 

 陳侃の『使琉球録』雑記 『わだつみ』と読める『倭的海(日本の海)』と書き、16世紀の明人にチャイナ語で発音させれば、中世沖縄方言の『皇帝』になる 

 

 ウージ(サトウキビ)は倭蔗(wozhe)が語源 

 

皇帝「倭的毎」は、倭大海 倭太陽を音にした、「海神(わだつみ)」の伏字?古代における「大日神」の読みが「大海神」と同じだ! 

倭奴国は、鵜戸にあった。 沖縄方言から推測する事実:古代日本では「倭」を wo と発音していた 

 

狗奴国は gauto koku と呼ばれ、「そねむ弟の国」の意味で、鹿児島県志布志市の地名「猜ヶ宇都」に名を残している通り、志布志市付近にあった 

 

「わたつみ」と「ウツホフネ」:

山幸彦は空船(うつほふね)? 鹿児島神宮として知られる大隅正八幡宮の「大隅正八幡宮縁起」の考察 

 

古代日本と琉球 海彦(海佐知)と山彦(山佐知)の物語を解釈する

 

海幸彦と山幸彦の物語(1)天孫降臨 

海幸彦と山幸彦の物語(2)海幸彦と山幸彦の誕生 

海幸彦と山幸彦の物語(3)道具の交換 

海幸彦と山幸彦の物語(4)わたつみの国 

海幸彦と山幸彦の物語(5)山幸彦の帰国 

海幸彦と山幸彦の物語(6)海幸彦の服従 

海幸彦と山幸彦の物語(7)神武天皇の誕生まで 

 

琉球王国の家紋は宇佐八幡宮の神紋と同じ

 

大隅正八幡宮(鹿児島神宮)の「太陽神の子供」と宮古の伊良部島の昔話「太陽神の嫁」の酷似 

 

天孫降臨 日向三代 海幸彦と山幸彦 海神(わたつみ) 宮古の伊良部島の「太陽神の嫁」 大隅正八幡宮(鹿児島神宮)の「太陽神の子供」

 

f:id:kaiunmanzoku:20161202145135p:plain

f:id:kaiunmanzoku:20161202134745p:plainf:id:kaiunmanzoku:20161202145230p:plainf:id:kaiunmanzoku:20161202145318p:plain

 2016年12月3日 和邇の謎々の説明を追加した。

同日午後 追加した「和邇の謎々の説明」をこの章から除くことにした。和邇の謎々は「和邇とは船だ(船は和邇である)と因幡の白兎の物語に書いてある」と題して、別途に次の章で説明することにした。

 *2016年12月4日参考注意書きを追加: 「兎度和邇上」*は、「爾吾蹈其上」(しかして あれ そのうえを ふみわたる)として、下記の中で説明しておりますのでご参照ください。

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 解説 - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

 画像イメージは、web上で拾ってきた瓊瓊杵尊に稲を託す天照大神の画像を用い、瓊瓊杵尊因幡の白兎に代えて合成してある。

(付録)因幡の白兎 兎と鰐 大国主命

読者の便宜のため、超訳と現代語訳を下記に示します。

なぜ、こんな物語になったかを知りたい人は、この日より前に書いてある

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命(1)~(4)」

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 解説」

を参考にして下さい。

++++++超訳++++++

大国主命 の兄弟は大国主をのけ者にして、「国」とはあいつには不相応だとばかり、

大〇主(大穴文字=大穴牟遅)と「国」の字を抜いて呼んでいた。

八上姫をものにしようとみんなで稲羽に出かけたときも、大穴牟遲神にだけ袋を持たせ従者として従えて行ったくらいなんだ。

 

裸のウサギに、「そのひどい日焼けを治すのには、海水を浴びて風にあたると良いから、高い山の風当たりのよい尾根で横になっていなさい」と大国主の兄弟たちが教えた。だからウサギは教えられた通りにした。

そうしたら体中の皮が剥けて、そこに塩が入るものだから痛くて痛くてヒーヒー涙を出しながら悶え苦しんでいたら、最後に大穴牟遲神がやって来て、聞いたとさ「なぜ泣いてるの」って。

 

和邇 とは、私(吾)と貴方(爾)のこと。

誰と出会っても恋に落ちず、強く惹かれる人もなく、「私の貴方(和邇)、私の貴方(吾が爾)、私の貴方(吾が汝)、私の貴方(わたしの愛しい人)、と大勢の男を騙して、ここまで来たのに、最後の最後に、大穴牟遲神様、貴方に衣を全て脱がされちゃったわ」

 

私、騙したつもりの元カレに騙されて日光が降り注ぐ浜に連れて来られ、いつのまにやら裸に剥かれちゃって、気が付いたら浜辺で気絶していたのね。だからひどい日焼けだったの。

 

日焼けをあなたの兄弟の教えてくれた方法で治そうとしたら、火傷が重症化して全身真っ赤々になっちゃったわよ。これじゃ赤肌のウサギだわ。もうやってらんない。

でも、貴方に教わった方法で日焼け治療を試したら、元の色白美人に戻れたわ。

とっても嬉しい。 大穴牟遲神さま(⋈◍>◡<◍)。✧♡とっても素敵。

 

貴方の兄弟も、貴方様までもが、私が八上姫本人だと気付かなかったかもしれないけれど、知識豊富でやさしい貴方、大穴牟遲神さま、私はあなたと結婚します。

 

++++++現代語訳++++++

このオオクニヌシノカミ(大国主神)と言う方には兄弟が大勢いらっしゃった。

しかし、この兄弟がみなオオクニヌシノカミの「国」の字を抜いてオホアナムヂノカミと呼んで、のけ者にしていました。

のけ者にしていたという意味は、兄弟たちは皆それぞれに稲羽に住んでいた八神姫に求婚したいと思って、そろって稲羽に出掛けたというのに、オホアナムヂノカミ(大穴牟遲神)だけには(兄弟皆の)袋を持たせ、従者として引き連れていたということでもおわかりいただけるでしょう。


気多の岬まで来たとき、肌をさらけ出した兎が伏せっていました。

 

裸のウサギ(兎)に出くわしたオホアナムヂノカミの兄弟である大勢の神様たち(八十神)はそのウサギに「あなたがまずなすべきことは、この海の潮を浴び、風にその身を曝すことだ、だから高い山の尾根の上で、横になっていると良い」と仰られた。

そのウサギは八十神の教えのとおりに伏せていたが、海水が乾くにつれて、体中の皮のことごとくを、風が吹き裂いて開き、剥き出しにしてしまった。

そういうわけで痛みに苦しんで泣き伏していると、最後に現れたオホアナムヂノカミ(大穴牟遲神)が、そのウサギの様子を見て聞いた「なぜ泣き伏しているのか」と。

 

 

ウサギが答え申しあげるには


「私は淤岐嶋(おきのしま)に住んでいました。こちらに渡ろうと強く思ってはいましたが、そのはっきりとした理由があったということもなかったのです。

だからワニを欺(あざむ)いて渡ってやろうと思ったのです。

だから、ワニにこのように言ったのです

『私とあなたたち一族とを比べて、どちらが同族が多いか数えよう。できるだけ同族を集めてきて、この島から気多の前(けたのさき)まで並び伏しておくれ。そうしたら私がその上を踏みわたり、走りながら数えるよ。そうすれば、あなた方の一族と私の一族とどちらが多いか知ることが出来るだろう』と。

すると、この言葉を信じたとみえて、欺(あざむ)かれたワニは列をなして伏したのです。私はそのワニの上を踏んで数えながら来て、この地に下りようとしたそのときに、私は『お前たちは欺(だま)されたのさ』と言い終えようとした、その時、列の最後にいたワニが私を捕えて、衣服をすべてはぎ取ってしまいました。」

 

 

このような理由で泣き患っていたところ、先に行った八十神たちが『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と教えてくださったので、その通りにしたところ、この身は全身まるまる傷だらけとなりました」と申し上げた。

そこで、オホアナムヂノカミがウサギに

「今すぐ川水が注ぎ出ている場所まで行き、真水で体を洗い、その川水の出口に生えている蒲(がま)の穂をとって敷き散らして、その上を転がってその花粉をつければ、膚はもとのように戻り、必ず癒えるだろう」と教えた。

そう教えられたとおりにすると、その体は元通りになりました。

これが、稲羽の素兎(しろうさぎ)である。

今では、兎神(うさぎかみ)といわれている。

そのウサギは大穴牟遲神に

「貴方の兄弟たちである八十神は八上比賣(やかみひめ)を絶対に得ることはできません。袋を背負って従者の成りをしておいででも、あなた様が姫を得られることでしょう」と言った。

そのとおり、八上比賣は八十神に

「あなたたちの求婚の言葉をお受けしません、大穴牟遲神と結婚いたします」と言った。

(了)

 

f:id:kaiunmanzoku:20161201185840j:plain

 

2016年12月5日6日 和邇和邇和邇の説明部分は、和邇(私の貴方)の方が分かりやすいのでその趣旨が分かるように訂正した。その言葉を「男たちを騙す言葉」として表現し直した。

 

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 解説

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命」(1)~(4)として紹介した私の訳を解説する。

私が因幡の白兎を考察してみようと思ったのは、日本人のルーツに係わる事実がこの物語に隠されていると思ったからで、先に自分なりに考察してみた海幸彦と山幸彦の物語との共通項がいくつかあったのが、そう思った理由である。

共通項の代表が「ワニ」だ。

 

 思えば、「倭」に wo という音があって、後に

「う」と発音され「鵜」「宇」「」「」に変化し、

「を」や「お」と発音され「御」「尾」「」等になり、

「わ」と発音され「」「」「輪」「」「我」「」に形を変えた。

それらの字が「倭族」「ヤマト」「日本」「私」「我々」「我が一族」等の意味を持つと気付いたことが、日本人がどこからやってきたのかを知ろうと思ったきっかけである。

History / Japan 日本各地に残る”u”と発音する地名(例えば「宇」「鵜」「于」他)は、『倭の』という意味を持つ。倭は”wo”と発音した。 - kaiunmanzoku's bold audible sighs

 

したがって、私の因幡の白兎の解釈はその部分を中心として解説することになるが、私には謬説を拡散する意図はなく、門外漢だけが提供できる面白い視点こそが、その意図するところだと予めお断りしておく。

 

+++++以下は、私の因幡の白兎の解釈+++++

スサノヲの第6代目の子孫である大国主は、高天原から天の岩船(猿田彦が案内人)でやって来た種族であり、その一族は、この物語の時代までの長い間に八十神と呼ばれるぐらい多くの種族に増え、分岐して、日本列島を行き来していた。既に日本の各地域間の交易が盛んになっていたからだろう。

これに対して天の岩船に少し遅れて来た種族がいる。その一つ因幡の白兎、ウサギ族は海の向こうの国から、多くのウツホフネ(菟乍歩伏寝)を連ねて、幾夜となくその船の中で寝起きしながら、わたつみを越え渡って来た種族である。特に因幡のウサギの一族は稲穂を日本に伝えた種族として特徴のある一族である。稲羽とは「稲を伝えた倭族」の意味であり「稲を伝えたのは我々」という主張を持つ。

私は、同じ倭族に天の岩船グループとうつほ船(空船)グループがいると思っている。 

天の岩船が猿田彦が案内人で長江河口付近から北九州・五島列島朝鮮半島に、ウツホフネはシオツチノカミが案内人で長江以南の福建付近から、西南諸島・南九州にたどり着いたと推測している。

ウツホフネを操る人々は「をに」とも呼ばれる海の一族だが、ウサギと同じ倭族だ。「をに」という音に充てられる「和邇」という漢字は、倭という意味をもつ「和」という文字と、汝という意味を持つ「爾」に、道や歩いたり進んだりする意味を持つ「しんにょう」が合体した「邇」、という二文字からできている。つまり「倭である『私』と『貴方』が一体になって日本に『やって来た』」という意味だ。和邇」とは、物語の中で「私と貴方は同族」と読者や聴衆に伝えている漢字表現である。わざわざ、これ音を以て二字とする、下はこれに倣う(此二字以音、下效此)と伝えなければならない意図を感じるのである。

 

兎度和邇ウサギが ワニ上を 渡る)と言う意味を持つと考えられる「兎度」「鵜戸」「宇土」「宇都」「宇戸」「宇渡」「委奴」等のうとには、多くの丸木舟を連ねそれらに乗って日本列島に倭が渡ってきたという意味がある。特に地名は九州に多く認められる。

南方から、稲を伝えた栄誉ある倭族は、この物語の時代になって九州から因幡に移り住んだのだろう。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

大陸の長江以南の地から、南西諸島を経て何日も洋上で過ごす移動であれば、日本の九州に上陸する頃には、衣服はボロボロとなり肌が剥き出し裸のような状態になることは想像できる。
ひょっとしたら、重度の日焼けを防ぐために倭人の仲間同士で衣服の奪い合いがあったかもしれない。
ウサギの語る「をに」に衣服を取り上げられたという表現や、日焼けで体が真っ赤になり、赤い、裸のあかはだのうさぎ)になっていたという表現も、そういう過去の言い伝えや記憶を物語の形で留めるものに違いない。
しかし、「をに」は単なる加害者ではない、ウサギと和邇は同族だから「をに」も同じように肌が真っ赤な状態だった。それは「をに」を「倭丹Woni)」と書き表せば、「私は赤い」という意味になり、それは「赤鬼」そのものだということでわかる。
つまり、日焼けした倭人こそが和邇(をに)なのである。蹈其上(しかして あれ そのうえを ふみわたる)は、なんじあれ)蹈其上(そのうえをふみわたる)と読んで、「貴方と私は一緒に協力して其の上(ウツホフネ)に乗って(日本に)来ました」とも解釈できるのだ。
上で説明した「和邇」の漢字の作りと前の章で説明した「」の縁結びを併せて味わっていただきたい。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

 

さて、ウサギは八十神のアドバイスを例に挙げて

「一族がこの地に住むようになってから、いろいろな種族と交わってまいりましたが、取り立てて親切にしてくれる人々はなく、文化の違いで役に立たないことや、害になってしまうことが多かった」

と話している。

物語の

「『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と言われてそうしたら、全身まるまる傷だらけとなりました」

という下りだ。

これは、一族の繁栄のためには、この地で生き抜く知恵と力を持った他の一族ともに国を治めるのがウサギ一族の未来のためだという判断だろう。回りくどいが、因幡の白兎が一族のリーダーの姫である八上姫の配偶者を探す側から一族の置かれた政治的社会的環境を述べていると言えるだろう。

一方、八上姫を娶る側の八十神や大国主にすれば、農耕技術を持った一族との共同統治という魅力ある話なのである。

 

私が紹介した、因幡の白兎の具体的エピソード、超訳と現代語訳は、おおよそ上記のような考察を経たうえで書いたものだ。

 

まだ、少女で子供だった八上姫は、一族のために良き伴侶を得なければならないと思ってはいたが、その実感がわかずにいた。多くの立派な男たちが姫を訪ねて求婚を申し出てくれるが、恋に落ちるどころか、この人ならと強く惹かれる人すらいなかった。

この「雖欲度此地、無度因」の表現は下記の章で解説済みだ。

とうとう最後のあなたに衣を全て脱がされて - kaiunmanzoku's bold audible sighs

だから、大勢の男たちに気のある振りだけをして

私の貴方(和邇)、私の貴方(吾が爾)、私の貴方(吾が汝)、私の貴方(わたしの愛しい人)

と言っては、騙してきていた。

この様な言い回しで男たちを騙す言葉こそが和邇和邇和邇和邇の上を渡っていく兎なのだ。

和邇は、爬虫類の鰐でもなく、魚類の鰐ざめ、鮫でもない。

日本人の記憶を秘匿する意味では船であり、物語の表層からちょっと奥に秘められている寓意の上で和邇とは八上姫と求婚者、二人の事であり、騙す言葉のことである。

しかも、)がその気になれば縁が結ばれるという約束のことである。

ついに、業を煮やした求婚者の一人が八上姫を騙して、裸に剥いて、火傷に近い日焼けを負わしめたのだ。この下りは前述の「因幡の白兎 兎と鰐 大国主命(4)」を参照願いたい。

 

 物語のその次の下りは、役に立たなかった八十神のアドバイスと、役立った大国主のアドバイスの比較である。ここも前述の「因幡の白兎 兎と鰐 大国主命(4)」を参照して下さればよい。

kaiunmanzoku.hatenablog.com

超訳だけで示すと、

「日焼けをあなたの兄弟の教えてくれた方法で治そうとしたら、火傷が重症化して全身真っ赤々になっちゃったわよ。これじゃ赤肌のウサギだわ。もうやってらんない。

でも、貴方に教わった方法で日焼け治療を試したら、元の色白美人に戻れたわ。とっても嬉しい」

 となる。

この部分で、私が注目したのは、八十神も大国主も、そしてウサギですら水上を移動する手段とその文化を持っていたと推測できる根拠となる「水門(みなと)」という言葉だ。船に乗った人から見てのような地形、役割をしているから水であろう。どう考えても、水上生活者の視点であり、陸上生活者の視点から出てくる単語ではない。船で出入りする者の視点でこそ「門」と言い表せるが、徒歩で歩く者にとっては「障害」なのが、「河口」である。

大国主も八十神も「此水門(このみなと)」まで船を用いてきたのだろう。そして、鰐やら鬼やらとなにやら凶暴な名前で呼ばれれてはいるが、鰐や鮫でも鬼でもないもの達もいただろう。そのもの達は、交易船とその操り手であった「をに」である。水門という名がある以上、そこに間違いなくいたに違いない。何頭も、あるいは何隻も何人もいただろう。

そんな河口に、全身が真っ赤に腫れ、その皮がめくれ、体力が弱っていた少女が、一人で治療のためによろよろと潮や水を浴びに行っても、凶暴な鰐や鮫の群に襲われる危険は万が一にもなかったはずだと想像できるのである。

 

的確なアドバイスを受けた八上姫「あかはだのうさぎ」は、元の通りの白うさぎとなって、大国主命に「姫(である私)は貴方と結婚を約束します」と、この時には目の前の白兎こそが八上姫であることを気付かぬままの大国主に告げる。

この言葉が発せられた時こそが、大国主の優しさと豊富な知識が、まだ日焼けが似合うような少女でしかなかった八上姫の恋心を目覚めさせ、一人前の女性として結婚を決断した時であり、いたいけな少女が色白の美しい大人の姫君として変貌した瞬間である。これが、因幡の白兎が兎神(うさぎかみ)として祀られるきっかけとなる。

やがて、館で公式に対面した時、八上姫は八十神の求婚を正式に断り、大国主と結婚する旨の強い言葉を世間に公表する。

 

このアカハダノウサギ(日焼けした女児)がシロウサギ(美しい乙女)へ変貌する様、少女が女神になった瞬間のきらびやかさへの驚きこそが、この物語の白眉であり、長々と伝えられてきた理由の一つであろう。

 

以上が、私の因幡の白兎の解釈です。

 

 

f:id:kaiunmanzoku:20161201185840j:plain

f:id:kaiunmanzoku:20050711125426j:plain

 

 2016年12月5日6日 和邇和邇和邇の説明部分は、和邇(私の貴方)の方が分かりやすいのでその趣旨が分かるように訂正した。その言葉を「男たちを騙す言葉」として表現し直した。

 

 

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (4)

 

超訳

私、騙したつもりの元カレに騙されて日光が降り注ぐ浜に連れて来られ、いつのまにやら裸に剥かれちゃって、気が付いたら浜辺で気絶していたのね。だからひどい日焼けだったの。
日焼けをあなたの兄弟の教えてくれた方法で治そうとしたら、火傷が重症化して全身真っ赤々になっちゃったわよ。これじゃ赤肌のウサギだわ。もうやってらんない。
でも、貴方に教わった方法で日焼け治療を試したら、元の色白美人に戻れたわ。とっても嬉しい。 大穴牟遲神さま(⋈◍>◡<◍)。✧♡

貴方の兄弟も、貴方までもが、私が八上姫本人だと気付かなかったかもしれないけれど、知識豊富でやさしい貴方、大穴牟遲神さま、私はあなたと結婚します。

 

+++++読み下し文+++++

此れに因りて泣き患(うれ)ふれば、先に行きし八十神之命(やそかみのみこと)以(も)ち、誨(をし)へ告(の)りたまわく、『潮(うしお)を浴(あ)み、風に当たりて伏せよ』と。故、教えの如く爲(せ)しかば、我が身悉く傷(そこな)はれぬ」と。

是に於いて大穴牟遲神、其の菟に教へて告りたまわく、

 「今急(すみ)やかに此(こ)の水門(みなと)に往き、水を以(も)ち汝(な)が身を洗ひ、卽(すなわ)ち其(そ)の水門(みなと)の蒲黃(かまのはな)を取り、敷き散らして、其の上に輾(こ)い転(まろ)ばは、汝の身本(もと)の膚(はだ)の如く必らず差(い)えむ」と。

故、教えの如く爲(せ)しかば、其の身本(もと)の如くなり。

此れぞ稻羽(いなば)の素菟(しろうさぎ)なり。

今においては菟神と謂うなり。

故、其の菟大穴牟遲神(おほあなむぢのかみ)に白(まを)さく、

此の八十神は、必らず八上比賣(やかみひめ)を得じ。帒を負(お)ひたまへども、汝命(いましみこと)之れを獲(え)たまはむ」と。

是(ここ)に八上比賣において、八十神に答へて言はく、

「吾(あれ)は汝等(いましたち)の言(こと)を聞かじ。将に大大穴牟遲神に嫁(あ)はむ」と

 

+++++古事記本文+++++

因此泣患者(1)、先行八十神之命以誨告浴海鹽、當風伏。故、爲如教者、我身悉傷。於是大穴牟遲神、教告其菟、今急往此水門(2)、以水洗汝身、卽取其水門之蒲黃、敷散而、輾轉其上者、汝身如本膚必差。故、爲如教、其身如本也。此稻羽之素菟者也。

於今者謂菟神也(3)。故、其菟白大穴牟遲神、此八十神者、必不得八上比賣。雖負帒、汝命獲之。於是八上比賣、答八十神言、吾者不聞汝等之言。将嫁大大穴牟遲神。

 

+++++私の現代語訳+++++

このような理由で泣き患っていたところ、先に行った八十神たちが『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と教えてくださったので、その通りにしたところ、この身は全身まるまる傷だらけとなりました」と申し上げた。

そこで、大穴牟遲神がウサギに

「今すぐ川水が注ぎ出ている場所まで行き、真水で体を洗い、その川の水の注ぎ口に生えている蒲(がま)の穂をとって敷き散らして、その上を転がってその花粉をつければ、膚はもとのように戻り、必ず癒えるだろう」と教えた。

そう教えられたとおりにすると、その体は元通りになりました。

これが、稲羽の素兎(しろうさぎ)である。

今では、兎神(うさぎかみ)といわれている。

そのウサギは大穴牟遲神に

「貴方の兄弟たちである八十神は八上比賣(やかみひめ)を絶対に得ることはできません。袋を背負って従者の成りをしておいででも、あなた様が姫を得られることでしょう」と言った。

そのとおり、八上比賣は八十神に

「あなたたちの求婚の言葉をお受けしません、大穴牟遲神と結婚いたします」と言った。

(了)

 

+++++

 以下、私が考慮したことを記す。この分野は浅学のため、誤りあらば指摘していただきたい。謬説を拡散する意図はなく、門外漢の視点を提供する試みがこのブログの目的だからである。

 

(1)泣患

泣き患うと読んで訳したが、この事件の場合、重症化した火傷という患いを泣くと考えるとウサギの置かれた状況がよくわかる。

前に述べた通り、ウサギはワニに毛を毟り取られたのではなく、衣服を取られただけである。洋上や浜辺等の日を遮るものがない場所に肌を数時間も曝せばひどい日焼けになることは想像がつく。ウサギは色白のお姫様なので、真っ赤に日焼けすれば別人に見えるだろう。

この物語では、求婚者を次々に袖にしてきたウサギが、八十神に会う直前に振った求婚者がいて、その者に日光が降り注ぐ浜に連れて来られ、騙したつもりが騙されて、いつのまにやら裸に剥かれ、気が付けば浜辺で気絶していた。だからひどい日焼けを負っていたのだろう。高い身分にあり自分が騙す側になったことの無いウサギにとっては酷い仕打ちである。前述で「淤岐嶋の『淤岐』高い地位にある人が泥をかぶる様な辱めを受けたというニュアンスが見て取れる」と説明したとおりの事態が起こったのだ。

 

(2)水門(この みなと)

「水門」とは、水や海水の出入り口、特に川の出口のこと。河口・湾口・海峡等のことで、後の「港」に繋がる言葉だ。船に乗った人から見て門のような地形、役割をしているから水「であろう。

八十神も大大穴牟遲神も、そしてウサギですら水上を移動する手段とその文化を持っていたのだろう。

ウサギは高い山の尾根で伏せていて「気多の前」で八十神や大穴牟遲神に出会っているので、高い山の尾根というのは、「気多の前」の風通しの良いところだろう。「此の」というからには、そこから近くて真水を浴びれる場所が「此水門」ということになる。

だから、常識的に「河口」という訳でも良いが、必ずしも河口である必要はない。真水が注いでいてそれを浴びれる場所であることが最重要だ。そういうわけで「川の水の注ぎ口」という言葉を使って訳して、「川」という音に「皮」を重ね合わせてみた。

 

(3)菟神

(我)(あなた)を結びつける “” (ウサギ=)が、我あなたの間(和邇の間)を飛び渡るという縁結びの神の意味は前述したとおり。したがって、この物語のウサギは八上姫と大穴牟遲神を結び付けるウサギの神様であるというのが通説だ。そして、地元に伝えられる伝説*では、姫との密接な関係が考えられるので、姫の侍女的存在や姉妹や近親者の可能性もあるだろう。

しかしながら、私の訳では、ウサギは八上姫その人自身であり、一族の存続のために結婚しなくてはいけないと使命感を持っていたものの、多くの求婚希望者から言い寄られても「この人ならという」人がいなかったため、大穴牟遲神との邂逅まで、その全ての縁談を断って来た人であると解釈した。

和邇を騙して悪戯をするような世間知らずの子供、日焼けして肌を真っ赤にしている少女が、大穴牟遲神と出会って、その優しさに恋心を抱き、一人前の大人、色白の美しい女性として、一族と大穴牟遲神の前に姿を現す。成長して面目を一新して再会を果たす。それはそれは劇的なシーンが述べられている文章だという訳です。

そこに気付いて、そういう物語の解釈をしてみると、各地に恋愛伝説を残している大国主命に相応しいエピソードだと分かるのではないでしょうか。

 

 

 

地元に伝えられる伝説*

因幡の白兎 - Wikipedia

八上の白兎神社[編集]
八頭町には、3つの白兎神社がある。『郡家町誌』に掲載されている。

*山間の鳥取県八頭郡八頭町、かつての八上郡(やかみのこおり)を舞台とする白兎の話が、石破洋教授の著作『イナバノシロウサギの総合研究』(マキノ書店刊行)をきっかけに広く知られるようになった。
そこに紹介された、八頭町門尾(かどお)の青龍寺に伝えられていた城光寺縁起、土師百井の慈住寺記録によると、天照大神が八上行幸の際、行宮にふさわしい地を探したところ、一匹の白兎が現れた。白兎は天照大神の御装束を銜(くわ)えて、霊石山頂付近の平地、現在の伊勢ヶ平(いせがなる)まで案内し、そこで姿を消した。白兎は月読(つきよみの)尊(みこと)のご神体で、その後これを道祖白兎大明神と呼び、中山の尾続きの四ケ村の氏神として崇めたという。
天照大神は行宮地の近くの御冠石(みこいわ)で国見をされ、そこに冠を置かれた。その後、天照大神が氷ノ山(現赤倉山)の氷ノ越えを通って因幡を去られるとき、樹氷の美しさに感動されてその山を日枝の山(ひえのやま)と命名された。
氷ノ山麓の若桜町舂米(つくよね)集落には、その際、天照大神が詠まれた御製が伝わるという。氷ノ越えの峠には、かつて、因幡堂があり、白兎をまつったというが、現存しない。『須賀山雑記(1973年)』(山根達治著 今井書店刊)に掲載されている。

 

八頭町 | 鳥取県町村会

八頭町の白兎伝説
白兎神社 鳥取県八頭郡八頭町福本

*その昔、天照大神(あまてらすおおみかみ)が八上郡に降臨された時、一匹の白うさぎが女神の裾をひっぱって、行宮(かりのみや/一時的に神様が滞在される住まい)へ案内した

むかし、天照大神が山に降臨された時、山頂に仮の宿を営もうとされました。その時、一匹の兎が道しるべをしたそうです。
その道しるべに従うと、中山よりはるか山の尾続きに二つの大石があり、そこへ誘ったそうです。
ここに仮の宿を営み、しばらくとどまられました。
天から降りられた時、道しるべをした白兎が消えていました。その白兎は「月読尊(つきよみのみこと)」だったからです。
その後、道祖白兎六明神といいならわし、祀神(としがみ)として、この山続きの4つの村の氏神として崇められました。

 

 

f:id:kaiunmanzoku:20161130201853j:plain

 12月1日 超訳部分に「私、騙したつもりの元カレに騙されて日光が降り注ぐ浜に連れて来られ、いつのまにやら裸に剥かれちゃって、気が付いたら浜辺で気絶していたのね。だからひどい日焼けだったの。」の一文を追加し、(1)泣患の説明文に、気が付けば浜辺で気絶していた。だからひどい日焼けを負ってい」の文字を追加した。

 

因幡の白兎 兎と鰐 大国主命 (3)

【超訳】
和邇 とは、私(吾)と貴方(爾)のこと。誰と出会っても恋に落ちず、強く惹かれる人もなく、「私の貴方(和邇)、私の貴方(吾が爾)、私の貴方(吾が汝)私の貴方(わたしの愛しい人)と大勢の男を騙して、ここまで来たのに、最後の最後に、貴方に衣を全て脱がされちゃったわ」これこそが本当の 稲羽の白兎 の物語ですよ。 
 
+++++読み下し文+++++
兎答へ言(まを)さく、「僕(やつかれ)は、淤岐嶋(をきのしま)に在り、ここに渡らむと欲(おも)へども、渡るに因(よし)なし(1)。故に海の和邇(をに)を欺く。言(い)わく、『吾(われ)と汝(な)と競ひ、族(うがら)の多き小なきをはからむと欲(おも)ふ。故汝はその族の在りがままに悉く率て來、此の嶋より氣多の前に至るまで、皆な列(な)み伏して渡れ。尓して吾其の上を蹈(ふ)み、走りながら讀み度らむ。是に於いて與吾(よご)が族の孰れか多きを知らむ。』と。かく言ひしかば、欺かれて列み伏せるの時に、吾れ其の上を蹈み、讀み渡り來、今將に地に下りむとする時に、吾れ云わく、『汝は我に欺かれつ』と言ひ竟(お)はる、卽ち最端(いやはて)に伏せる和邇(をに)、我を捕らへ、悉く我が衣服を剥ぐ

 

+++++古事記本文+++++

菟答言、僕在淤岐嶋(2)、雖欲度此地、無度因。故欺海和邇(3)(此二字以音、下效此)。言、吾與汝競、欲計族之多小。故汝者隨其族在悉率來、自此嶋至于氣多前、皆列伏度。爾吾蹈其上(4)、走乍讀度。於是知與吾族孰多。如此言者、見欺而列伏之時、吾蹈其上、讀度來、今將下地時、吾云、汝者我見欺言竟、卽伏最端和邇、捕我、悉剥我衣服。

 

+++++以下は私の現代語訳+++++

ウサギが答え申しあげるには

「私は淤岐嶋(おきのしま)に住んでいました。こちらに渡ろうと強く思ってはいましたが、そのはっきりとした理由があったということもなかったのです。だからワニを欺(あざむ)いて渡ってやろうと思ったのです。

だから、ワニにこのように言ったのです『私とあなたたち一族とを比べて、どちらが同族が多いか数えよう。できるだけ同族を集めてきて、この島から気多の前(けたのさき)まで並び伏しておくれ。そうしたら私がその上を踏みわたり、走りながら数えるよ。そうすれば、あなた方の一族と私の一族とどちらが多いか知ることが出来るだろう』と。すると、この言葉を信じたとみえて、欺(あざむ)かれたワニは列をなして伏したのです。私はそのワニの上を踏んで数えながら来て、この地に下りようとしたそのときに、私は『お前たちは欺(だま)されたのさ』と言い終えようとした、その時、列の最後にいたワニが私を捕えて、衣服をすべてはぎ取ってしまいました。」

(続く) 

 

 +++++

以下、私が考慮したことを記す。この分野は浅学のため、誤りあらば指摘していただきたい。謬説を拡散する意図はなく、門外漢の視点を提供する試みがこのブログの目的だからである。

 

(1)無度因

「無度因」を 度らむ因なし(わたらむよしなし)と読んで、渡る方法が無いとする訳が殆どだが、「因」という字は手段や方法というよりは、主に理由や原因を示す。だから、「無度因」を 度るに因しなし(わたるによしなし)と読んで、渡る理由がないと訳した。

話の流れからしても、方法よりも理由が問われる場面であるはずですが、つい漢字の意味を離れ、「方法が無い」と解釈してしまうのは、われわれが既にこの物語を知ってしまっていて、そこから類推してしまっているのが原因である。

渡る理由がないと訳すことで、「結婚に踏み切るほどの動機がない」という意味を隠しているという表現であると考えることが出来る。下まで読んでいただければ、その意味がお分かりいただけると思う。

 

(2)淤岐嶋

は、泥であり、泥で塞がり、ぬかるんでいることを示す。o というほかに yu の音、jyu Li という音にもつながっている。「を」という振り仮名をふっている文献もあることから Wo という音もあるのだろう。

は、分かれ道であると同時に、高い位置、高い地位を表す漢字 gi ki の音の他 qi kei という音にもつながっている。

ウサギがいた島は、隠岐の島、沖ノ島、白兎海岸すぐそばの島等々解釈されているが、淤岐と言う文字からすると高い地位のものが泥を浴びるイメージを感じる。おそらくは、ウサギの種族、あるいは、当のウサギ自身が、高い身分にいたかもしれない。そういう高い身分の者が流された島(隠岐の島はそういう島のひとつ)であるかもしれないし、あるいは高い身分の者が汚されてしまったことを寓意しているのかもしれない。

また、泥流のようなものを想像すれば火山の噴火による火山灰や火砕流で汚された土地も想像できる。縄文期に大爆発を起こした鬼界カルデラや九州南部の火山が原因の泥流によって農作物が収穫できなかった島の可能性もあるだろう。

 

音からは woki wogi woji jyuqi jyukei Liqi Likei で想像される地名の山や島が いくつか思いつくかもしれない。私は、古事記がその記述の中で民族の記憶を何度も何度も繰り返し再現した表記方法をとっていると考えるので、南方から大隅半島に上陸して海の神の娘と結ばれた話(海幸彦と山幸彦)を、この話に重ね合わせたいわたつみの国である。火山噴火による火山灰や火砕流が降り積もったシラスの泥を連想させるからだ。

また、音と文字の意味の両方から、倭(Wo)が二つに分かれた島(場所)ということも考えられる。Woki、「倭岐」、「沖」は、沖縄(倭岐魚場 wokinaba)であればわたつみの国だ*1

 

(3)和邇

此二字以音、下效此  これ音を以て二字とする、下はこれに倣う  

と書いてあるように和邇は音を漢字に変えた名詞である。

音はWoniであろう。鰐 倭丹 倭尒 鬼 と書いて古事記に記載してあっても不思議ではないかもしれない。

以前から、私は、Woという音には、つまり大和日本という意味や、我々という意味が込められているという主張をしてきている。

また、和邇が「をに」であり、と関係しているのではないかと考えている。

そして、「をに」とは、古代の海洋を渡り歩いてきた人々とその手段)双方を指しているのではないかと思っている。

この物語の解説文は別途に出すつもりだが、「をに」はであり、倭丹という赤鬼赤く火脹れしたwo)であり、woであり、やまと族そのもの、(と)なんじ倭尒倭爾)という人々だけでなく、彼らがわたつみ、弘原海、倭的海を、船(和邇空船ウツホフネ菟乍歩伏寝)で渡って来た人々と言う意味を象徴している存在だと主張するのが主眼である。

 

(4)吾蹈其上

兎度和邇上(ウサギが ワニの上を 渡る)と言う意味だ。

「鵜戸」「宇土」「宇都」「宇戸」「宇渡」等の地名や人名には、倭が多くの船を連ねそれらに乗って日本に渡ってきたという意味も含まれているようだ。
人名の「うと」は鹿児島、長崎、宮崎、兵庫県に多いと聞く、裏付けはまだない。

物語で利害が一時的に対決したとはいえ、鰐とウサギは同族であろう。

大国主命は国つ神の代表だが、鰐とウサギと同様に、当地に渡って来た種族である。八十神(やそがみ)という言葉と彼らが旅をしてきているという大前提が古事記に描かれているからだ。

そして、アマテラスと重なる八上姫(八十神の上を渡って来た姫とも解釈できないこともない)は大国主命や八十神の結婚の対象なのだ。

そして、和邇(鰐 ワニ)と言う字には、わたしとあなたという意味も隠れている

(我)(あなた)を結びつける “” (ウサギ=)が、あなたの間(和邇)を飛び跳ねて、数を数えている。これは “” (ウサギ=) による縁結び(度)に通じている。そんな様子が文章に隠されているのだ。

また、「雖欲度(渡らむと思へど)」と結婚願望があったけれども、「無度因(わたるによしなし)」と書いてあるように、恋に落ちることもなく、こう言う人が良いという理想も、この人ならと強く惹かれる人もなく私が和邇(私の貴方)和邇和邇と(八十神も含む)大勢の男たちを欺いて走り来たのに最後の(私の)あなた)、大穴牟に衣を全て脱がされてしまいました」という意味も含まれているようだ。

つまり、このウサギは八上姫でもあるのだ。

 

このブログでの紹介はもう少しかかるかもしれないが、紹介の要旨は上記のとおりであり、賢明なる諸君には、これだけの話でも想像を膨らませるのに充分であろう。 

 

f:id:kaiunmanzoku:20161126211202j:plain

 

2016年11月27日 現代語訳の漢字部分を、かなやカナに代え、ふりがなを振った。漢字のニュアンスや状況が分かるように形容詞を必要に応じて付加した。

2016年11月29日 淤岐嶋の項で「わたつみの国」と「倭(Wo)が二つに分かれた島」の表現の下りを追加した。また、(4)吾蹈其上 以下の緑色文章(一部青字)を追加した。どちらも、この考えを述べるに適当な部分がココしかないと気付いたためだ。

最上部に【超訳】を置いて、そこだけ読めばこのブログの趣旨がわかるようにした。

2016年12月5日6日 和邇和邇和邇の説明部分は、和邇(私の貴方)の方が分かりやすいのでその趣旨が分かるように訂正した。

*1:「沖縄」を「ウチナー」と現在の沖縄弁で言うが、これは15世紀の沖縄で「琉球」が 倭急拿(wojinah )と明語で発音されていた証拠。沖縄(Wojinah=をじなは)のこと。このことから、「淤岐嶋」が「和邇(woji)の島」で和邇または鬼または翁が支配する島であり、現在の沖縄のことだとの解釈も可能だ(令和元(2019)年6月23日脚注に追記)

History / Ryukyu 陳侃の『使琉球録』雑記 『わだつみ』と読める『倭的海(日本の海)』と書き、16世紀の明人にチャイナ語で発音させれば、中世沖縄方言の『皇帝』になる - kaiunmanzoku's bold audible sighs

を参照願いたい。

Wherever there is a human being, there is an opportunity for a kindness. 引用・転載はご自由に。ただし、引用元・転載元だけ明記ください。 Feel free to copy and reprint but please just specify an origin of quotation.